翌朝のその人は、恐ろしいほど普段通りだった。
本当に何も変わらない。
いつものように朝餉を食べ、奥の部屋で静かに過ごす。
私は忙しいふりをして、通い詰めるようになっていた奥へ行かないようにしている。
夜の来るのが怖かった。
寝る部屋を変えることも、布団の位置を変えることも出来ない。
どうしてこの部屋に衝立があったのだろう。
今はそのことに救われる。
あの人は夜遅くになってから寝所へくるようになった。
私の寝付いた頃にやって来て、起きる頃には姿を消す。
乱れた布団とそこに残る体温だけが、ここにいた証だった。
もう幾日も口をきいていない。
「いってらっしゃいませ」
勤めに出る晋太郎さんを、お義母さまと見送る。
その姿が見えなくなってから、ため息をついた。
晋太郎さんとの仲を応援してくれていたのに、今ではそんなお義母さまの隣にすら居づらい。
声をかけられる前に立ち上がった。
「あら、まだなにか家事が残ってるの?」
「縫い物が少し……」
「最近、根を詰めすぎではないですか? それも悪くはないけど、晋太郎とは仲良く出来ているの?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
他にどういう返事をしたらいいのだろう。
それ以外の答えなんて、許されるはずもないのに……。
部屋に戻り、いつまでも仕上げるつもりのない端布を手に取った。
緊張で夜の眠りが浅いのを、昼寝で何とか持ちこたえさせている。
うとうととしている間に、すっかり日は傾いた。
「ただいま戻りました」
その声に飛び起きて、裏戸へ向かう。
出迎えた義母の隣に並んだ。
「通りでたまたま見かけたので……。買って参りました」
久しぶりに目を合わせた。
その人の手が、こちらに伸びてくる。
結んだわら紐の先で、竹皮の包みが揺れていた。
それは私が受け取ろうとする前に、膝に置かれる。
「茶が入ったら、奥の部屋へ持ってきてください」
膝上のそれを、じっと見つめている。
久々に声を聞いたせいか、胸を打つ鼓動が早い。
誰にも悟られぬよう息を整える。
義母は隣でため息をついた。
「何を買ってきてくれたのかしらね」
そう言われて、ハッと我に返る。
開いてみると、鮮やかな橙の枇杷が現れた。
甘酸っぱい香りが辺りに広がる。
「まぁ、枇杷の蜂蜜漬け? 初物じゃないの。早く持ってお行きなさい」
作られてまだ日が浅いのか、しっかりとした実の回りに、ねっとりとした蜜をまとっている。
義母は箸でそれを皿に載せると、湯飲みに茶を注いだ。
盆を手渡される。
「じゃ、よろしくね」
用意された二つの湯飲みが重い。
今はその一つを運ぶことでさえ苦痛なのに……。
こんなものを買ってきて、あの人はどうしようというのだろう。
小皿に盛られた枇杷の実が恨めしい。
本当に何も変わらない。
いつものように朝餉を食べ、奥の部屋で静かに過ごす。
私は忙しいふりをして、通い詰めるようになっていた奥へ行かないようにしている。
夜の来るのが怖かった。
寝る部屋を変えることも、布団の位置を変えることも出来ない。
どうしてこの部屋に衝立があったのだろう。
今はそのことに救われる。
あの人は夜遅くになってから寝所へくるようになった。
私の寝付いた頃にやって来て、起きる頃には姿を消す。
乱れた布団とそこに残る体温だけが、ここにいた証だった。
もう幾日も口をきいていない。
「いってらっしゃいませ」
勤めに出る晋太郎さんを、お義母さまと見送る。
その姿が見えなくなってから、ため息をついた。
晋太郎さんとの仲を応援してくれていたのに、今ではそんなお義母さまの隣にすら居づらい。
声をかけられる前に立ち上がった。
「あら、まだなにか家事が残ってるの?」
「縫い物が少し……」
「最近、根を詰めすぎではないですか? それも悪くはないけど、晋太郎とは仲良く出来ているの?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
他にどういう返事をしたらいいのだろう。
それ以外の答えなんて、許されるはずもないのに……。
部屋に戻り、いつまでも仕上げるつもりのない端布を手に取った。
緊張で夜の眠りが浅いのを、昼寝で何とか持ちこたえさせている。
うとうととしている間に、すっかり日は傾いた。
「ただいま戻りました」
その声に飛び起きて、裏戸へ向かう。
出迎えた義母の隣に並んだ。
「通りでたまたま見かけたので……。買って参りました」
久しぶりに目を合わせた。
その人の手が、こちらに伸びてくる。
結んだわら紐の先で、竹皮の包みが揺れていた。
それは私が受け取ろうとする前に、膝に置かれる。
「茶が入ったら、奥の部屋へ持ってきてください」
膝上のそれを、じっと見つめている。
久々に声を聞いたせいか、胸を打つ鼓動が早い。
誰にも悟られぬよう息を整える。
義母は隣でため息をついた。
「何を買ってきてくれたのかしらね」
そう言われて、ハッと我に返る。
開いてみると、鮮やかな橙の枇杷が現れた。
甘酸っぱい香りが辺りに広がる。
「まぁ、枇杷の蜂蜜漬け? 初物じゃないの。早く持ってお行きなさい」
作られてまだ日が浅いのか、しっかりとした実の回りに、ねっとりとした蜜をまとっている。
義母は箸でそれを皿に載せると、湯飲みに茶を注いだ。
盆を手渡される。
「じゃ、よろしくね」
用意された二つの湯飲みが重い。
今はその一つを運ぶことでさえ苦痛なのに……。
こんなものを買ってきて、あの人はどうしようというのだろう。
小皿に盛られた枇杷の実が恨めしい。