きみがくれた日常を





「なぁ、そろそろ学校来いよ」

 親友の颯太(そうた)が学校のプリント類をたくさん持ってきてくれた。
 俺の机の上には前にもってきてくれたプリントがまだそのまんま置いてある。

 情けない話だけど、葵がいなくなって俺は学校に行けずにいた。
 俺の中には後悔しか残っていない。
 もし俺があの日葵を呼び出さなければ、家まで迎えに行っていれば、葵を(うしな)うことはなかったんじゃないかって。
 なんでもっとはやく葵に好きだって言わなかったのかって。

 家でひとり俺はずっとたくさんの"もしも"や"なんで"を考えていた。
 そんなこと考えても未来が変わるわけじゃないのに。
 起こったことは取り消せないのに。

 由乃ちゃんや葵のお母さんが俺のせいじゃないって言ってくれても俺の中の罪悪感は少しも消えない。



「これ、水原さんの机の中に入ってたみたい。
 俺、水原さんの家知らないから、伊織が届けてほしい」

「……わかった」

 葵のなにかはわからないけどノートを渡された。


「俺はさ……」

 颯太は少し言いにくそうに話す。

「水原さんと仲良かったわけじゃないからわからないけど、水原さんはきっと伊織に責任感じてほしいなんて思ってないと思うよ」

 それはだれよりも俺がわかってる。
 葵は、自分のことより他人のことを願う優しい子だから、俺に責任を感じてほしくないって言うと思う。

 それなのに、俺は葵がこの世にいないっていう事実をまだ受け止められない。
 受け止めたくない。

 いつだって瞼を閉じれば葵の顔が脳裏に浮かぶ。


「明日は来いよ?」

 その問いかけに俺は頷かなかった。

 学校に行っても、葵には会えない。
 葵がいない学校は俺にとって、つまらない場所だ。
 そしてこの日常もつまらない。

 颯太はなにも言わない俺になにか言いたそうな顔をしていた。
 それでも「じゃあ、また」と言って帰っていった。



「これは葵の日記?」

 颯太からもらった葵のノートを見る。
 勝手に見るなんていけないと思うが、手が伸びる。
 ページをめくっていく。

 一番初めのページを見て思わず目を開く。

『友だちなんてもういらない』

『嘘の笑みで、偽りの自分を演じてるほうが楽。
 そのほうが傷つかなくてすむ』


 葵は嘘の自分を演じていた。
 俺の知らないことばかりだ。

 そこから何枚かページが破られていたり、涙かわからないもので滲んでいたり、まともに読めないページが続く。


 ここからは最近の日記みたいだ。

『伊織と話すのは落ち着く。なんでだろう。
 はじめて会った日なぜかはわからないけどはじめて会った気がしなかった』

『伊織が先生になるの向いてるって言ってくれた。
 うれしい。
 お母さんたちにもちゃんと話さないと。
 大学に行きたいって』

『今日も言えなかった』


『伊織がいるとなんだか自然と笑える。
 伊織といるとたのしい。
 伊織はいつもわたしを笑わせてくれる』



『明日は誕生日。
 伊織が星空公園に来てって言ってくれた。
 たのしみだなぁ』

『誕生日の日くらい勇気を出して伝えるんだ 』

 その後のページは真っ白で何もない。


 葵は結局伝えられたのだろうか。
 だれかに自分の伝えたいことを。
 お母さんやお父さんに自分の夢のことを。

 俺のせいですべてを台無しにしてしまった。






 俺は葵の日記を届けに行くため外に出た。
 久しぶりの外は俺にはすごく眩しいものに見えた。

 神社の近くの川まで来た。
 それをみて、想いが別の世界に届いてなにかの間違いでいいからもう一度葵に会えないかって馬鹿げたことを思ってしまった。

『俺のせいで大切な人を亡くしてしまった。
 葵にもう一度あいたい   伊織』

 葵のノートの一部を借りてメッセージをかいた。
 偶然落ちていた瓶にそれをいれて優しく手から離す。

 この行き場のない想いをまるで川が流してくれたみたいだった。




 この桜の木。憶えてる。
 高校生になった葵とはじめてあった場所だ。


 ゆっくりと桜の木に手をあてる。

「お願いします。俺の願い叶えてください」

 俺の願いはただひとつ。
 葵に生きていてほしい。ただそれだけだ。

 その瞬間、桜が急に黄色く光り、その眩しさに思わず目が眩む。
 すると、中からなにかが出てきた。


「呼んだー?」

 随分明るい声が聞こえる。
 そこには羽が生えて空を飛んでいる小さい奇妙な人間みたいなのがいる。

「はぁ、ついに俺は幻覚を……」

 頭を抑え、その場を後にしようとする。
 そうすると、すかさず後ろから声が届く。

「幻覚じゃないよ。きみの強い想いによって僕は呼び出された。桜の妖精さん。よろしくね」

 声のほうに振り向く。
 そういえば、桜には不思議な力が宿っているってだれかが言ってたっけ。
 ふいにそんな言葉を思い出す。

 でも、桜の妖精さんなら、女の子じゃないのかって思う。
 まぁ、そんなことはどうでもいいんだけれど。


「それでは願い事をどうぞ」

 願い事。ほんとに叶えてくれるんだ。
 俺の願い事は____

「葵を生き返らせてほしい。お願いします」
 
 こんなわけもわからない桜の妖精に頭下げるなんてほんとは嫌だけど、俺は必死に頭を下げる。

 すると、とりあえず顔上げて、と言われる。
 ゆっくり顔を上げると、桜の妖精は視線を斜め上に上げてこほんと咳払いをする。

 俺は葵を生き返らせてくれるなにかがあるんじゃないかと期待する。
 でもその期待は絶望へと鮮やかに塗り替えられる。

「残念だけど、それはできない」

「なんでも叶えてくれるんじゃないのかよ!」

 つい大声を出してしまった。
 慌ててごめん、と謝る。


「できる限りはするよ。
 でもね、一度死んだ人間を生き返らせることなんて絶対できない。心臓が止まってしまったらそこでおしまいなんだよ」

 桜の妖精は淡々と話す。

 それくらいわかっていた。
 死んだらそこで終わりで、例えばそれが人でも動物でも生き返るなんてできるわけない。
 それでも、俺は葵に生きてほしいんだ。


 少し考え込んで、今度はちがう願い事が頭をよぎる。

「じゃあ……もう一度だけ。
 もう一度だけチャンスをください。
 今度はその日に葵を呼び出さないから」

 過去に戻って、俺が葵をあの場所に呼び出さなければ、葵はそこで死ななくてもすむ。
 我ながらいいお願いごとが浮かんだと内心喜んでいると、その歓喜は一瞬で驚愕(きょうがく)へと変わった。

「きみが葵ちゃんをその日呼び出さないのなら他の人が死ぬよ」

「ど、どういうこと?」

 思ってもないことを言われて目を開く。

「その日そこで事故が起こるのは最初から決まってたんだよ。運命ってやつかな。
 運命は変えられないんだよ……。
 そこで葵ちゃんが生きることになったらだれかが死なないといけない。そうやって成り立ってるんだよ。この世界は」

「……」

 言葉につまる。




「ねぇ、どうする? きみは自分の大切な人のためなら他人を犠牲にする?」

 そのとき、最低だってわかってるけど俺は他人を犠牲にすることしか頭になかった。

 他人を犠牲にはできないからやめる、そう言える人間はどんなに心が綺麗だろうか。
 例え自分がそばにいられなくても、大切な人が生きているならいい。
 そんなのただの偽善だ。

 俺が犠牲になるしか方法がないのなら、喜んでこの身を捧げるだろう。

 でも、考えてみてほしい。

 だれかは死んでしまうけど、自分の喪った大切な人がもう一度生きていてくれる。
 笑っていてくれる。
 葵がまた俺の隣に傍にいてくれる。
 ふたりで幸せな未来を歩いていける。

 それなら____



「覚悟は決まった?」

「うん。時間を巻き戻してほしい。
 そこで俺は葵の運命をひっくり返してみせる」

 運命をひっくり返すだけじゃなくて、葵の心を救ってみせる。
 葵が偽りの自分を演じなくてすむように、無理に笑顔をつくることがないように。

 俺はこのとき、自分のするべきことがはっきり見えた。



「その願い叶えてあげる。僕に証明してみせてよ。
 運命は変えることができるって」

 クラっと目眩がして、起きたら自分の家の玄関の前にいた。
 新しい制服。まだ汚れていないローファー。
 過去に戻ったんだ、と悟った。



「過去に戻ったからと言ってあまりいまを変えすぎてはいけないよ。葵ちゃんだけでなく、他の人にも影響を与えてしまうかもしれない。
 他の人の未来までも変わってしまう。……前できなかったことは、いまもできないんだよ」

 そんな桜の妖精の言葉を思い出す。

 急がなければ。
 きみと出逢ったあの桜の木の下へ。








 夏休みに入る前、学校から家に帰るのではなく、俺は桜の木を訪れるため逆方向を歩いていた。


 歩いている途中、さっき屋上で葵と話したことを思い出す。

 やっと決心がついたはずなのに、いざ口にしようとするとどうしても言葉が出てこなかった。

 葵。ごめんな。
 言おうとしたんだ、きみの事故のこと。

 でも、そんなこと言っても困らせるだけだ。
 それにそんな未来を知りたくないとも思うかもしれない。
 でも、同時に葵に未来のこと知ってて防いでもらう方法もあるんじゃないかとも思った。

 結局、俺はそのことについては話さなかった。
 俺ひとりではそんなこと決められなくて。
 でも、話しても、話さなくても俺がすることは変わらない。


『わたしになにか隠しごとしてない?』

 そう訊いてきた葵は俺が心配だ、と伝えているようにも聴こえた。
 葵は勘づいていた。俺がなにかを隠していることを。

 未来から来たなんて言って信じる人なんていない。
 だって、葵は桜の妖精の話ですら半信半疑という感じだった。

 俺はあのときどうすればよかったのか。
 答えなんてだれにもわからないし、正解もない。


 そんなことを考えていると桜の木に到着した。
 あたりまえだけど、桜は緑色で、それでも、綺麗だった。

 この桜の木が満開になるとこまた見たかったな。


 俺が桜の木の前に立つと、桜の妖精が姿を現す。


「俺、決めた」

 桜の妖精に向かって呟く。


「葵に生きてほしいのは俺の"わがまま"なんだ。
 だから他人を犠牲にするなんてできない。しちゃいけない」

 強く言い張る。
 これが俺が悩み抜いて出した答えだ。

 ずっと他人を犠牲にしようと思ってた。
 でも、気づいてしまった。
 葵が隣にいて、笑う度思ってしまったんだ。

 俺がだれかの笑顔を奪おうとしてること。

 そんなのしちゃいけない。


「じゃあ……!」

「俺が葵を(まも)る。
 例え俺の未来が閉ざされたとしても葵には生きててほしい。笑っててほしい」


「……葵ちゃんはきみが犠牲なったことを知ったらたぶん普通に生きていけないよ。
 ずっと後悔するよ」

 そうだろうな、そう思って無言で頷く。
 あの子はだれよりも優しいから俺が代わりに死ぬことなんて受け止めきれないだろう。

「だから、もうひとつだけお願いがある。
 その日は葵の誕生日なんだ。
 嫌な記憶なんてなくていい。誕生日だけは幸せな記憶だけでいいんだよ」

 誕生日に俺を喪うと思う。
 だったら、俺との記憶なんてなくてもいいんだよ。
 例え、葵が俺のことを忘れても俺が、俺だけは絶対葵のことを(おぼ)えているから。


「だから、葵が事故に遭ったこと、俺が庇ったことを忘れさせて。お願い」

「なんで、きみはそこまで!」

 妖精は、目を開いて驚いている。

「俺は二度も葵に出逢えて、二度も恋ができた。
 それだけで充分幸せだ」

 これ以上の幸せを求めるなんて贅沢だと思う。


 たぶん、他の人を犠牲にして葵と生きても俺は笑えない。ずっとその人のことを考えると思う。
 その人は当然、自分が葵の代わりだってことを知らない。

 俺が犠牲にしようとしてる人はだれかは分からない。
 けれど、その人はだれかの大切な人かもしれない。
 大切な人を喪う哀しみは俺がいちばんよく知ってるんだから。


「後悔……しない? 」

 恐る恐る俺に聞く。
 妖精の顔はまるで俺の未来のことを心配してくれているみたいだった。
 前とはなにか心境の変化でもあったのだろう。
 じゃないと、俺を心配する理由なんてどこにもない。

「するわけない」

 それだけは断言できる。

 葵を護ることができたら、後悔なんてするわけがない。
 葵を護れなかった後悔のほうがずっと大きくて、辛くて悲しいことだから。


 大切な人との時間をもう一度過ごしてみて、幸せなことに気づけた。





『笑えたよ。たっくさん笑えた! 
 伊織がいて救われたこともたくさんあったよ』

 最後に葵に訊いた質問の答え。
 この言葉を聴いて泣きそうになった。

 この言葉から葵が嘘をついてるようには見えない。

 俺は少しでも葵の心を救えたんだ。
 それだけでもう明日俺の未来が終わってもいいと思えた。

 俺の果たすべきことのひとつが終わった。
 後は明日をまつのみ。


 今日までめちゃくちゃたのしかったな。
 過ぎていく時は一瞬で、毎日毎日巡り続ける。

 学校での生活、遊園地、海、花火大会はもちろんたのしかったけど、なんてことない会話さえもすごくたのしかった。
 こんなに日常が輝いていた。

 葵を喪ったときの俺は気づけなかったけど、こんなにも幸せだったんだ。
 なにげない時間もすごく大切なものだった。
 あたりまえな毎日はあたりまえになっていくけど、そういうのがいちばん幸せだった。
 目には見えないけど小さな幸せは、たしかに近くにたくさんあった。

 俺はそれだけでもう。





 運命の日。
 俺は前と同じく葵を星空公園に呼び出した。
 あの日となにも変わらない。
 変わるのは俺が事故のことを未来のことを知ってるだけ。

 当然俺がいるのは星空公園じゃなくて事故が起こるはずの交差点。
 未来が変わっていないのならここで事故は起きる。

 なんか、信じられない。
 この場所で事故が起こるなんて。

 いつも通り車が走っていて、歩道には人が歩いていてる。

 でも、起きたんだ、実際に。


 俺は死ぬつもりで今日まで生きてきた。
 だから、怖くない。
 怖くない、はずなのに。
 葵をひとりしたくないとも思ってしまう。


 由乃ちゃんは葵にお誕生日おめでとうって言えたかな。
 言えなくて後悔してた由乃ちゃんを近くで見てたから、俺は葵を由乃ちゃんの家に行くように伝えた。

 前の世界とこの世界のつながりなんてないと思うけど、それでも前の由乃ちゃんの後悔が少しでも軽くなればいいな。


 そんなことを考えていると、少し先で耳を引き裂くようなブレーキ音。
 俺の足は葵の背中に向かって足を進める。

 トラックが横転して、葵の前に衝突しようとしていた。
 俺は勢く走った。

 
「あおい!」

 葵に出逢ってから今日まで最高に幸せな人生だった。
 出逢ってくれて、ありがとう。

 ドンと強くその背中を押した。






 目を開けると見覚えのない真っ白な天井が目に入り、ツンと鼻を指す消毒の匂いがした。
 手には複数の管が繋がっている。
 それを見て自分が病室にいることがわかった。

 ゆっくり起き上がる。

 あれ。
 わたし、なんで病院にいるんだっけ?
 なんでこんなに頭が痛いの?
 なんで、泣いてるの?

 汗でびしょびしょになっていて、頬は濡れていた。


「それにしてもさっきのは夢?」

 なんだか変な夢。
 それにいままで過ごしてきたはずの記憶にある高校一年生の日々とは少し違っていた。
 妙にリアルで伊織(いおり)がいた。
 わたし、いままで伊織の存在忘れてた。覚えてなかった。
 小さい頃、出会った頃、わたしの事故?
 それから……

 伊織の想いや願い。




「想い出した? (あおい)ちゃん」

 ふいに声が聞こえる。
 声のほうに目を向けると、宙に浮いている小さな人間のような生き物がいる。

「きゃーーー! おばけー!」

 びっくりして病室の枕やそこにあった物たちをその子に投げつける。
 でも、枕や物はその子にあたることなく、その子の身体を透き通って地面に落ちる。

「ちょっと、落ちついてよ!」

「あ、ごめんなさい」
 
 つい、驚いて投げちゃったけど。
 考えてみたらいきなりだれかわからない子に物を投げつけようなんていくらなんでもやりすぎだ。



「はじめまして、僕は桜の妖精」

 桜の妖精。
 いつしかおばあちゃんが言ってた子だろうか。

「おばあちゃんに会ったことあるとかの?」

「そう!」

 わかってくれたみたいでよかった、と安心した表情を見せる。

 おばあちゃん、ほんとに桜の妖精さんに会ってたんだ。

 じゃあ、なにか願いを叶えてくれるのかな。
 なんでわたしの所に現れたのだろう。
 強く願ったことなにもないのに。


「さっき、きみが見たのは伊織くんの記憶」

「伊織の記憶……?」

 わけがわからなくはてなが浮かぶ。


「全部全部、現実に起こってたことだよ」

 どういうこと。
 現実に起こってたこと? わたし、生きてるよ。

 確かめないと。
 まず伊織に会って、どういうことかを説明してもらおう。

 頭は少し痛いけど、身体は少しも痛くない。
 なのにつながっている管が嫌で勝手に外し、ベッドから降りようとするとなんだか廊下が騒がしい。


「葵! 大丈夫?」

 廊下から大きな声がして、扉が開く。
 すると、わたしの傍までお母さんとお父さんが走ってきた。

「お母さん。お父さんも」

お母さんは「心配したのよ……」と半泣きの状態だった。

「わたし……伊織のところに行かないと!」

「伊織? そんなお友だちいたかしら?」

「え、花火大会の日会ったじゃない。
 お母さんとお父さんにも挨拶してた」

「……」

 お母さんとお父さんは一度顔を合わせてから心配そうな顔をしてこっちを向く。

 なんで。なんで憶えてないの?


「頭を打ったんだし、今日はゆっくり休みなさい」

「ごめんね。ほんとはもっと傍にいてあげたいけど、もう帰らないといけないみたいで……」

 そっか。もう夜の11時。
 面会時間なんてとっくに過ぎてるのに。

 お父さんもお母さんもわたしのこと、心配してくれたんだ。




「ねぇ、どういうことなの? お願い。説明して」

 お母さんたちが帰った後、上の方で舞っている妖精さんに声をかける。

 さっきの夢はなんなの?
 なんでお母さんたちが伊織のことを憶えてないの?


「伊織くんとの約束破っちゃったけど、さっきの夢は僕が勝手に見せた。
 葵ちゃんにはどうしても知っててほしかった。
 伊織くんがどういう想いでいままで過ごしてきたか。
 そんな伊織くんの想いをなかったことになんてしたくなかったんだ」

 桜の妖精さんは悲しそうに辛そうに話す。

 わたしはひたすら妖精さんの話に耳を傾けていた。

「葵ちゃん。きみは本来この世にいないんだよ。
 それを自分のせいだと思った伊織くんの頼みで僕が彼を過去に飛ばし、時間を巻き戻した」

過去に飛ばした? 時間を巻き戻した?
 たしか、伊織もそんなようなことを言ってたことがあったような気がする。
 でも、なぜだかはっきりとは思い出せない。


「いまでは伊織くんの存在ごとなかったことになってる。
 その代わりとして葵ちゃんは大怪我を負ってない」

「そ、そんな!」

 スマホのトーク履歴、通話履歴。
 どれを見ても"高野伊織"の名前はない。

 それどころか伊織と撮ったはずの写真までない。

 なんで、なんで。
 ほんとに消えちゃったの?


「ねぇ、伊織はどこにいるの?」

「葵ちゃん。伊織くんはもういないから、どんなに想っても会えないんだよ」

「っ、、」

 声にならない叫びが出る。



「……伊織はわたしを護って? 
 わたしが死ぬはずだったのに。どうして伊織は」

 さっき見せられたことといままで一緒に過ごしてきた伊織の声が重なる。


『俺はなにも護れなかった』

『時々、後悔で押しつぶされそうになるときがある』

『人っていつ死ぬかわからない。
 だから思ったことは口にしないと』

『俺は言えなかったことがたくさんあった』

 あのとき、伊織がわたしに話してくれた過去は、わたしのことだったの?

 それに、伊織はずっとなにかを隠していた。

 伊織は一体今までどんな気持ちでわたしと過ごしていたのだろう。
 それは、想像もできない。




「僕ね、いままで運命に逆らったことのある人見たことなかったんだ。
 どうせ、人間なんて自分が大事だから、結局最後は自分を護るんだと思ってた。
 でも、伊織くんは違った。無償の愛ってほんとにあったんだね。
 伊織くんはこの世界の仕組みに抗ってきみの運命を変えた。
 その瞬間を見たとき、どうしようもなく思ってしまった。この世界は変えることができる。
 運命は人のがんばり次第でいくらでも変えられるって」

「妖精さん……」

 伊織は、わたしの運命を世界を変えてくれたんだ。
 でも、それでも、受け入れられないよ。

 わたしのために伊織が死ぬなんて。
 そんな、そんな。


「最初はくだらないなって思った。
 だれかのために命を捨てるなんて。
 でも、ふたりを見てたら、僕、思っちゃったんだよね。
 運命変われって。もっとはやく伊織くんのこと信じてあげればよかったな……」

 なんてね、と妖精さんがなんとも言えない表情で笑う。


「……わたし、これからどうしたらいいんですか?」

 もう目にはたくさんの涙が溜まってる。
 こんなこと妖精さんに聞いても、困らせるだけだ。

 妖精さんはすごく考えて、わたしに優しい笑顔を見せた。

「葵ちゃんの家族は代々僕の桜の木を大切にしてきてくれた。護ってきてくれた。
 だから、これは僕からあげられる最初で最後のプレゼント。
 お誕生日は、一年に一度しかない特別な日だから。
 病室なのはごめんね。葵ちゃん。もう一度笑ってよ」



 妖精さんの魔法のような光で視界が一瞬白く染まる。
 そして、次に飛び込んできたのは、いるはずのない影で。



「あおい」

 伊織だ。伊織の優しい声だ。
 わたしはすぐさま伊織のそばに駆けつける


「伊織のばか! なんでわたしを護ったの?
 わたし、わたし。伊織にもらってばっかじゃん。なにも返せてないのに」

 わたしの目からはもう大量に涙が溢れていて、視界は揺れていて、上手く伊織の顔も見えない。

「ちがう! 俺はたくさんもらった。
 充分過ぎるほど葵からもらったんだよ」


『自分のこともちゃんと大切にしろよ?』

 わたしにはそう言ったのに、伊織は自分のことどうなってもいいって思ってたの?
 伊織の生命だって同じくらい大切なのに。



「俺、葵のこと好き。好きで好きでしょうがない」

「そんなのわたしだって! わたしだって、伊織のこと……」

 好きだよ。
 そんな簡単な言葉が喉の奥に引っかかったみたいに出てこない。

 あのときはすっと出てきたのに。



「わたし、伊織がいないとだめだよ。
 無理矢理笑っちゃうし、自分の気持ち無視して、他人に合わせちゃう」

 うんうん、と頷きながらわたしの話を聴いてくれる。


「でも、葵は俺がいなくても大丈夫だよ」

 少し寂しそうに呟く。

 なんでそんなこと言うの?

「出会った頃の葵は他人に合わせたり、ただただ優しい子だったけど、いまは優しさだけじゃない。
 強さももっていると思うから。自分の心の声をちゃんと聴いて行動してる」

 それは全部伊織が隣にいてくれたからなのに。
 そう思ったけど、最後までなにも言わず伊織の話に耳を傾けた。

「葵は気づいていないかもしれないけど、俺にはわかるよ。葵が変わったってこと。
 どんどん成長していく姿を見て、俺もどんどん好きになった」

 伊織の言葉が胸の奥まで突き刺さった。
 伊織はいつもわたしのことを見ててくれて、変わったって言ってくれる。
 そう思ってもいいのかな? 自分は変われたって。


「俺の願い事は葵が生きててくれること。
 あたりまえのように過ぎていく日々を笑ったり泣いたりして生きていてほしい。
 それが俺の幸せだから。
 だから、俺の願いきいてくれる?」

 わたしの手を取り優しく包んでくれる。

 ずるい。
 伊織にそんなこと言われたら生きかないわけにもいかないじゃないか。
 わたしが生きてることが伊織の幸せにつながるなら、わたしはちゃんとこれからの毎日を大切に生きるよ。

 もう涙は乾いていて、代わりに笑顔を零す。
 伊織が大好きだって言ってくれた笑顔を。



「伊織はいつまでいられるの?」

 そう訊くと、伊織は妖精さんのほうを向く。

「それは葵ちゃんのお誕生日が終わるまで。
 それが終わったら伊織くんは完全にこの世からいなくなる。……もう二度と会えない」

 妖精さんはそう話してくれた。

 時計を見ると23時30分。
 伊織がこの世界にいられるのはあと30分もない。

 無駄にしたくない。
 伊織がいるこの世界の一分、一秒も。



「妖精さん。お願いします」

 わたしは必死に頭を下げる。
 最期だから。もう会えなくなるんだから。
 いちばんの思い出の場所に行きたい。

「でも、葵ちゃんは一応安静にしてたほうが」

 妖精さんはわたしの体調を心配してるみたいだった。
わたしなら大丈夫です、と笑う。

「最期に伊織と見たいんです。あの綺麗な星空を」

「……わかった。
 女の子のお願いを叶えないわけにもいかないからね」

 そう言うと、妖精さんの姿が見えなくなって、光に包まれた。
 一瞬で世界が白くなったみたいだ。
 それがだんだん視界があってきてそこは星空公園だった。
 わたしと伊織が小さい頃はじめてあった場所でお互い大好きな場所だ。

 いつものようにブランコに座って、満天の星空を見上げる。



「なぁ、憶えてる? 俺が葵をプールに落としたの」

 いきなり想い出話が始まった。

「忘れるわけないでしょ」

「あのとき、はじめて葵に怒られたなー」

「わたしだってお母さんにめちゃくちゃ怒られたもん」

 全身びしょ濡れで帰ったからもちろんお母さんに怒られた。
 でも、なんかたのしかったんだ。
 伊織には秘密だけど、水を浴びた瞬間、嫌な気分も一緒に流れたみたいで、少しすっきりした。



「葵が颯太と仲良くなるとは思わなかった」

「ええそうかな?」

「だって前はさ、颯太と葵は話をすること一回もなかったからさ」

「……そっか」

 前のわたしは勿体ないことしてるな。
 颯太くんと友だちにならなかったなんて。

「だから、未来が変わるかもって思ったらちょっと心配だった」

「でも、変わらなかった……んだよね」

「……うん」

 じゃあいまを変えてもわたしは結局交通事故に遭うことになってたんだ。
 やっぱりわたしはそういう運命だったんだ。

 でも、伊織が変えてくれた。
 自分の身を捨ててまで護ってくれた。



颯太(そうた)はいいやつだよ」

「うん、知ってる」

 いつもその場を明るくしてくれて、わたしの恋も応援してくれて、颯太くんは最高の友だちだと思う。

「葵のこときっと幸せにしてくれると思う」

「え……」

「もし葵が前を向けて、新しい恋をするなら颯太がいいな、俺は」

「な、なんで? 伊織はいいの?」

「だってさ、葵はひとり嫌いでしょ? 颯太なら葵を寂しくすることはないと思うから」

「わたしは、伊織が好きだよ。ずっと」

 今度はすんなり出てきて自分でも少しびっくりする。
 伊織は笑って、ありがとうと言った。



「海も楽しかった。
 でも、颯太のやつほとんどひとりで焼きそば食べやがって」

「それ、まだ根に持ってるの?」

「あたりまえだよ! 
 海で食べれる焼きそばはそのときだけじゃん?」

「あはは。相変わらずだね、伊織は」

 こんな風になっても変わらないで話してくれる。
 そんな伊織の優しさがどうしようもなく好きだ。



「あと、葵に好きって言われたの正直めちゃくちゃうれしかった。俺、言うつもりなかったから」

「……」

 言うつもりなかったってどういう意味だろう?
 すると、わたしの疑問を読み取ったように話す。

「彼氏にはなれなくてごめん。嫌だろ? 
 途中で彼氏がいなくなるなんて。
 だから、俺はこの関係に名前なんて付けたくなかった」

「……わたしのため、?」

 たしかに、関係に名前をつけてしまったらきっとわたしは前に進めなくなる。
 一生彼氏つくれなくなる。
 いまでも当分はつくれないと思うけど。
 ずっと、引きずってしまう。

 全部わたしのためだったんだ、と知る。



「でも、いちばんたのしかったのはやっぱり花火大会」

 わたしも同じこと思ってた。
 めちゃくちゃたのしかったな。


「花火大会の金魚すくい俺めちゃくちゃ上手かったよな?」

「それ自分でいう?」

「ほんとのことだし!」

 伊織は空の星を眺めながら、明るい声を出す。
 最後までわたしを笑わせようとしてくれるなんて。



「あと、花火。俺、一生忘れない」

「……わたしも」

 あれはいちばん忘れたくない想い出。
 めちゃくちゃ綺麗だった。
 もうたぶん同じ花火は見られないんだろうな。


 少し目線を下に下げていると、名前を呼ばれる。
 なに? と伊織の方を向く。

「お誕生日おめでとう。
 葵の誕生日を最悪な日にしてごめん」

 ううん、とわたしは首をふる。

「わたしのほうこそ、伊織の未来を閉ざしてしまって……」

 ごめん、ごめんなさい、と謝る。
 いくら謝ったってもう起きたことは取り消せない。
 伊織の未来は戻ってこない。

 しんみりとした顔になっていると、伊織がわたしのことを呼ぶ。
 そして、手をほっぺにあてて「ほら、笑ってるときっといいことあるよ。って葵が教えてくれたことだよ」とにっこり笑った。

 だから、わたしも頷いて同じように笑った。


 不思議。伊織と出逢ってからまだ半年も経ってないのに、数え切れないくらい想い出が溢れてくる。
 このままずっと話していられるくらい。







「伊織はわたしと会ったことあったんだね」

「え?」

「桜の妖精さんから見せてもらった夢で見た」

 小さい頃、男の子と会ったことは憶えていた。
 話した内容までは思いっきり忘れていたけど。
 それに、わたしはその子の名前を聞かなかったし、転校しちゃったからこの街に戻ってくるとは思ってなかった。


「……すぐわかった。葵、変わってなかったから」

「どうせ、成長してないですよ」

 少しむくれた顔をする。
 そんなわたしに伊織は少しおどけて笑う。


「あの頃から、葵の笑顔が大好きだった。
 俺はあの笑顔に何度も救われた」

 なんでそういうこと普通に言うかな。
 少し顔を赤く染めた。



「これよかったら読んで」

「手紙?」

「そう。どうしても形に残したくて。
 俺からの最期の願いが書いてあるから。
 俺がこの世界から消えた後、必ず読んでほしい」

 消えるなんて言わないで。
 ずっとわたしのそばにいてよ。

 この願いは叶わないし、伊織を困らせるだけだからわたしは言葉を飲む込んで、違う言葉を出す。

「……わかった」

 伊織からもらった手紙は水色の封筒に入っている。
 わたしのいちばん好きな色だ。

『わたし、水色が好き。この海みたいに綺麗で透き通ってるものが好きなんだ』

 海に行ったときのことを、憶えててくれたんだ。




「もうすぐ終わりだね」

 伊織が悲しげに呟く。

 時計を見てみると、針はもうすぐ12時を指す。
 つまり、わたしの誕生日は終わりで、伊織はもうこの世界から本当に消えちゃう。

 でも、あと少し。もう少しだけでいいから。
 まだ終わらないで。  
 まだ伊織の隣にいたい。

 そう願っても、わたしの願いなんか無視して時計の針は確実に進んでいく。



「やっぱ時計は止められないな」

 伊織が時計の針を見ながら苦笑する。

 いつの日か伊織が言っていたお願いごと。
 やっぱりそれだけは叶わない。

 あのときは、そうなったらいいなって軽く思っていたけど、いまなら強く思う。
 この瞬間を止めて永遠にしてくれればいいのにって。





「あおい」

 優しく名前を呼ばれた瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。
 いままでとは違う強さで少し苦しいけど、いまはこれくらいがちょうどいい。
 伊織の体温が温かくて心地よくて泣きそうになる。

「葵の人生最期のときまで傍にいられなくてごめん」

「……うん」

「でも、俺の人生最期のときに葵が傍にいてくれてよかった」

 桜の妖精にも感謝しなきゃな、と呟く。


「ずっと葵の幸せを願ってるから」

 伊織、ごめんね。
 わたしまだ思ってること上手く伝えられてない。

 伝えないとって思ってもまた涙が頬を伝ってきて、なにも言えない。
 でも言わないと。

『伝えたいことは言葉にしないと伝わらないよ』

 そうだ。
 伊織と過ごせるのはたぶんあと一分もない。
 言わないと。最期に伝えたいこと。

「伊織! わたしのことを護ってくれてありがとう。
 伊織がいたから変わることができた。だいすきだった。
 正直言って、伊織がもうこの世界にいないんだって実感ない。だけど、わたしちゃんと前を向くから。
 親に本当は先生になりたいってちゃんと伝える!
 まわりのことだけじゃなくて自分のことも大切にする」

 必死で言葉を紡ぐ。

 伝えたいことは全部ちゃんと伝えられた。

 だけど、あと少し。もう少しだけ。待って。
 まだこの暖かい腕の中にいたい。
 まだ伊織の鼓動を聴いていたい。
 伊織がまだ生きてるって感じたい。


「いかないでよ……伊織」

 最後にぽつりと出た本音。


 そんなわたしの声を聴くと、伊織は優しく笑って、

「これからもずっと笑ってて」

 耳元で伊織の優しい声が聞こえた。


 気づいたらわたしを抱きしめる力強い腕はなくて、暖かい温もりだけがわたしの胸の中に残っていた。