あてもなく、僕らは歩いた。

 進む方向さえ決めていなかった。
 けれど駅前だと人が多くて疲れるのか、無意識のうちに、僕らはそこから離れていった。

 そうしてコンクリートで舗装された平らな道を、南へ向かって歩いていく。

「どうする? 港の方まで行く?」

 かなり歩いたところで、僕は聞いた。

 このまま歩き続ければ、いずれは海に出る。
 港周辺には娯楽施設や商業施設などが集まっているので、そこまで行けばまた何かしらの店に入って休むことができる。

 逢生ちゃんは無言のままだったけれど、こくりと小さく頷いて、僕の提案を受け入れてくれた。





 そうして、僕らはやはり歩き続けた。
 次第に日は西へと傾いて、ほんのりと赤みを帯びてくる。

 やがて視線の先に、港の景色を象徴する大きな観覧車が見えた。
 日没前の今はまだそれほど目立ってはいないけれど、夜になって電飾が点灯すれば、この観覧車は鮮やかな色を発して観光客を魅了する。

「……ここへ来るのは、久しぶりです」

 それまで黙っていた逢生ちゃんが、思い出したように言った。

「そうなんだ。何年ぶりくらい?」
「わかりません。中学くらいまではよく来ていたんですけれど……父と、二人で」

 父、というワードを引き出させてしまったことに、僕は後悔した。
 彼女の過去を探ろうとすると、どうしても父親のことに触れてしまう。

「ごめん。聞かない方が良かった?」
「いいえ。私から話し出したことですから。……むしろ、私の方こそごめんなさい」
「え?」

 いきなり謝られて、僕は間抜けな声を漏らした。

「私、子どもみたいですよね。泣いたり、怒ったり。それから……あなたに八つ当たりみたいなことをしてしまって」
「八つ当たりだなんて、そんな。君に関わろうとしたのは僕の方なんだから」

 何の関係もないくせに、横から口を出したのは僕の方だ。

 昨日の昼間、あの駅で、もしも僕が彼女の邪魔をしたりしなければ、彼女はこんな風に悩んだりしなかったのに。

「……でもね、結人さん」

 僕の隣を歩きながら、彼女は絞り出すように言った。

「私、あのとき、邪魔しないでって言ったけど……。本当は――」

 彼女はさらに小さな声で、

「……嬉しかったのかも、しれません」

 そんな彼女の告白に、僕は足を止めた。

「本当に?」

 僕が聞くと、彼女は数歩先で立ち止まって、こちらを振り返った。

「たぶん、……ね」

 顔の半分を夕焼けの色に染めながら、彼女は確かに言った。 

 けれど。

「本当に、本当? ……じゃあ、もう自殺する気はないってこと?」
「そう……だと、思っています」
「本当に?」
「……なんで、そんなに聞くんですか。そんなに私に死んでほしいんですか?」

 僕がしつこく聞くと、彼女は膨れっ面をしてみせた。

「いや、そういうわけじゃないけど」

 僕が否定すると、途端に彼女は「冗談ですよ」と言って笑ってみせた。

 そのやわらかな笑顔に、僕はホッと胸を撫で下ろす。
 彼女が生き延びてくれるのなら、それ以上に嬉しいことはない。

 けれど。
 僕は、信じられなかった。

 だって、いま僕の目に映っている彼女は、頭から大量の血を流しているのだから。

 もちろん、これは今現在の姿じゃない。
 これは僕の目を通して視える、彼女の未来の姿なのだ。

 つまり僕の目に狂いがなければ、彼女はこれから七日以内に死ぬことになる。

 彼女にはまだ、自殺する可能性が残っているのだ。

「……正直、父のことはまだ引きずっていますよ。でも、だからって自殺なんかしちゃったら、父が悲しむかもしれないから……結人さんの言う通りです。だから私、考え直してみます。父のことも吹っ切れるように、これからの人生を楽しめるようにしないと」

 そんな風に強がってみせる彼女に、僕は一抹の不安を覚えた。

 それまで暗い気持ちでいた人が、打って変わって明るい態度を見せる――これは俗にいう躁鬱状態ではないのだろうか、と。

「ねえ結人さん。観覧車に乗りませんか?」
「え?」

 妙にテンションの上がっている彼女はそう言って、長い黒髪を揺らしながら、くるりと身体を反転させた。
 そうして南の方角に見える大きな観覧車を見つめる。

「昔、父とあれに乗ったことがあるんです。だから、久々に乗ってみたいなって」
「それは、僕は別にいいけど……。いいの? 僕と一緒に乗っても、たぶん楽しくはないよ? 下手したら、乗ってる間はずっと無言になるかも……」
「いいんですよ」

 彼女はこちらに背を向けたまま、

「私、友達が少ないので……一緒に乗ってくれそうな子がいないんです」

 そう、寂しそうに肩を落とした。

 その小さな背中に、僕は何と声をかけていいのかわからなかった。

 もしも僕が彼女の父親だったなら、迷うことなく、その小さな背中を抱きしめていただろう。
 けれど僕は父親じゃないし、彼女をよく知る友人でもない。

 だから、僕は動けなかった。

 ただ、一緒に観覧車に乗ること――今の僕が彼女にしてあげられることは、それだけだった。