その日のすべての受講を終え、帰路に就く。

 今日はバイトもないし、せっかくだからカフェにでも寄っていこう――なんて考えながらふと視線を上げると、見覚えのある人物の姿が目に入った。

「……あ」

 校舎の屋上に、一人の少女が立っている。

 長い黒髪に、薄手のカーディガン。
 顔はよく見えないけれど、たぶん、間違いない。

「また、あの子か」

 思わず呟いていた。

 昼間の、駅で会ったあの女の子だった。

 まさか同じ大学に通っていたとは――じゃなくて。
 あの自殺志願者があんな場所に立っているということは、つまり、これから飛び降り自殺でもするつもりなのだろう。

 さすがに、自分の通っている大学で自殺があったとなると体裁が悪い。
 特に、僕のような就職活動真っ只中の学生にとっては尚更。

「ちょっと、待って」

 およそ聞こえるはずのない弱々しい声を発しながら、気がつけば僕はまた、彼女の方へと駆け寄っていた。
 といっても、さすがに今から屋上へ向かっても間に合わない。
 僕は、彼女が飛び降りようとしている先――ちょうど彼女の落下地点となるべき場所へと走った。

 すると彼女も僕のことに気づいたのか、どこか一点だけを見つめていた彼女の顔が、ふっとこちらに向けられた。

 遠くてよく見えないけれど、その小さな頭からは赤い血が噴き出ているように見える。
 これもおそらくは未来の姿――屍の様子なのだろうけれど。

「また、あなたですか」

 咎めるような声が、上から降ってきた。

「どいてください。危ないですよ」
「危ないことをしようとしてるのは君の方だろ」

 僕の声が聞こえたかどうかはわからない。

 彼女はしばらく何かを考えるように固まっていたけれど、やがてハッとしたように周囲を見渡した。

 つられて僕も辺りを見回す。

 すると、僕らの周りにはいつのまにか人が集まっていた。
 軽く十人はいるだろうか。
 遠巻きに、警戒するようにこちらの様子を窺っている。

 そこで僕はちょっと緊張した。
 人に注目されるのはあまり得意じゃない。

 無言のまま、それらの視線を受け止める。
 そんな微妙な空気が数秒流れた後。

 飛び降り自殺を図ろうとしていた女の子は、ゆっくりとその場から後退したかと思うと、次の瞬間にはこちらに背を向けて走り出していた。
 まるで追手から逃げるような挙動だった。
 人が多くなってきたせいだろうか。
 とりあえず、出直すことにしたのだろう。

 そんな彼女を眺め終えてから、僕はまたしても胸の内で呟く。

 もしかすると彼女も、僕と同じくらい人が苦手なのかもしれない――と。





       〇





 また、邪魔をしてしまった。

 バスの車窓から見える街の夕景を眺めながら、後悔の念と罪悪感とに苛まれる。

 これだけ彼女の自殺を妨害しておきながら、このまま何事もなかったかのように僕は普段の生活に戻る――そう考えると、一体僕は何だったのだろう、という気分になる。

 何の意味もなく、ただ彼女の邪魔をした。
 それは、僕が最も忌み嫌っていたはずの行動だ。

 誰かと関わりを持つのなら最後まで。
 それができないのなら、最初から関わるべきじゃない――と、そう思っていたのに。

 けれど、このまま終わりだという予感は、なかった。
 上手く言えないけれど、第六感のようなものだった。

 僕は昔から、なんとなくだけれど、予感めいたものを感じ取ることがある。
 人の死を予見できることに通ずるものがあるのかもしれない。

 僕はまた、あの女の子と出会う――そんな予感があった。