今から四か月前。
 母の葬儀が終わって、数日が経った頃。

 僕は死のうと思っていた。

 どうせなら派手な死に方が良いと思った。
 真っ赤な血を散らせて、第一発見者にトラウマを植え付けるくらいの。



  駅前の店で丁度いいナイフを見つけたので、それを買った。

 家にある包丁は錆びてしまっているから。
 一息で死ぬためには、できるだけ切れ味の良いものを使いたい。



       ◯



 夜になって、帰りの電車に揺られながら窓の外を見つめていると、ふと自分の死顔がそこに映っているのに気がついた。

 あまりはっきりとは映っていないのでわかりにくいけれど、そこに視える僕の顔には、べっとりと大量の血が付着していた。

 頸動脈を切ると、勢いよく血が噴き出すと聞いている。
 やはり派手に死ぬのならこれくらいでないといけない。

 そんなことを考えていると、どこからか、誰かのすすり泣く声が届いた。

 見ると、近くの椅子に座っていた大学生くらいの女の子が、スマホを片手に泣いている。

 髪の長い子だった。
 誰かと話しているらしい。

 途切れ途切れに紡がれる女の子の言葉を聞いていると、どうやら父親の訃報があったようだ。

 きっと良い父親だったのだろう。
 女の子はひっきりなしに嗚咽を漏らしている。

 こんな風に泣いてくれる人がいるなんて、その父親は幸せ者だな――と、少しだけ羨ましくなってしまう。

 僕にはこんな風に泣いてくれる人なんていない。
 友達もいないし、親戚とも疎遠になっているから。

 もしも母が生きていたなら、母だけはきっと泣いてくれたのだろうけれど。

  ――結人が先生になったところ、見てみたかったなあ。

 不意に、母の言葉が思い出された。

  病床で呟くように言っていた。

 そんな母の願いは、結局叶わなかった。
 母はもう逝ってしまったし、それに、僕はもう試験なんて諦めている。

 たとえ教師になったところで、その結果を見せたかった相手はもういない。
 だから試験勉強なんてとっくの昔に放棄していた。

 もう、いつ死んだっていい。

 死ぬつもりでいた。
 準備も万端だった。


 なのに、どうして。


 どうして今になって、こんなにも母の顔が思い出されるのだろう。

 近くの椅子で泣いている女の子の声が、まるで母の泣き声のように聞こえてしまう。





       ◯





 僕は堪らなくなって、次の駅で降りた。
 自宅の最寄り駅はまだ先だったけれど、耐えられなかった。

 目頭が熱い。
 こんな場所で、一人で泣きそうになっている。

 頭の片隅で母が言っている。

 ――応援しているからね、結人。

 僕が教師になって、立派に生きていけるようにと、母が言っている。

 せっかく死ぬ覚悟を決めていたのに。
 これで終わらせられると思っていたのに。

 でも。

 母が応援しているから、僕はまだ死ねない。

 少なくとも、自殺だけはだめだ。
 母が、ここまで僕を育ててくれたのだから。

 それに、どうせいつかは死ぬのだから。

「......わかったよ、母さん」

 母がそう願うのなら、抗えない運命の日がやってくるまで。

「もう少しだけ、がんばってみるよ」

 僕が本当の屍になる、その日まで。

 弱々しく呟いた僕の声は、走り去る電車の轟音に掻き消された。






(終)