君の屍が視える

 
 僕のことが心配だからと、逢生ちゃんはもう少しだけ一緒にいてくれることになった。

 年下の女の子から心配されるなんて、一人の男として本当に情けない。
 もともとは僕が彼女を守るつもりで関わりを持ったはずなのに、いつのまにこうなってしまったのだろう。

「ねえ、結人さん。もう一度港の方まで行ってみませんか?」

 隣を歩く彼女はそんな提案をして、ぱっちりとした瞳でこちらの顔を覗き込む。

「港?」

 僕はあまり乗り気ではなかった。
 あの場所には、あまり良い思い出がない。

「大丈夫ですよ。もう観覧車には乗りませんから」

 そう先回りして、彼女は苦笑した。

 そして、

「私のことも、心配しなくて大丈夫ですよ。もう、自殺したりなんかしませんから」

 僕の一番恐れていることを、彼女は否定する。

「本当に?」

 どこにも保障なんてない。
 人の命は、失われてしまったらそれで終わりだ。
 決して取り戻すことはできない。

「本当に、本当ですよ。……どうすれば信じてもらえますか?」

 このやり取りも二回目だ。

 一回目は先週のこと。
 彼女が初めて自殺を否定したときのことだった。

 あのとき、僕は彼女の言葉が信じられなかった。

 そして今回も。

 僕はあの日から何も変わらず、ずっと彼女の心を疑い続けている。

「……逢生ちゃんはさ、お父さんの気持ちがわかるって言ったよね。死んだ人間の、後を追う人の気持ちが」

 先ほど逢生ちゃんの言っていたことを、僕は口にした。

「それはやっぱり、逢生ちゃんもまだ自殺を考えているってことじゃないの? 自分も死んで、お父さんのところへ行こうとしているんじゃないの?」
「違いますよ」

 少し強めの口調で、彼女は否定した。

「確かに私は……先週までの私は、父に執着していました。きっと私は、自分の手の届かないものをこの手で掴みたかったんだと思います。父が生きていた頃から、私も何となくわかっていたんです。父の心はもっと遠いところにある。私の手の届かないところにあるって。だから……父が死んでから、私も手を伸ばそうとしたんです。遠くへ行ってしまった父の手を、私も掴みたかった。でも――」

 そこで一度切ると、彼女は長い黒髪を揺らして、涙を浮かべた瞳で、僕の方を見上げた。

「でも、あのとき……駅のホームで線路に飛び込もうとしていた私の手を、あなたは掴んでくれたでしょう?」

 言われて、僕は思い出す。

 彼女と初めて会った日。
 明らかに死ぬ気でいた彼女を、僕は引き留めた。

「最初は驚きました。どうして見ず知らずの私の手を掴んでくれたんだろうって。でも、どうせ正義感とか使命感とか、その場の成り行きとかで掴んだんだろうなって思いました。結人さん自身も、キーホルダーがどうとか……曖昧なことを言っていましたし」

 その点については僕も弁解しようがない。
 事実、キーホルダーがなければ僕は彼女を見殺しにしていたかもしれないから。

「でも、ね」

 彼女はそう言って、ほんの少しだけ足を速めたかと思うと、今度は僕の前へ先回りして、そこで立ち止まった。

 彼女のぱっちりとした瞳が、僕を正面からまっすぐに射貫く。

「あなたに何度も引き留められるうちに、私の心境も変わっていったんです。この人は私のことを見てくれている。守ってくれようとしている。そう思ったから、私……あなたのことをもっと知りたいって思ったんです」

 僕は足を止めて、同じようにまっすぐ彼女を見つめていた。

「あなたのことが気になるから、私は……あなたのそばにいたいと思ったんです。だからもう、自殺なんてしません。……信じてもらえませんか?」

 そんな彼女の思いに、僕は水を浴びせられたような感じがした。

 胸の内でずっともやもやとしていたもの。

 なぜ彼女を引き留めたのだろう。
 なぜ彼女のことが気になるのだろう。
 なぜ彼女に生きていてほしいのだろう。

 もともと人付き合いが苦手で、『普通』の接し方を知らない僕にはわからなかったけれど。

 今、やっとわかった気がする。

「……僕も、一緒にいたい」

 なんてことはない、人間らしい感情だったのだ。

「僕は、ずっと君と一緒にいたい。君のことが、好きだから」

 好きだからこそ一緒にいたい。

 大切だから。
 守りたいから。

 そんな僕の強い思いは、彼女には重荷かもしれないけれど。

 けれどいつか、もしも彼女が僕と同じように、強い思いを抱いてくれるのなら。

 彼女はずっと、僕のそばで生きていてくれるのかもしれない――と、初めてそんな風に思った。