君の屍が視える

 
 暗い夜道を走りながら、僕は彼女に電話をかけた。
 しかし繋がらない。

 一体どこにいるのだろう。
 見当もつかないが、僕は自然と街の中心を目指していた。

 途中、人混みを掻き分けていると、あちこちに屍がうようよとしているのが目についた。

 血まみれの老人。
 全身が真っ黒焦げになった家族連れ。
 首のないサラリーマンにキスをする女。
 透明人間。

 今日はやけに屍が多い気がする。

 いや、それでなくとも。

 死は、常日頃から身近に存在するものなのだ。
 今はただ僕が過敏になっているだけで、特別なことは何もない。

 だからやはり、僕は彼女が心配だった。

 もともと他の誰よりも死に近い場所にいたのだ。
 そんな彼女が自分自身を責めるようなことがあればどうなるか。

 最悪の事態を頭に浮かべていると、ちょうど駅前の歩道橋に差し掛かったとき、そこから駅のホームが見えた。

 歩道橋と並列するようにして伸びる、高架上の線路。
 そこに鮮やかなピンク色をした物体が視える。

 そこで僕は、足を止めた。

 もしやという予感があった。

 そうして吸い寄せられるようにして、ゆっくりと歩道橋の端に寄る。

 そこから視えたのは、バラバラになった人の肉片と、かろうじて原型を留めている白い腕だった。
 線路の上に、人の轢死体が転がっている。その美しい屍には見覚えがあった。

「逢生ちゃん……?」

 駅で騒ぎになっていないところを見ると、この屍はまだ存在していないものなのだろう。
 おそらくは僕の目だけに映っている、近い未来の光景なのだ。

 思い返せば、逢生ちゃんと初めて会ったのもこの駅のホームだった。
 彼女は今度こそ、ここで命を絶つつもりなのかもしれない。

 確信めいたものを感じ取り、僕は駅の改札へと急いだ。


 


       〇





 それから、僕はひたすら待った。
 駅のホームの片隅で、それらしき人物をずっと捜していた。

 待ってさえいれば、彼女と会える――そんな予感があった。

 けれど、いくら待っても彼女の姿は見えなかった。

 まさかこんなときに限って僕の勘が外れるのではないか、なんて嫌な予想をしてしまう。



 そのうち終電時刻を過ぎ、駅員によって僕はホームから追い出された。


 


       〇





 仕方なく歩道橋の方へと戻り、そこから高架上を覗く。

 やはり、線路の上には人の轢死体が散らばっている。

 きっと、彼女はここへ来る――それだけを信じて、僕はじっと待っていた。





 歩道橋の端に腰を下ろし、スマホで時刻を確認する。

 午前二時。

 次第に気温はどんどん下がり、僕の全身を凍らせていく。

 寒い。
 辺りは静かだ。
 逢生ちゃんは来ない。

 再び電話を掛けてみたものの、やはり応答はなかった。

 彼女は今、一体何を考えているのだろう。

 そして僕は、一体何をしているのだろう?

 僕は彼女の何なのだろう。
 やはり、彼女を傷つける存在でしかないのか……。

 そんな考えがぐるぐると頭を巡っているうちに、時刻は朝方へと近づいていた。

 寒い。
 けれど、全身の震えはいつのまにか止まっていた。

 感覚がない。
 意識も段々と遠退いて――そして。

 声が、聞こえた。 

 ――結人。

 誰だろう。

 懐かしい声。

 ――結人。

 聞こえてるよ。

 でも、眠いんだ。





「結人……さん」

 三度目の呼び声に、僕は目を開いた。

 そこで僕は、自分がいつのまにか眠ってしまっていたらしいことに気がついた。

 そうしてゆるゆると視線を上げると、目の前には、今にも泣きそうな女の子の顔。

 白い肌に、ぱっちりとした瞳。
 長い黒髪は艶々として、ふわりと風に揺れている。

 待ち焦がれた彼女――逢生ちゃんの姿が、そこにあった。

「……いつから待ってたんですか」

 涙声で彼女が言う。

「風邪ひきますよ……っ」

 くしゃりと顔を歪めて、彼女は必死にこちらへと訴えていた。
 怒ったような顔をしているけれど、彼女なりに僕を心配してくれているようだった。

 できることなら、今すぐにでも彼女をこの手で抱きしめたかった。
 けれど身体が言うことを聞かない。
 まるで金縛りにでも遭ったかのようだった。

「っ……」

 声を出そうとしても、うまくいかなかった。

「え、何ですか……?」

 逢生ちゃんが耳を寄せてくる。

 僕は出せる限りの力を振り絞って、

「……無事で、よか……た……」

 あまりにも弱々しい僕の声は、彼女に届いたのかどうかはわからない。
 けれど、伝えたかった言葉の通り、彼女が無事でさえいてくれればそれだけで良かった。

 彼女の身体を見る限り、今はどこにも死相は現れていない。
 あの線路上に散らばっていた肉片も、今ごろは消えていることだろう。

 それにしても、眠い。

「結人さん……?」

 せっかく彼女に会えたのに申し訳ないけれど、僕はもう、それ以上起きている余裕がなかった。

「結人さん!」

 彼女の声を遠くに聞きながら。

 僕はそのまま、ずるずると深い睡魔の波に飲み込まれていった。