成田さんと約束を交わした日から、僕はできるだけ成田さんの傍にいるようにした。
クラスメイトとも話すようになった。
友達と呼べる人も増えた。
だけど、優先順位は成田さんがいちばんで、僕自ら成田さんに話しかけ近づく。
「瑞季くんわたしのこと大好きだね」
なんて茶化してきた時にはむっとしたけど、それでも彼女の傍を離れたくないと思った。
成田さんと関わってから、僕が僕じゃないみたいだな。
らしくないことばかり。
僕は成田さんと一緒にいたい。
でもそれ以上に成田さんに生きてほしいと願っている。
この数日間で、僕は考えたことがある。
成田さんの運命を変える、と。
小学生の運命を変えたように、成田さんの運命を変える。
あの時たしかに小学生の運命は変えられた。
小学生の運命を変えたのは僕だ。
だけどその代わりに別の人の運命まで変わってしまい、結果を変えることはできなかった。
神の決めた運命は絶対でそのしわ寄せが誰かにいくというのなら、それを受けるのは……。
「瑞季くん、帰ろう!」
放課後になり成田さんが声をかけてくる。
返事をしてからカバンを持って立ち上がった。
「あれ、ジローと木下さんは?」
「ふたり仲良く補修だって」
「あー、この前のテストの」
「そうそう。学年通してふたりだけだったみたい」
「仲良すぎだね」
補修だとしてもジローは木下さんとふたりで喜んでいそうだな
木下さんはたしか回答欄がずれていただけだったみたいだけど。
補修を受けると決まった時、この世の終わりかと思うほどのリアクションをとっていて笑った覚えがある。
「ほんとに。わたしたちも負けないくらい仲良しだけどね」
「そうなの?」
「えぇ!?違うの!?」
出た、オーバーリアクション。
芸人ばりの反応に小さく吹き出す。
「帰ろう。家まで送るよ」
「え、せっかくだからどこか寄ろうよ」
「今日と明日は家でおとなしくしといて」
「えー」
「そのあとは成田さんのしたいこと、何でも付き合ってあげるから」
「瑞季くんがそう言うなら……。んー、何してもらおうかな?」
顎に手を当て考え始める成田さんを見てから歩きだす。
今の成田さんの余命は【1.1】だ。
1年と1日。366日。
試したことはないし試してもらうつもりもないけど、成田さんは1年単位でしか渡したことがない。
たぶん、1年ずつしか渡せない。
そうなれば1年切ってしまえば、成田さんは余命を渡す能力を使えない。
使えないならそこからは規則正しく減っていくだけ。
成田さんの余命が尽きる時、僕がどうにかして変える。
代わりは僕がなってでも。
だから今はむしろ、早く1年切って成田さんの能力を使えないようにしたい。
「瑞季くん、どっか旅行行こうよ」
「どっかって?」
「海外!はさすがに高校生のお小遣いじゃ無理だよね」
「日本語も上手に話せないのに無謀でしょ」
「怒るよ!!」
顔を見なくてもわかる。
成田さんはきっといつものようにわざとらしく頬を膨らませて拗ねている。
少し後ろを歩く成田さんを振り返れば、予想通りの表情をしていた。
ほんと、わかりやすい。
クスっと笑いをこぼすと成田さんは唇まで尖らせた。
この表情を何度見ただろうか。
何度見ても、笑ってしまう。
「その顔いいね」
「怒ってるの!」
「そうなんだ」
「もう!」
成田さんが僕の前に回り込む。
余命があと1年しかないとは思えない。
このままずっと笑っていてほしい。
きっと変えるから。
「で、旅行だっけ?」
「うん。まぁ、現実的に考えて日帰りかな」
「いいよ」
「やったね」
どこに行きたいかとか話しながら成田さんの家に向かって歩く。
もう慣れた道。
何度もここを成田さんと歩いた。
「やっぱ都会行きたいな。買い物したいし、おしゃれなカフェにも行きたい」
「したいことたくさんだね」
「うん!美玲もジロちゃんも一緒だともっと楽しいよ」
成田さんは笑顔で頷く。
ほんと人生楽しんでいる。
そんな成田さんを見ると、僕も少しだけ楽しい気持ちになる。
これもぜったいに、本人には言わないけど。
「送ってくれてありがとう」
「うん」
「計画立てとくからね」
「わかった。じゃあね」
「また明日」
成田さんが大きく手を振る。
僕も手を振り返して、成田さんが家に入るのを待つ。
完全にドアが閉まるのを確認してから歩き出す。
あとは僕も家に帰るだけ。
……旅行か。
友達と遠出とかしたことない。
成田さんがいたらいろいろハプニングが起こりそうだな。
ジローと木下さんもやらかしそう。
だけど、それすら笑顔に変えてしまうんだろう。
想像しただけで自然と口角が上がる。
ひとりで笑ってるなんて気持ち悪いな。
そう思いつつも抑えられなくて、少し俯き手で口元を隠す。
―――ガタッ
建設中のマンションの横を通った時、頭上から音が聞こえて顔を上げる。
視界に入ったのは揺れている鉄骨。
おいおい、やばいな。
落ちてきそうな鉄骨を見て危機を感じ、マンションから離れる。
「あ、ダンゴムシだ」
「帰るよー」
スモッグを着た幼稚園の男の子が、僕がさっき危機を感じた場所で止まる。
お母さんはお腹が大きいから、妊娠しているらしい。
振り返って男の子に声をかけるけど、男の子はダンゴムシに夢中だ。
「帰ってご飯食べよう」
「まって、つかまえる」
お母さんに声をかけられてもその場を動かない。
「うわぁ!!」
「やばい!!」
男の子を見ていると上からそんな声が聞こえた。
見上げると鉄骨がぐらっと傾いて落ちる。
職人らしき人の顔が米粒くらいの大きさで見えた。
焦って鉄骨の落ちるであろう経路を瞬時に目で追うと、そこにはまだダンゴムシに夢中の男の子。
「よーちゃん!!」
気づいたお母さんの叫び声で男の子が顔を上げる。
けど、お母さんは身重な体なため動きが遅い。
それよりも先に動き出していた僕のほうが男の子に近い。
だけどその時にはすでに鉄骨は地上3メートルほどまで落下している。
すべてがスローモーションに見えるけど、思考だけは早く回っていた。
何とか鉄骨と男の子の間に入り、男の子を思いきりお母さんのほうへ突き飛ばす。
【72.301】
男の子に触れた瞬間に見えた数字は多くて安心した。
あの子は大丈夫だ。
よかった。
そう思ったのもつかの間、今まで感じたこともない衝撃に襲われ、世界が真っ暗になった。
――もっと人生楽しもうよ!
――瑞季くんが楽しそうでうれしい。
――命は命だよ。重いも軽いもない。
――わたしの勝ち。頑張って1年生きろ。
――救える命は救いたい。
――瑞季くんの力はすごいよ。
――死にたくないなぁ……。
――ん、約束。
成田さんの声が聞こえる。
これは夢?
いや、いつかの記憶か。
――瑞季くん!
君に名前を呼ばれるのは嫌いじゃない。
いつも僕の名前を呼んで、満面の笑顔の成田さん。
成田さんの周りはいつも明るくて笑顔であふれている。
僕は君と出会って、たくさんのことを知ったよ。
もっと一緒にいたいんだ。
一緒に生きていたいんだ。
――またね。
成田さんが大きく手を振って背を向ける。
胸が苦しくなって、息ができなくなる。
嫌だ。
今離れると一生会えない気がする。
そんな思いで手を伸ばすけど成田さんには届かない。
成田さんの姿は闇に紛れて見えなくなる。
会いたい。
成田さんに会いたい。
会いたい――。
ゆっくりと目を開ける。
眩しい光にすぐ開けた目を細めた。
そして少し慣らしてから再び目を開ける。
「瑞季!?」
「瑞季、わかる!?」
お父さんとお母さんの顔が映りこんできた。
ここはどこだろうか。
「先生呼びましょう」
「よかった。瑞季、本当によかった」
お母さんが何かを押す。
だんだんとはっきりとしてきた意識で、この鼻につく匂いや天井で病院だと気づいた。
「瑞季覚えてるか?お前、子どもをかばって自分が鉄骨の下敷きになったんだよ」
「意識不明の重体だったのよ」
そうだったのか。
そういえば、鉄骨が落ちてきて子どもを突き飛ばしたところまでは記憶にある。
そのあとは何も……。
「丸1日寝てたんだから」
「い……ゴホッ……」
「あ、水飲む?」
言葉を発そうとしたけど、上手く声が出なかった。
お母さんに支えられながら体をゆっくり起こす。
正直、痛みはある。
でも思ったよりも大丈夫そう。
水を一口潤す程度に、と思ったけど喉が渇いていたみたいでいっきに飲んだ。
「今、何時?」
「もう夜だよ。明日には退院できるかな」
お母さんの言葉通り、お医者さんが診に来て明日には退院となった。
でも当分、通院はしなくてはいけない。
それほど僕は重体だったようで、生きていることが奇跡らしい。
「あ、そういえばかわいい女の子がね……」
お母さんが何か言っている。
でも僕はまだ万全ではなく意識が朦朧としてくる。
いろいろ考えたいことがあったはずだけど、まだ体がだるかったこともあり抗わずにそのまま眠りについた。
次の日、退院をして家に帰る。
右足の骨が折れていたみたいで松葉杖が必要だけど、それ以外は打撲だったり擦り傷だったりで平気。
両親も医者も本当に安堵していて、そこまで心配するほどだったのか?と疑問に思った。
スマホを見ようとしても充電が切れていたため、充電器に差してから起動させる。
そこで目を疑った。
すごい数の着信がジローと木下さんから入っていた。
どうしたんだろう。
僕が病院に運ばれたこと知ってるのか?
とりあえずジローに折り返す。
「あ、もしもし。すごい着信だったけどどうかしたの?」
『…………』
通話中のはずなのに返事がない。
不思議に思い首を傾げる。
「ジロー?」
『……落ち着いて聞け』
『……うっ……ふぅ……』
ジローの今までに聞いたことがないほどの低い声。
それに、後ろから嗚咽のような声まで聞こえる。
泣いているところを見たことはないけど、木下さんの声に思う。
心臓が嫌な音を立て始めた。
今日見た嫌な夢を思い出す。
聞きたくない。
耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
心臓が飛び出すかと思うくらいに動いている。
『……花純が死んだ』
「……………え?」
頭が真っ白になる。
嘘、だろ……。
聞き間違い?
「嘘……」
『こんな嘘つかねぇよ……』
ジローの声も震えている。
電話口の向こうでは嗚咽がずっと聞こえている。
「い、いつ……?」
『今日。眠ったまま起きなかった。原因は不明だって』
淡々と、泣くのを堪えるような声で僕に情報を伝える。
今日?
だって成田さんはあと1年余命があるはず。
昨日、1年と1日だったんだから、今日は……。
「っ、」
『明日、通夜が18時からある。じゃあ』
ジローはそれだけ言って通話を切った。
僕はそのまま動けない。
力がなくなりスマホが手から滑り落ちる。
でも、そんなこと気にしてもいられない。
嘘だ。
そんな……。
成田さんはまだ生きるはずなのに。
今日さえ乗り越えれば、誰にも余命を渡せなくなる。
だから、そのあとは僕が変えてやるって……。
「……僕、か………」
ぽつりとつぶやいたと同時に、瞳から涙があふれた。
「~~~~~~~っ!!!」
それはもう止められなくて、声にならない声で叫ぶように泣いた。
僕だ。僕のせいだ。
成田さんは生きられるはずだった。
成田さんにもう余命を渡さないでって約束した。
これからも一緒にいるために。
それなのに、成田さんは死んだ。
きっと僕が昨日、死ぬ運命だったんだ。
男の子を突き飛ばした時、余命は【0】ではなかった。
僕が昨日【0】だったんだ。
本当なら僕が死ぬはずだったのに……。
僕の声に両親が部屋に入って来たけど、そんなことは関係なしに泣き崩れた。
僕は最後に、守りたかった人から守られ、終わらせてしまった。
その現実に耐えられず、喉が潰れるほど泣いた。
彼女はもう、この世界にはいない。
成田さんのお通夜に松葉杖をつきながら行く。
死ぬはずだったんだ。
たしかにこの怪我だけで済んだのは奇跡だよ。
本当なら今日あそこで眠っていたのは僕だったのに。
お通夜にはクラスメイト、先生などたくさんの人が集まっていた。
みんな泣いている。
成田さんの死を悲しんでいる。
僕は抜け殻になったみたいに呆然としていた。
「日野……っ」
声をかけられて振り返る。
そこには目をパンパンに腫らせている木下さんがいた。
「肩貸す?」
「……大丈夫」
3人集まっても重い空気は変わらない。
ここに成田さんがいない。
それが苦しくて胸が張り裂けそうで、呼吸をするだけでやっと。
何も話すことはできずに椅子に座り、お通夜が始まるのを待った。
お経をあげている時も線香をあげる時も、すすり泣く声や嗚咽がずっと聞こえている。
成田さんが愛されていた証拠だ。
僕はもう自分が自分ではないみたいで、ただ時間が過ぎていくのだけを感じた。
眠っている成田さんはあまりにも綺麗で穏やかで、見た瞬間に僕はあふれるものを抑えきれずにここでも泣き崩れた。
そのあとはどうしたのかわからない。
ただ心にぽっかりと穴が開いた。
僕の心は成田さんで埋まっていたのだと気づく。
「……瑞季くんかな?」
聞き慣れない声で名前を呼ばれ、ゆっくりと振り返ると先ほど挨拶をしていた成田さんのおばあさんだった。
僕は頷いて肯定する。
「これ、花純から」
「え……?」
「花純は自分の運命を知っていたようじゃな」
目を細めて微笑んだおばあさんは、やわらかい雰囲気が成田さんにそっくりだった。
おばあさんが差し出した封筒を受け取る。
おばあさんはニコッとまた笑ってから僕に背を向けた。
だけど、やっぱり目は赤くておばあさんもたくさん泣いたのだとわかる。
いろいろな感情に押しつぶされそうになりながら、深呼吸をひとつして封筒を開けた。