「ねぇねぇ、蓮くん」
「なんだよ綾夏」
「んーとね、やっぱなんでもない!」
僕が永田との通話を切って以来、綾夏はこうして数分――いや、数十秒に一回のペースで、こうして何の要件もなくただ僕の名前を呼んでははぐらかす。
僕は本の続きが気になっているのにもかかわらず、何度繰り返されたかも分からないくらいの綾夏の声のせいで一ページも進まないのは、なんとももどかしい。
「なあ、綾夏」
「なーに、蓮くん」
「綾夏、分かってやってるのか。それとも素でそれをやっているのか? もし後者だとしたら相当性格が歪んでしまっていると思うぞ」
「ちょっとー! そんな言い方しなくてもいいじゃん!」
僕の言葉に、綾夏は頬を膨らませている。どうやら少々ご立腹の様子だ。
「それに、分かってるとか、素でやってるとか、蓮くんの言っていることの意味がぜーんぜんわかりませーん」
分からないと言っている割には頬が緩んでいるし、言葉も伸び切っている――これはクロだろうな。
「文芸部員がもう一人いるって分かったからって、そんなにテンションは上がるものなの?」
すると、綾夏はパイプ椅子を飛ばさんかという勢いで立ち上がる。
「逆に、蓮くんは実は部員がもう一人いましたって言われてもテンション上がらないの?」
「どうだろう……。別に嬉しくないわけではないけど、綾夏みたいに他人から見ても明らかにってほどにはならないかな……」
「ふぅーん……もっと喜んでもいいと思うな――だって、人生なんていつ終わっちゃうか分からないんだもん」
「えっ、今なんて?」
「い、いやぁ〜何でもないよ! 早くもう一人の部員に会いたいな〜と思ったの!」
「そんなに会いたいんだね」
「そりゃそうだよ。蓮くんは何度も会ってるかもしれないけど、私にとってははじめての出会いなんだよ! その人との出会いは一生に一度きりなんだから!」
「そ、そっか……」
なんだかたまに綾夏の口から出てくる言葉が重々しく感じてしまうのは一体なんでだろう……。
「その人はあと何分くらいで来るの?」
「どうかな……。電話が終わったのが三十分くらい前だから、もうそろそろ来るとは思うけどね」
実際僕と永田の家は同じ学区内にあるから、通学時間もさほど変わることはないだろう。
「あと少しで着くと思うから、それまでは僕の読書の邪魔をしないでくれよ」
「はいはーい。りょうかーい!」
本当に了解なのかは知らないけど、僕は綾夏から手元の文庫本の文字列に視線を落としていく。
それからまもなくだった。
部室の外から上履きが床と擦れる音が聞こえてくる。
その音は部室の前で止まると、ドアが丁寧に三回ノックされる。
そして「失礼します」と声がする。
「やったぁ! 来たぁ!」
「――綾夏、ストップ」
綾夏はびっくり箱の中身のように入口に飛び出していくけど、僕はそれを止める。
「知らない人が出迎えたらびっくりするだろ。僕が出るから、綾夏は座って待っててよ」
「はーい。わかりましたー」
不満げに席に戻る綾夏を横目に、僕は引き戸に手をかける。
「ごめんね、永田。土曜日なのに呼び出しちゃって」
開けた先に立っていた永田はまだ完全にはスイッチが入っていないらしく、いつもよりも目が細い印象を受ける。
「本当だわ。まったく、休日は休むから休日なのよ」
黒髪ロングがよく似合う彼女は、髪の毛をさらりとかきあげる。
でも、言葉の割には手先足先が妙にそわそわしている。
「永田、どうしたの?」
体育館の雛壇に立って堂々と原稿を読んでいるいつもの彼女とは違っていて、僕は違和感を覚える。
「べ、別になんてことないわ。そ、それよりも……その……新入部員って言ってたわよねさっき」
「あぁ、そういうことか」
合点がいった。
彼女、新入部員が誰なのか気になって気になって仕方がないのか。
「それにしてもよくこんな過疎化極まらない部活に入るって言ってくれたわね。あなた、下級生にどんな勧誘をしたの?」
多分それは僕が文芸部員を彼女に相談することなく決めてしまったから、ちょっとした抗議の気持ちを含んででいるのだろう。
しかしだ永田さん。一応あなたもその過疎化極まりない部活の一員なんだけどね……。
「僕は別に何もしていないよ。ただ彼女が入りたいって行ってここに来たんだ。あと、新入部員は僕たちと同じ三年生だよ」
「えっ、そうだったの……⁉」
まさか、と思ったのだろうか。
永田は僕を手で押しのけるようにして部室に入ると、綾夏の姿を見つける。
「やっほー! 初めまして。この前転校してきました涼野綾夏です! よろしくね!」
先に声を出したのは綾夏だった。
「こ、こちらこそよろしく……。私は永田真澄。もうそろそろ任期切れだけど、この学校の生徒会長をしているわ」
「へぇ! もう一人って生徒会長さんだったんだね! よろしくね、真澄ちゃん!」
喜びを満開にしながら、下の名前で呼ぶことで一気に心理的な距離を詰めていく綾夏とは対照的に、永田はまだうまく状況が飲み込めていないといった様子だった。
「なんで今さら部活なんかに入ろうと……? もう受験生なのに」
「それ蓮くんにも言われた〜! 真澄ちゃんもそういうのダメだよ! 勉強も部活も全力だよ!」
「そ、そんなにやったら上手くいか――」
「上手くいくかな〜じゃなくて、どっちもやるんだよ!」
相手が誰であろうと、綾夏のスタイルは変わらない。
何かをするなら、何かを犠牲にすることなく、その全てを全力でやり抜く。
それは誰でも抱く理想を、綾夏は一貫して持ち続けている。
「――それじゃあ、全員揃ったということで! 第一回、文芸部の文集作成に向けた会議を始めます!」
「ちょっと待って。文集って何よ?」
「綾夏が文芸部の活動の証として、文化祭で配ろうって言い出したんだ」
「文集を作るとして、どんなものを作ろうとしているの?」
「真澄ちゃん、それを今から決めるんだよ!」
「そうなの?」
「安心していいよ永田。綾夏が入部して文集を作ることを決めたのが昨日だから。ここにいる三人に実質的な差はないよ」
「そ、そうだったのね……」
こんな論理もへったくりもない説明で納得されるのもあれだけど、とにかくこれで前準備は整ったみたいだ。
しかし、これから決まる取材予定は、綾夏の独壇場となり、僕と永田が意見を口にすることはほとんどなく決まっていったのだった。
「なんだよ綾夏」
「んーとね、やっぱなんでもない!」
僕が永田との通話を切って以来、綾夏はこうして数分――いや、数十秒に一回のペースで、こうして何の要件もなくただ僕の名前を呼んでははぐらかす。
僕は本の続きが気になっているのにもかかわらず、何度繰り返されたかも分からないくらいの綾夏の声のせいで一ページも進まないのは、なんとももどかしい。
「なあ、綾夏」
「なーに、蓮くん」
「綾夏、分かってやってるのか。それとも素でそれをやっているのか? もし後者だとしたら相当性格が歪んでしまっていると思うぞ」
「ちょっとー! そんな言い方しなくてもいいじゃん!」
僕の言葉に、綾夏は頬を膨らませている。どうやら少々ご立腹の様子だ。
「それに、分かってるとか、素でやってるとか、蓮くんの言っていることの意味がぜーんぜんわかりませーん」
分からないと言っている割には頬が緩んでいるし、言葉も伸び切っている――これはクロだろうな。
「文芸部員がもう一人いるって分かったからって、そんなにテンションは上がるものなの?」
すると、綾夏はパイプ椅子を飛ばさんかという勢いで立ち上がる。
「逆に、蓮くんは実は部員がもう一人いましたって言われてもテンション上がらないの?」
「どうだろう……。別に嬉しくないわけではないけど、綾夏みたいに他人から見ても明らかにってほどにはならないかな……」
「ふぅーん……もっと喜んでもいいと思うな――だって、人生なんていつ終わっちゃうか分からないんだもん」
「えっ、今なんて?」
「い、いやぁ〜何でもないよ! 早くもう一人の部員に会いたいな〜と思ったの!」
「そんなに会いたいんだね」
「そりゃそうだよ。蓮くんは何度も会ってるかもしれないけど、私にとってははじめての出会いなんだよ! その人との出会いは一生に一度きりなんだから!」
「そ、そっか……」
なんだかたまに綾夏の口から出てくる言葉が重々しく感じてしまうのは一体なんでだろう……。
「その人はあと何分くらいで来るの?」
「どうかな……。電話が終わったのが三十分くらい前だから、もうそろそろ来るとは思うけどね」
実際僕と永田の家は同じ学区内にあるから、通学時間もさほど変わることはないだろう。
「あと少しで着くと思うから、それまでは僕の読書の邪魔をしないでくれよ」
「はいはーい。りょうかーい!」
本当に了解なのかは知らないけど、僕は綾夏から手元の文庫本の文字列に視線を落としていく。
それからまもなくだった。
部室の外から上履きが床と擦れる音が聞こえてくる。
その音は部室の前で止まると、ドアが丁寧に三回ノックされる。
そして「失礼します」と声がする。
「やったぁ! 来たぁ!」
「――綾夏、ストップ」
綾夏はびっくり箱の中身のように入口に飛び出していくけど、僕はそれを止める。
「知らない人が出迎えたらびっくりするだろ。僕が出るから、綾夏は座って待っててよ」
「はーい。わかりましたー」
不満げに席に戻る綾夏を横目に、僕は引き戸に手をかける。
「ごめんね、永田。土曜日なのに呼び出しちゃって」
開けた先に立っていた永田はまだ完全にはスイッチが入っていないらしく、いつもよりも目が細い印象を受ける。
「本当だわ。まったく、休日は休むから休日なのよ」
黒髪ロングがよく似合う彼女は、髪の毛をさらりとかきあげる。
でも、言葉の割には手先足先が妙にそわそわしている。
「永田、どうしたの?」
体育館の雛壇に立って堂々と原稿を読んでいるいつもの彼女とは違っていて、僕は違和感を覚える。
「べ、別になんてことないわ。そ、それよりも……その……新入部員って言ってたわよねさっき」
「あぁ、そういうことか」
合点がいった。
彼女、新入部員が誰なのか気になって気になって仕方がないのか。
「それにしてもよくこんな過疎化極まらない部活に入るって言ってくれたわね。あなた、下級生にどんな勧誘をしたの?」
多分それは僕が文芸部員を彼女に相談することなく決めてしまったから、ちょっとした抗議の気持ちを含んででいるのだろう。
しかしだ永田さん。一応あなたもその過疎化極まりない部活の一員なんだけどね……。
「僕は別に何もしていないよ。ただ彼女が入りたいって行ってここに来たんだ。あと、新入部員は僕たちと同じ三年生だよ」
「えっ、そうだったの……⁉」
まさか、と思ったのだろうか。
永田は僕を手で押しのけるようにして部室に入ると、綾夏の姿を見つける。
「やっほー! 初めまして。この前転校してきました涼野綾夏です! よろしくね!」
先に声を出したのは綾夏だった。
「こ、こちらこそよろしく……。私は永田真澄。もうそろそろ任期切れだけど、この学校の生徒会長をしているわ」
「へぇ! もう一人って生徒会長さんだったんだね! よろしくね、真澄ちゃん!」
喜びを満開にしながら、下の名前で呼ぶことで一気に心理的な距離を詰めていく綾夏とは対照的に、永田はまだうまく状況が飲み込めていないといった様子だった。
「なんで今さら部活なんかに入ろうと……? もう受験生なのに」
「それ蓮くんにも言われた〜! 真澄ちゃんもそういうのダメだよ! 勉強も部活も全力だよ!」
「そ、そんなにやったら上手くいか――」
「上手くいくかな〜じゃなくて、どっちもやるんだよ!」
相手が誰であろうと、綾夏のスタイルは変わらない。
何かをするなら、何かを犠牲にすることなく、その全てを全力でやり抜く。
それは誰でも抱く理想を、綾夏は一貫して持ち続けている。
「――それじゃあ、全員揃ったということで! 第一回、文芸部の文集作成に向けた会議を始めます!」
「ちょっと待って。文集って何よ?」
「綾夏が文芸部の活動の証として、文化祭で配ろうって言い出したんだ」
「文集を作るとして、どんなものを作ろうとしているの?」
「真澄ちゃん、それを今から決めるんだよ!」
「そうなの?」
「安心していいよ永田。綾夏が入部して文集を作ることを決めたのが昨日だから。ここにいる三人に実質的な差はないよ」
「そ、そうだったのね……」
こんな論理もへったくりもない説明で納得されるのもあれだけど、とにかくこれで前準備は整ったみたいだ。
しかし、これから決まる取材予定は、綾夏の独壇場となり、僕と永田が意見を口にすることはほとんどなく決まっていったのだった。