菜野花畑星乃の美術手帖

唐突に押し寄せる焦燥感に駆られながらも、俺も星乃に続くように引き止める言葉を探す。

「星乃の言う通りです。昨日の似顔絵だって――先生は、あんなに素晴らしい絵が描けるのに、それを諦めてしまうなんて――」

「……菜野花畑も言ったはずだ。あれは俺が想像で描いたもの。今の俺には肖像画はおろか似顔絵すら満足に描けない。それどころか、そのうち人間の顔自体が記憶から薄れて描けなくなるかもしれない。どうあがいても描けない絵にこだわり続ける意味なんてないだろう。もう充分だ」

 その瞳に固い意志を読み取った時、俺は自分の身体から血の気が引いてゆくのを感じた。

「そんな……うそ……」

 口元を手で覆う星乃の声が震えているのがわかる。俺でさえこれほどの衝撃を受けているのだから、彼女の心中はいかばかりのものだろう。

「……どうしよう……」

 星乃のつぶやきが聞こえた。と、直後に彼女は俺の腕に縋り付くようにしてしがみつく。

「どうしよう……どうしようどうしよう……私、そんなつもりじゃなかったのに……ねえ、先輩、私、どうしたらいいですか? 教えて、教えてください……!」

 俺の顔を見上げるその顔は紙のように白く、瞳には混乱の色が浮かんでいる。微かに身体も震えている。

「おい、大丈夫か⁉ しっかりしろ!」

 すぐ耳元で叫ぶ俺の声も聞こえないかのように、星乃は苦しそうに顔を歪め、胸を押さえる。

 その足元がふらつき、後ろに一歩よろめいたその時、反射的に星乃の背を抱くようにしてその身を支えていた。もう片方の手で掴んだ彼女の手首は氷のように冷たい。

「待ってください、蜂谷先生」

 その場に崩れ落ちてしまいそうな星乃。俺が彼女を支える腕に力を込めると、彼女はその身を預けるように、俺の胸に顔を埋める。