菜野花畑星乃の美術手帖

 けれど、蜂谷先生はなおも首を横に振る。

「……だとしても、このままでいれば、これから先も、君達のようにこの事実に気付く者が現れるかもしれない。その時にまた、小鳥遊の想いを無駄にしたくない。俺は肖像画が描けなくなっても、それを受け入れられずに画家という存在に見苦しくしがみついていた。柄にもなく教師なんて職にも就いて、それでも美術に関わっていたかった。絵が生き甲斐だと思っていたから。だが、小鳥遊が亡くなって、肖像画が塗り潰されていたと知った時から、俺はもうそんな事どうでもよくなっていたのかもしれない。そうまでされるほどの価値は俺には無い。今回の事は、きっといいきっかけなんだろう。かつて蜂谷零一という画家がいた。いつか誰からも忘れられてしまうような、そんな画家が。その事実だけがどこかに残ったまま、ひっそりと消えるのも悪くない」

「先生! そんな事言わないでくれよ! あたしが悪いんだ! あたしが小鳥遊先輩の肖像画を見たいってせがんだから! だからあの絵をあそこに置いたままにしてくれたんだろ⁉ そのせいでこいつらに見られちまったんだ!」

 赤坂は俺達を睨みつける。その悲痛な声にも、先生はただ静かに首を振るだけ。

「……あの絵を見られた事もまた、運命だったんだろう」

 俺の心臓の鼓動が急激に早くなる。

「な、なんで……? なんでそんな事言うんですか……?」

 信じられないといった様子の星乃の乾いた声がする。

 俺も内心では動揺していた。まさか蜂谷先生がそんな事を言い出すだなんて。

 もしかして、俺達に真実を話してくれたのもそのせいなのか? 

 絵を描く事を諦めようとしているから、すべてが明らかになっても構わないと考えた?

「わ、私は別にそんな事まで望んでなんていなくて……ただ、本当の事を明らかにしたかっただけ。なのに、それがどうしてそんな、辞めるだなんて……」

 星乃は言い訳するように語りかける。