いつの間にか日が傾き、窓から夕陽が深く差し込んでいる。その照り返しを受けて蜂谷先生の瞳が光ったような気がした。
「……俺には、描けない」
静かな声だった。
「……すべて君の言った通りだからだ」
「先生! それ以上はやめてくれ!」
赤坂が制止する。どこか悲痛な色をはらんだ声で。
その光景に、とても残酷な真実を暴いてしまったという苦い思いが胸に広がる。
赤坂の叫びを無視するように、先生は静かに話し出す。
「……君の言う通り、俺は何年か前に事故に遭って、その際に頭を打った。目覚めた時には周りの人間の顔が認識できなくなっていて、まるで突然知らない世界にでも放り込まれたようだった。写真すらも認識できない。わかるのは平面に描かれた絵だけ。そのせいで疑心暗鬼に陥って、人間関係も壊れてしまった……」
先生は膝の上の拳を握る。
「けれど、俺にはそれよりも、もう二度と絵が描けなくなるかもしれないという恐れのほうが大きかった。人の顔がわからない人物画家に価値なんてないだろう? おまけに症状の治療法も不明だなんて恐怖以外のなにものでもない。その時のストレスが原因か、元は黒かった髪の色もすっかり抜けて、この有様だ」
先生は夕陽を受けて銀色に輝く髪をつまんで見せた。微かに皮肉を含ませた様子で。
髪の色が真っ白になるほどだなんて、相当苦しんだに違いない。人の顔がわからない。もしも俺なら気が狂ってしまうかもしれない。そんな恐怖の中で、先生は今も生きているのだ。
先生がここ何年も人物画を発表しなかったのも、相貌失認が原因だったのだろう。
けれど先生は以前に小鳥遊先輩の肖像画を描いたという。人の顔がわからないにもかかわらず。一体どうやって?
その疑問に答えるように星乃の声が響く。
「……それじゃあ、肖像画の顔を黒く塗り潰したのは、絵のモデルだった小鳥遊先輩本人だったんですね」