え?

 戸惑う俺の隣で星乃が声を上げる。

「それって……それって、先生は学校を辞めないって事ですか⁉」

「ああ、退職届は撤回だ……俺はもう昔のように絵は描けないが、それでも構わないのなら」

「そ、そんなの関係ないです! 先生に色々教えて貰えるなんて、私……私、感激で嬉し死にしそうです!」

 はしゃぐ星乃を眺めながらも、俺も同じ気持ちだった。これまで先生の想いや、その心中に触れた事で、俺は蜂谷零一その人に興味を持ち始めていた。これから彼がどんな作品を作るのか。それを間近で見てみたい。なにしろ俺の腹の蛙を鳴かせるほどの林檎を作れるんだから。

 それに、俺自身、美術というものに楽しさを見いだしつつあった。クオリティはどうであれ、林檎を作っていたあの時に感じた全能感。まるで自分が創造主になったような、あの高揚感をまた味わいたかった。
 だから、蜂谷先生からの申し出には激しく心を揺さぶられた。

「でも、でもでも、赤坂先輩はそれでいいんですか? 私達が入部しても」

 赤坂は放心していたようだったが、星乃の言葉に我に返ったように瞬きする。

「……べ、別に、先生が良いってなら、あたしも同意してやってもいいけど……」

 一見乗り気でないような言葉を吐く赤坂。しかしその顔は心なしか嬉しそうに見える。
 星乃は俺の袖を引っ張る。

「やりましたよ蓮上先輩! 私達、ついに美術部に入部できるんですよ! これから先生と一緒にあんなものやこんなものを描いたり作ったりできるんですよ!」

 嬉しそうにいちいち報告してくる星乃に

「ああ、よかったな」

 と相槌を打ったものの、俺の心の中には新たな問題事が頭をもたげ始めていた。