嬉しかった? どうして?

 その疑問に答えるように先生は続ける。

「……食欲とは、人間の本能だ。つまり、俺はあの林檎で君の本能を揺さぶった。それが何よりも嬉しかったんだ。肖像画を描けなくなった今の俺でも、誰かの本能に訴えかけるものを作れたんだと」

「それじゃあ、先生……」

 先生は俺に向かって塑像台の上のオブジェを示す。

「……これを作ろうと思ったきっかけは、あの出来事にも関係がある。今の俺になら自分の思い描いたものを作れるんじゃないかって。そして昨日やっと完成させる事ができた。どんな色にしようか、画材は何を使おうか。考えるのも、実際に着色するのも、とても楽しかった。この気持ちでもう一度何かを創作したい。肖像画でなくても、風景画や静物画……いや、絵でなくてもいい。彫刻でもなんでも。これを作った時、改めてそう思ったんだ。そしてそれを決断させてくれたのは、蓮上、それに小鳥遊の似顔絵を見つけてくれた菜野花畑、君達だ。君達のおかげで、俺はそんな気持ちになれたんだ。感謝している。ありがとう」

 そう言って柔らかく微笑んだ。その笑顔は、小鳥遊先輩の描いたあの似顔絵とよく似ていた。

 ああ、きっとこれが小鳥遊先輩と赤坂が見ていた笑顔なんだろう。なんて穏やかで優しい表情。

 その後で先生は何かに気づいたように笑顔を引っ込めると、言いづらそうに一瞬視線を逸らす。

「……それで、今更こんな事を言うのも我ながら調子がいいとは思うが……菜野花畑に蓮上。君達がまだ美術部に興味があるというのなら、入部を考えてみて貰えないか?」