全員で顔を見合わせた後、先生が慎重にその紙を広げてゆく。すると、中に何か書かれているのがわかった。

「これって、似顔絵……?」

 俺は思わず声を上げる。 

 そこには一人の男性の顔が描かれていた。隅には「小鳥遊涼平より」とのメッセージが入っている。

「これ、蜂谷先生の顔だ……!」

 赤坂も俺に追随する。

 そうだ。確かにこれは先生の顔だ。決して上手とは言えないが、モデルの特徴をよく捉えた、どこか暖かいものを感じる絵だった。

 それをじっと見つめながら蜂谷先生が呟く。

「……自分の顔さえわからない俺のために、小鳥遊が描いてくれたんだな」
 その瞳に、ふわりと柔らかいものが広がってゆくような気がした。

 俺には想像もつかないが、自分の顔が認識できないというのは、きっととても辛い事なんだろう。

 写真すら認識できない蜂谷先生が自分の顔を知るには、誰かに肖像画や似顔絵を描いてもらうしかない。けれど、先生にはそれができなかった。自身が人物画家および美術教師であり続けるために、人の顔がわからないという事実を隠さなければならなかったから。

 それを知っていた小鳥遊先輩が、蜂谷先生の事を想い、この似顔絵を描いたのだ。

「……自分で比較する事はできないが、きっとこの似顔絵は俺に似ているんだろう」

 星乃は頷く。

「ええ、とってもよく似てます」

 似顔絵の中の先生は、俺が見た事のない優しそうな笑顔を浮かべていた。かつて小鳥遊先輩達と一緒に過ごす時には、こんな顔をしていたんだろうか。

 蜂谷先生は自分の事を「愛想がない」なんて言っていたけれど、これを見ると、そんなのは何かの間違いなのではと思えてくる。

「でもさ」

 そこで赤坂がふと顔をこちらに向ける。

「なんで小鳥遊先輩は、この絵をわざわざこんなところに隠したんだ? 直接先生に渡せばよかったのに」

「それは……」

 星乃は少し考える素振りをしてから答える。

「きっと、恥ずかしかったからじゃないでしょうか?」

「……恥ずかしい?」

 先生の疑問の声に星乃は頷く。

「だって、人物画家に本人の似顔絵を贈るなんて、すごく勇気がいる事ですよ。たとえば、一流の料理人に対して手料理を振舞うようなものだと思うんです。専門家には素人の未熟な部分が全部わかっちゃうでしょ? だから恥ずかしくて直接渡せなかったんじゃないんでしょうか。私だって、授業中に先生に見られながら絵を描くのは、とっても緊張します」

「……俺は、そんな大層な人間じゃないのに」

「そんな事ありません!」

 星乃はほとんど反射的というように素早く言い返す。

「確かに先生の事をあまり知らない私なんかが言っても説得力ありませんけど……でも、少なくとも小鳥遊先輩にとってはそんな事なかったはずです。この似顔絵がなによりの証拠じゃないですか」

 蜂谷先生は目を瞬かせると、再び似顔絵に目を移す。

 暫くの沈黙の後、似顔絵から目を上げた蜂谷先生は

「……そうだな。君の言う通りなのかもしれない。ありがとう、菜野花畑。俺にはきっとこれを見つける事はできなかっただろう。君がいてくれてよかった」

 そう言って笑みを見せた。似顔絵には及ばないが、それでも優しさを含んでいるとわかる微かな笑顔を。