「ほら、口を開けろ」

 反射的とでもいうようにその言葉に従った星乃の口の中に、俺はコロッケを押し込む。

 唐突な出来事に咄嗟に対応できなかったのか、星乃は両手で口を押さえて「むぐぐ」とくぐもった声を上げる。

 口いっぱいのコロッケをどうにか飲み下した後で

「ちょっと先輩、いきなり何するんですか⁉ 強引な行動は女子には受けませんよ! 筆ドンならともかく」

 星乃の抗議に、俺はむっとして言い返す。

「いきなりじゃない。俺が何度も名前を呼んでるのに、上の空だったのは君のほうだろ? それとも筆ドンとやらをしながら食べさせたほうが良かったか?」

「え、そ、そうでした……? それはまた申し訳ない事を……筆ドンはまた今度改めてお願いします」

 一転、星乃はすまなそうに小さくなる。

 でも、原因はわかっている。先日の蜂谷先生の件。あれがまだ尾を引いているのだ。それが星乃を時折こんなふうにぼんやりとさせているに違いない。
 俺だってそうだ。あれから何日か経つが、気づけばその事ばかり考えてしまって、授業中だって上の空だ。

 先生は本当に辞めてしまうんだろうか。絵を描く事も、教師である事も。
 けれど、それも確かめられずに美術準備室にも近づけずにいた。

 今日だって校舎の端の少し埃っぽい階段に、二人並んで腰掛けて弁当を食べている。今の俺達には中庭は眩しすぎる。

 たぶん、俺達は逃げているのだ。

 もしも残酷な未来が待っているのではと思うと、心臓を誰かの冷たい手でぎゅっと掴まれたような感覚になる。

「先輩、気づかずにすみませんでした。それで、何のお話でしょう?」

「蜂谷先生に謝りたいと思うんだが」