菜野花畑星乃の美術手帖

 しばらくして、どうにか泣き止んだ星乃を連れて帰路につく。

 いつの間にか辺りは暗くなりかけていて、通学路には部活帰りなのか生徒達の姿もちらほら見える。友人や仲間と楽しそうに会話する声があたりをざわめかせる。

 けれど俺と星乃との間には重苦しい空気が流れ、歩きながらも無言のまま、いつまで経っても口を開けずにいる。

 蜂谷先生は本当に辞めてしまうんだろうか。絵を描く事も、美術教師である事も……。

「才蔵! ほしのーん!」

 唐突に、その場にそぐわないような明るい声が響いた。

 それに驚いたのか、星乃がびくりとして、腕に抱えていたスケッチブックを取り落としてしまった。その拍子にページがばらばらとめくれ、中から一枚の紙が飛び出し、路上を滑る。

「あちゃー、ごめん、ほしのん。驚かせちゃった? ほんとごめんね……!」

 声の主は雪夜だった。どうやら下校時間が被ってしまったらしい。いつもだったら気にならないこいつの明るさも、こんな時には対応するのも憂鬱だ。

 幸いにも薄闇に包まれたこの状況では、星乃の泣きはらした顔にまで気づいていないようだが。

「あ、これって例のほしのんの似顔絵だね」

 雪夜は、路上に落ちていた紙を手にとる。先ほどスケッチブックから飛び出したあの紙だ。

「それにしてもさっきはびっくりしたよね。まさか先生がほんとに僕とほしのんを間違えるとはねー。そんなに似てたのかな? ほくろだって無かったのに。不思議」

 その言葉にどきりとする。

 実は雪夜には、先ほどの件に関しての詳細を説明しておらず、ただ

「蜂谷先生にちょっとした悪戯を仕掛けよう」

 と言って協力して貰ったのだ。いくらこいつが親友だろうと、さすがに真実は打ち明けられない。

 けれど、もしもこいつがこの件にこれ以上興味を持つような事があれば、先生のあの秘密にも、何かの拍子にたどり着いてしまうかもしれない。

 でも、それを誤魔化せるような妙案は浮かばず、俺は何も言えなくなってしまう。

 その代わりとでもいうように、隣にいた星乃が口を開いた。

「それなら実に単純な真相でした。もうほんとに笑っちゃうくらい」

 まるで先ほどの事なんて無かったかのような落ち着いた口調。