夏休みに入ると塾の夏期講習もあるし、学校の講習もあって課題に追われていた。
「あら。随分最近は勉強熱心ね」
お母さんに褒められたがちっとも嬉しくはなかった。確かに勉強にここまで集中して向き合ったのは初めてだった。でもそれは、彼のモヤを死期を忘れたいからだ。こうでもしていないとふいに襲ってくる虚無感に耐えられない。
考えたくもない未来を私は見ないように目を閉じる。
毎日、彼から電話が来ていた。
私を励ますようにその声は明るかった。元気のない理由を聞いてこない彼はやはり私の心が読める力があるのではないだろうか。その理由を、知っているから何も聞いてこないのではないか。
夕食後、ルーティンのようにかかってくる電話に出る。
ごろんとベッドに背をつけて目を閉じながら彼の声を携帯を通して訊く。
16歳で死ぬのだとすると、あと何日だろう。明日かもしれないのに、明後日かもしれないのに、それを認めたくないから考えることをやめる。
数日前、夏期講習で会った時、モヤは結構濃くなっていた。
「海、楽しみだね」
「うん…楽しみ」
「そういうふうには聞こえないけど。行きたくない?」
「そんなことない!ないけど…」
またふいに涙が浮かぶ。
いっそのこと彼にすべてぶちまけてしまおうか。でも、そんなことを言ったらきっと彼は絶望する。あと一か月もない命何て知ったら…。
でも、未来は本当に変えられないのだろうか。例えば、病気じゃないのならば、交通事故ならば次の誕生日が来るまで家から出ないでもらう。しかし死因まではわからないから病気や発作的なもので亡くなってしまうかもしれない。
「みずき、何を隠してるの?俺には教えてよ」
「…」
「ダメかな、」
携帯電話を握る力が自然に強まる。静かな部屋に私の呼吸音が響いた。
「私ね…―その人の、」
―死期がわかるの
朝陽君は数秒無言だった。声だけだから相手の顔は見えない。どんな顔をしているのかわかればいいけどわからない。
「そうなんだ。そっか、それで?どうして元気がないの」
「信じるの?」
「そりゃ、、好きな子の言うことは信じるよ」
「…うん」
やっぱり言えないや。
例えばあなたはあと数日の命ですと言われたら嬉しいだろうか。確かにやり残したことをやりたいと願い、実行する時間を増やせるけど、その現実を受け入れることは可能だろうか。
あと半年ですとか、あと数年ですとかそのくらい長ければまだわかるが、今月中なのは確かだ。
彼には、言えない。
「それでね、親戚の人が…近々死んじゃうんだ。わからないけど、もしかしたら外れるかもしれないけど」
「そっか。外れてほしいね」
「うん」
私はベッドから体を起こして、瞑目して思いを巡らせる。
―人生は、選択肢の連続である
私はどういう選択をしたらいいのだろう。
♢♢♢
夏期講習期間は朝陽君と会うことが出来たけど、それ以外は私の塾のせいで毎日は会えなかった。
蒸し暑い日々が続き、窓を閉めていても蝉の音が聞こえる。クーラーの効いた部屋でもそれは容赦なく鼓膜を揺らして夏の暑さから逃げたいのにそうはさせてくれないから、困るのだ。
刻一刻と彼の誕生日が近づいている。
毎日朝起きたら彼に電話をするのもルーティンになりつつあった。彼が今日はまだ生きている、ということを確認する作業になっている。
今日は課題を一緒にやろうと私から誘って図書館で勉強をしていた。
受験生だろうか、同じような学生が過去問とにらめっこしている学生もいるし社会人風の人もたくさん図書館にはいた。
課題をやりながらも朝陽君のことが気になって手をとめてしまう。
やはり彼の周りを纏っている黒いモヤは消えていない。
「…この間言ってた話なんだけど」
シャープペンを走らせる手を止めて、顔を上げる朝陽君と目が合う。
どうしたの?と訊くと彼は言葉を選ぶようにして口を開いた。
「あの能力の話。あれって俺のことじゃない?」
「…っ」
呼吸の仕方を忘れるほどにその発言は私に衝撃を与えた。
あんぐりと口を開け、まるでもう知っているとでもいうようにそう言った彼は既に確信している様子だった。
その目は、瞳は、もうわかっているという意思を伝えてくる。
「ちが、うよ…」
動揺しているのが誰だってわかってしまうほどに私の声は震えていたし焦っていた。
「違う…違うよ」
自分の能力を否定するように何度も何度も違うといった。彼はそれ以上は何も言ってこなかったけど、もう気づいているだろう。
それでも、違うとしか言えなかった。
帰り道、二人で肩を並べて歩いていたがお互い無言だった。
「海、もう少しだ。晴れるといいね」
「…うん。ねぇ、朝陽君」
アスファルトの上には私と朝陽君の影がしっかり伸びていて、それを見てあぁ彼はまだ生きているのだって思った。
「さっきの話だけどね、ごめん。嘘ついたっ…」
ポロリ、また涙が零れる。
朝陽君が足を止めるから私も同じようにした。じっとりと嫌な汗がシャツの中を流れる。
鼻をすすりながらも、しっかり彼を見上げる。
「うん。それで?」
「ごめん…朝陽君、もう死んじゃうかもしれないっ…お願い、死なないでっ…」
泣きじゃくる私をなだめるようにそっと頭の上に手が置かれる。
大丈夫、何度もそういう彼は落ち着いていて私の方が興奮して冷静になれなかった。
死の宣告を受けて泣きたいのは彼の方だというのに。
「うん、死なないよ。大丈夫。ちゃんと目の前にいる」
「でも…っ16っていう数字が…っ」
「それは何かの間違いかもしれないし、もし本当なら…そうだな、じゃあ毎日みずきに会いたい」
「…朝陽君、」
「明日から時間がなくても毎日会おう。朝はいつも通りみずきが電話してくれて、それで…夜は、俺が電話する。塾があっても会おう、少しでも」
「うん、会う。たくさん、会いたいっ…ねぇ、どこも悪くない?病気とかないよね?」
「ないよ。元気だよ」
「じゃあ…どうして、」
「違うことを祈ろう。あとはみずきと思い出を作る」
「うん…」
頷くが納得はしていない。彼の死を認めたくないし、思い出という言葉が切なく聞こえてさらに涙があふれる。
みずき、そう名前を呼ばれた瞬間、体が大きく揺れた。
抱きしめられていると気づくまで数秒時間がかかった。
細く見えていた彼の体が密着すると意外にも大きくて私の体などすっぽりと埋めてしまう。
「よかった…生きてる…」
「え、あさひ、君?…」
抑えた声が鼓膜を揺らす。
「ありがとう。後悔はないよ」
「後悔…―」
彼の大きな背中に手を回す。少し汗ばんだ彼のシャツを握る。彼の存在を確かめるように目を閉じて願った。
―どうか、明日も彼が生きていますように
―もう死にたいなんて考えないから…だから、神様どうか彼の未来を変えてください。
私たちは電車に揺られながら長い時間をかけて海へ向かっていた。
泳ぐわけではないから水着は持ってきていないが、座って海を眺められるようにブルーシートを持参していた。
「あら。随分最近は勉強熱心ね」
お母さんに褒められたがちっとも嬉しくはなかった。確かに勉強にここまで集中して向き合ったのは初めてだった。でもそれは、彼のモヤを死期を忘れたいからだ。こうでもしていないとふいに襲ってくる虚無感に耐えられない。
考えたくもない未来を私は見ないように目を閉じる。
毎日、彼から電話が来ていた。
私を励ますようにその声は明るかった。元気のない理由を聞いてこない彼はやはり私の心が読める力があるのではないだろうか。その理由を、知っているから何も聞いてこないのではないか。
夕食後、ルーティンのようにかかってくる電話に出る。
ごろんとベッドに背をつけて目を閉じながら彼の声を携帯を通して訊く。
16歳で死ぬのだとすると、あと何日だろう。明日かもしれないのに、明後日かもしれないのに、それを認めたくないから考えることをやめる。
数日前、夏期講習で会った時、モヤは結構濃くなっていた。
「海、楽しみだね」
「うん…楽しみ」
「そういうふうには聞こえないけど。行きたくない?」
「そんなことない!ないけど…」
またふいに涙が浮かぶ。
いっそのこと彼にすべてぶちまけてしまおうか。でも、そんなことを言ったらきっと彼は絶望する。あと一か月もない命何て知ったら…。
でも、未来は本当に変えられないのだろうか。例えば、病気じゃないのならば、交通事故ならば次の誕生日が来るまで家から出ないでもらう。しかし死因まではわからないから病気や発作的なもので亡くなってしまうかもしれない。
「みずき、何を隠してるの?俺には教えてよ」
「…」
「ダメかな、」
携帯電話を握る力が自然に強まる。静かな部屋に私の呼吸音が響いた。
「私ね…―その人の、」
―死期がわかるの
朝陽君は数秒無言だった。声だけだから相手の顔は見えない。どんな顔をしているのかわかればいいけどわからない。
「そうなんだ。そっか、それで?どうして元気がないの」
「信じるの?」
「そりゃ、、好きな子の言うことは信じるよ」
「…うん」
やっぱり言えないや。
例えばあなたはあと数日の命ですと言われたら嬉しいだろうか。確かにやり残したことをやりたいと願い、実行する時間を増やせるけど、その現実を受け入れることは可能だろうか。
あと半年ですとか、あと数年ですとかそのくらい長ければまだわかるが、今月中なのは確かだ。
彼には、言えない。
「それでね、親戚の人が…近々死んじゃうんだ。わからないけど、もしかしたら外れるかもしれないけど」
「そっか。外れてほしいね」
「うん」
私はベッドから体を起こして、瞑目して思いを巡らせる。
―人生は、選択肢の連続である
私はどういう選択をしたらいいのだろう。
♢♢♢
夏期講習期間は朝陽君と会うことが出来たけど、それ以外は私の塾のせいで毎日は会えなかった。
蒸し暑い日々が続き、窓を閉めていても蝉の音が聞こえる。クーラーの効いた部屋でもそれは容赦なく鼓膜を揺らして夏の暑さから逃げたいのにそうはさせてくれないから、困るのだ。
刻一刻と彼の誕生日が近づいている。
毎日朝起きたら彼に電話をするのもルーティンになりつつあった。彼が今日はまだ生きている、ということを確認する作業になっている。
今日は課題を一緒にやろうと私から誘って図書館で勉強をしていた。
受験生だろうか、同じような学生が過去問とにらめっこしている学生もいるし社会人風の人もたくさん図書館にはいた。
課題をやりながらも朝陽君のことが気になって手をとめてしまう。
やはり彼の周りを纏っている黒いモヤは消えていない。
「…この間言ってた話なんだけど」
シャープペンを走らせる手を止めて、顔を上げる朝陽君と目が合う。
どうしたの?と訊くと彼は言葉を選ぶようにして口を開いた。
「あの能力の話。あれって俺のことじゃない?」
「…っ」
呼吸の仕方を忘れるほどにその発言は私に衝撃を与えた。
あんぐりと口を開け、まるでもう知っているとでもいうようにそう言った彼は既に確信している様子だった。
その目は、瞳は、もうわかっているという意思を伝えてくる。
「ちが、うよ…」
動揺しているのが誰だってわかってしまうほどに私の声は震えていたし焦っていた。
「違う…違うよ」
自分の能力を否定するように何度も何度も違うといった。彼はそれ以上は何も言ってこなかったけど、もう気づいているだろう。
それでも、違うとしか言えなかった。
帰り道、二人で肩を並べて歩いていたがお互い無言だった。
「海、もう少しだ。晴れるといいね」
「…うん。ねぇ、朝陽君」
アスファルトの上には私と朝陽君の影がしっかり伸びていて、それを見てあぁ彼はまだ生きているのだって思った。
「さっきの話だけどね、ごめん。嘘ついたっ…」
ポロリ、また涙が零れる。
朝陽君が足を止めるから私も同じようにした。じっとりと嫌な汗がシャツの中を流れる。
鼻をすすりながらも、しっかり彼を見上げる。
「うん。それで?」
「ごめん…朝陽君、もう死んじゃうかもしれないっ…お願い、死なないでっ…」
泣きじゃくる私をなだめるようにそっと頭の上に手が置かれる。
大丈夫、何度もそういう彼は落ち着いていて私の方が興奮して冷静になれなかった。
死の宣告を受けて泣きたいのは彼の方だというのに。
「うん、死なないよ。大丈夫。ちゃんと目の前にいる」
「でも…っ16っていう数字が…っ」
「それは何かの間違いかもしれないし、もし本当なら…そうだな、じゃあ毎日みずきに会いたい」
「…朝陽君、」
「明日から時間がなくても毎日会おう。朝はいつも通りみずきが電話してくれて、それで…夜は、俺が電話する。塾があっても会おう、少しでも」
「うん、会う。たくさん、会いたいっ…ねぇ、どこも悪くない?病気とかないよね?」
「ないよ。元気だよ」
「じゃあ…どうして、」
「違うことを祈ろう。あとはみずきと思い出を作る」
「うん…」
頷くが納得はしていない。彼の死を認めたくないし、思い出という言葉が切なく聞こえてさらに涙があふれる。
みずき、そう名前を呼ばれた瞬間、体が大きく揺れた。
抱きしめられていると気づくまで数秒時間がかかった。
細く見えていた彼の体が密着すると意外にも大きくて私の体などすっぽりと埋めてしまう。
「よかった…生きてる…」
「え、あさひ、君?…」
抑えた声が鼓膜を揺らす。
「ありがとう。後悔はないよ」
「後悔…―」
彼の大きな背中に手を回す。少し汗ばんだ彼のシャツを握る。彼の存在を確かめるように目を閉じて願った。
―どうか、明日も彼が生きていますように
―もう死にたいなんて考えないから…だから、神様どうか彼の未来を変えてください。
私たちは電車に揺られながら長い時間をかけて海へ向かっていた。
泳ぐわけではないから水着は持ってきていないが、座って海を眺められるようにブルーシートを持参していた。