自宅へ帰ってすぐにバーベキューのことをお母さんに話した。
最初、眉間に皺を深く刻み、この大事な時期に何をしているのだ、とでも言いたげな顔をしていた。
確かに高校二年生の夏休み前、成績不振の生徒が遊び惚けていたらそれは咎められてしまうのも無理はない。しかしたった一日、友人とバーベキューをすることはそんなに悪いことだろうか。
朝陽君のあんなにも必死な態度を見たことがなかったから出来るだけ行きたくて説得する。

「勉強は?最近も全然だめじゃない」

異性ということは隠して伝えたがやはり返答は想定内だった。
赤茶色の絨毯を見つめながらお母さんのいうことは事実ではあるから何て返したら了承してもらえるか深く考える。
こういう時に頭のいい賢い子であったならばもっと自分に有利に話を進めることが出来て納得してもらえるかもしれない。

「あ!あの、波多野さんはね、ものすっごく頭がいいの。クラスでもトップだし学年でも。この間の模試もT大A判定だよ」
「え?」

お母さんの顔色が変わった。
朝陽君の良いところは決して勉強ができることだけではないしむしろそんなところに惹かれているわけではない。もっともっと、素敵なところがあるのにお母さんにそれを伝えてもきっと響かないことはわかるからお母さんに響くようないい所を言った。

これが賢く生きるということなのかもしれないと頭の片隅に思った。
お母さんが唸り、あごに手を添えて黒目を動かす。
悩んでいる、そう確信した私は畳みかけるようにつづけた。

「それでね!その子に最近勉強を教えてもらっていて…友達も全然いない私に親切にしてくれるの。だからバーベキュー誘われて嬉しいんだ。行ってもいいかな」
「…そうねぇ。でも行くなら何か持っていないと。ご馳走になるんでしょう?」

心の中でガッツポーズをしてなんとか承諾してもらった。
男の子だと知ったらいくら成績が良くても反対するだろう。大事な時期に彼氏がいると思われてしまう。
実際は彼氏でも何でもないただの友人なのだけど。
私はすぐに朝陽君に連絡をした。早速返事が返ってきてとても喜んでいるのが文面から伝わってくる。

同じように私もすごく楽しみだった。
お母さんに嘘をついてしまったのは罪悪感が残るがそれ以上にバーベキューが楽しみだった。



♢♢♢
バーベキュー当日

私は彼の自宅へ向かっていた。
ちょうど梅雨が明けて日差しが強く日光が地面を熱しているせいで実際の気温よりも体感温度の方が高く感じた。午後1時歩道を歩きながら朝陽君のお母さんにあったらなんて挨拶しようとか、そういうことを考えていた。
公園が目に入るとキャッキャッと子供の遊ぶ声が聞こえてくる。
真夏日で非常に暑い今日もこうやって子供は関係なくがむしゃらに遊んでいる。

昔は私もこうだったなと思いながらスニーカーでアスファルトを強く踏む。
手には百貨店の紙袋が握られていて、中身は洋菓子のセットらしい。
これは今朝お母さんから渡されたものだった。

しっかり百貨店で購入するあたり、お母さんらしいなと苦笑した。
彼の家に近づくにつれて、緊張が増してくる。朝陽君だけに会うのならば緊張はしないがお母さんに会うとなれば話は別だ。
彼の家が視界に入ってくるとドクドクと心音が激しくなる。
以前も来たことがある彼の家の前に立ち、深呼吸をすると背後からお客さん?と声を掛けられて驚いて後ろを振り返る。

「あら。もしかして朝陽の友達?」
「は、初めまして!クラスメイトの天野みずきです」
「あぁ、いつも朝陽と仲良くしてくれてありがとうねぇ」

穏やかな声の主は、朝陽君のおばあちゃんだった。彼の話だと父方の方のおばあちゃんらしい。
目尻の皺をいっそう深くし嬉しそうに頷かれて私もペコペコ頭を下げる。
どうぞ、入って、促されておばあちゃんに続くようにして玄関に入る。

「お邪魔します…」

中に入るとすぐに朝陽君が二階から階段を下りてきている最中で目が合った瞬間「みずき」と名前を呼ばれて照れてしまう。
陰と陽のような対照的な私たちが仲良くしてることは周りからはどう見えているのだろうか。

お辞儀をして式台を上がる。
朝陽君がそんなにかしこまらないで、と声を掛けてくれるが親に会うのだから普通はこうなるだろう。
いつか私がもう少し大人になって恋人が出来てそしてご両親に会うときが来るのだとしたら今と同じような気持ちになるのだろう。
未来を想像したらどうしてか胸が痛んだ。鈍くて徐々に広がる痛みに下唇を噛んでいた。

その未来には、朝陽君がいてほしいと思ったから。
大切で大好きな彼にそばにいてほしい。生きる意味も希望もなかった私に寄り添って明るい道を照らしてくれた彼と一緒に生きたい。
“いつか”訪れるかもしれない未来には、彼が隣にいてほしい。

「どうしたの?」
「あ。ううん、何もないよ」

きゅっと口角を上げて笑って見せると朝陽君はほっとしたように目じりを下げる。
リビングのドアを開けるとすぐに「あら!こんにちは、みずきちゃんよね?」と年齢を感じさせないほどの明るい声が返ってくる。
私は瞬間的に頭を下げて自己紹介をした。
朝陽君のお母さんはブラウン色の髪をポニーテールで纏めて、体にフィットした黒いチノパンに白いモックネックの半袖シャツを着ていた。

私のお母さんと同年代だと思うけどずっと若く見えた。
色素の薄い明るい瞳も相まって若く見えるのかもしれない。朝陽君とはあまり似ていないからお父さん似なのかもしれない。

「今日はバーベキューに呼んでいただきありがとうございます。あの、これよかったら…」

朝陽君のお母さんに近づき、百貨店の紙袋を渡す。

「気にしないでいいのに!もともと朝陽がどうしても今日バーベキューがしたいっていうからしたのよ?聞いたらクラスメイトを誘いたいからって。朝陽に無理やり連れてこられたんじゃないかって心配してたんだから」
「そんなことありません!すごく楽しみにしていたので」
「そう?それならいいけど」

朝陽君のお母さんは朗らかで彼と同じように余裕があるように感じた。
女手一つで朝陽君を育てているのに、どこにそんな余裕があるのだろうかと思った。

「バーベキューはもう少ししたらやるからそれまで二階にいていいのよ。朝陽に飲み物もっていかせるから」
「ありがとうございます。あの、でも手伝えることがあるなら言って下さい」
「ありがとう」

朝陽君のお母さんのお言葉に甘えて、とりあえず二人で二階へ向かった。
挨拶をするだけで緊張して手汗がひどく、苦笑した。
二人で彼の部屋へ行く。
二度目ということもあって朝陽君の部屋に入ることは緊張しなくなっていた。

「座ってて。今、飲み物持ってくる」

ありがとう、とお礼を言って彼がドアを閉めて出ていくと同時にふぅと息を吐いた。
朝陽君のお母さんは私のことを彼女とか勘違いしていないだろうか。いや、それはないか。
でも、もしかしたら私が朝陽君に好意があることは見透かされているような気がする。
そう思うと恥ずかしさで赤面してしまう。
ドアが開いて朝陽君が飲み物と私が持ってきたフィナンシェをお盆の上に乗せて運んできた。
お母さんが買った洋菓子のセットの中身の一つはフィナンシェなのだと知った。ローテーブルにそれらを並べて二人で食べた。
ちょうど昼食後のおやつになった。

「15時過ぎに準備に行こう」
「そうだね」
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそだよ!お母さんもおばあちゃんもいい人だね。優しいし明るいし」
「そうかな。中学生くらいの時は反抗期で結構反発したんだよ。喧嘩何て何度したかわからないくらいにね」
「そうなの?朝陽君にもあるんだ」

興味深そうに頷き、朝陽君が持ってきてくれたアイスティーのグラスを手にした。
前回と違って生のカットされたレモンがグラスの中に入っていてオシャレだなぁと感嘆する。

「最近は嫌なことしてくる人はもういない?」

まるで親が子を心配するような目を向けてくる朝陽君に大丈夫だよと答えた。もしかしたら朝陽君にとって私は妹のような存在なのかもしれない。
こうやって心配してくれるのも、そういう理由だからかもしれない。

私は、違うけど…―。

一階から朝陽君のお母さんが私たちを呼ぶ声が聞こえる。
行こうと、彼が言い私たちは一階へ行く。
朝陽君のお母さんとおばあちゃんがリビングの一番大きな窓を全開に開けていて、縁側にすでにカットされている野菜や、お肉、おにぎりが置いてある。
朝陽君がバーベキューコンロや鉄板を手慣れたように組み立てて火起こし器を使って火を起こす。
すぐに火がついて目を見開いて驚いた。
バーベキューなんか久しくしていなかったから、吃驚の声を上げる。(もっと火を起こすのは時間がかかるものだと認識していたから)

「今日も暑いねぇ」

おばあちゃんが縁側に座りながらうちわで扇ぎながら空を見上げていた。
まだ日光がジリジリと肌を照らしていて黙っていても額に汗が滲む。
縁側に近づくと家の中の涼しい風が体を掠めて少しばかり体温を下げていく。
おばあちゃんが独り言を話すように口を開く。

「朝陽と仲良くしてくれてありがとうね」
「…いえ、こちらこそ…その、助けてもらっているというか」

視線はずっと空を見上げたままだから私に話しているとは思わず一瞬聞き流してしまうところだった。
慌ててそう返すとにっこりと顔の皺を濃くして頷く。

「うちの男はみんな早く逝ってしまうものだから…しかもあの人も息子も誕生日の前日にねぇ」
「…」

どこか遠い目をしていて哀愁すら漂う瞳は何かを思い出しているようで、そしてその発言は私の心臓を圧迫するのには十分すぎた。
朝陽君の頭上には今も16という数字が浮かんでいる。
家系的に何かあるのだろうか。あまり長く生きられないような遺伝の病気でもあるのだろうか。
訊きたいことが頭の中をグルグルと回っているがそれを言葉にして伝えることはできなかった。

「よーし、どんどん焼いていこう!」

お母さんの明るい声とともに私の顔が自然にそちらへ向く。
朝陽君がお母さんと笑いながらトングをもってお肉を焼いていた。

「私が焼くよ、何も手伝ってないから」
「いいのよ!今日は招待客なんだから。ほら食べて」

気さくで陽気で誰からも愛されるような存在の朝陽君のお母さんは、朝陽君と似ていると思った。

「ったく、朝陽がどうしても今日バーベキューやりたいっていうから仕事もずらしたのよ。みずきちゃんも無理に誘われたんでしょう?」
「え、いえ…私もバーベキューしたかったので」

鉄板の上では質のいい肉が焼かれ、その脇にはナスや玉ねぎ、トウモロコシなど野菜が置かれている。
トングを手にしたまま、一瞬体が止まる。
朝陽君を見ると彼は「バーベキューどうしてもやりたかったんだからいいじゃん」と言いながら、目配せする。

やはり“違和感”があった。
どうして彼は、バーベキューをやりたがっているのだろう。誘われた時も何としてもバーベキューをやりたいという意思が伝わってきた。それだけじゃない、私に参加してほしいと明確に伝えてきた。
何かが喉の奥に引っかかっているような表現しにくい“不透明さ”を感じながらも
「肉焼けたよ、みんな食べて」
という朝陽君の声で我に返る。

いや、せっかくこうやって招待してくれたんだから今はただ、楽しもう。そう思った。


日が沈んできて茜色に辺りを染め、気温も徐々に落ち着いてくる。
「そうだ!スイカもあるのよ!」
お母さんの言葉に頬を緩ませた。
お肉だけじゃなくて手作りの醤油バターと紫蘇を混ぜ合わせたおにぎりも鉄板の上で焼いて焼きおにぎりにして食べたが、本当に美味しくて目を丸くさせて驚いた。
辺りが少し暗くなる頃には、皆すでに満腹でお母さんの用意してくれたスイカを縁側に座りながら朝陽君と一緒に食べる。

「今日はありがとう」
「ううん、こちらこそ、無理に誘ってごめん」
「無理になんかじゃないよ!すっごく楽しかったよ。ありがとう」

朝陽君は物思いにふけるように空を見つめていた。
その横顔を見ながら気になっていたことを聞いた。

「変なこと聞いてごめんね、あの…さっきおばあちゃんから聞いたんだけど…朝陽君の家系って…その、男の人が早く亡くなってるって…聞いて、ええと、」

もう赤い部分が消えているスイカを手に持ったまま、恐る恐る聞いた。
遺伝的な病気があるとしたら、彼の数字にも納得できる。もしかしたらそれを回避できるかもしれないと思った。未来を変えられるかもしれないと、そう思った。
数秒無言だった朝陽君がゆっくりと口を開く。

「そうだね。みんな結構早く亡くなってるかも。でも父さんもじいちゃんも死因はそれぞれ心臓発作と事故だったし」
「…」
「偶然だとは思うけどね」

普段よりも事務的な、無機質な声に不安は消えなかった。

「あ、そうだ。花火する?あるんだ」

先ほどとは打って変わって口調が軽くなり笑いかける朝陽君に頷く。
ちょっと待っててと言って立ち上がる。
そりゃそうか、早くに亡くしてしまったお父さんのことを聞かれていい気はしないだろう。
人のパーソナルスペースにずかずかと上がり込むようなことをしてしまったことを反省した。
しばらくすると、彼が大き目の青いバケツと袋に入った花火を持ってきた。

「わぁ、久しぶりだなぁ」
「俺もだよ。いつぶりかな」

庭に出て、椅子に腰かけながら花火を取り出して火をつける。
すぐに一瞬で様々な色を放ち、私たちを照らす。
一気に夏の気分になる。スイカに、バーベキューに、花火、どれも夏の定番だ。

「すっごく楽しい一日だったよ。ありがとう」
「まだ花火終わってないよ」
「ふふ、そうだね。でも、ただの友達なのに…こんなに良くしてくれて…ありがとう」

ちょうどほぼ同時に花火が消えて明かりが消える。
線香花火を袋から取り出して朝陽君にも差しだす。

花火自体好きだけど一番好きなのは線香花火だ。儚くてすぐに消えてしまうのにその名残惜しい感じが好きだった。あと少し、あと少し頑張って、とつい心で応援したくなる。

朝陽君の花火の日を借りて、線香花火に火が灯る。
しゅわっと音を立て、小さいながらも一生懸命に火の玉を作る。

「友達、か」
「え?」

聞こえなくて聞き返してしまった。
朝陽君の端正な横顔を見つめると彼も目線を私に向ける。
ドキッとしてすぐに花火に視線を戻した。

「友達とは思ってない」
「え…―」

その瞬間、線香花火が音を立てずに地面に落ちた。
朝陽君の花火も同様に光の線を消す。
何も言わずに再度、花火を手にする朝陽君にどういう意味?とも聞けずに目をしばたたく。

「会った時から、友達だとは思ってない」
「…っ」

独特の音を立て、朝陽君の手元を照らす花火が七色に光る。
友達ではない、それは…文字通り受け取るなら私たちの間には友情はないということになる。
こんなに一緒にいるのに、たくさん笑い合ったのに友達じゃないと言われたショックが大きすぎて眩暈がする。
どんどん視界がぼやけていくのを感じながらも何も言えない。

「あ、違う。そういう意味じゃない」
「…朝陽君…」
「みずきのことを友達以上に見てるってこと」

その瞬間、彼の回答が想像をはるかに超えたものだったから間抜けな声を出してすでに色を無くした花火と朝陽君を交互に見る。

「どういう…」
「そのままだよ。好きなんだ、みずきのこと」
「っ」
「迷惑かもしれないし、みずきはこのままの関係でいいって思うかもしれないけど俺は気持ちを伝えたい」
そして、あんぐりと口を開けたままの私に言った。

―好きなんだ、誰よりも