東屋でユウと顔を合わせている最中に上がった雨は、まとまった厚い雲に姿を変え、翌日も一日中上空に留まった。
 降るなら降ればいいのに――思わずそう毒づきたくなってくるほどにどんよりとした天気が、朝から続いている。けれど、今日は花梨と一緒に帰る約束をしているから、降らずに済んで良かったのかもしれない。
 雨が降ったら、帰り道、まず間違いなくユウの姿が見えてしまうだろう。誰かと一緒にいるとき、ユウに話しかけることはできない。手を振ることさえできない。ユウが見えているのに無視するなんて、できる限りしたくなかった。

「叶生~」
「はーい、今行く!」

 帰りのホームルームが終わると、花梨が教室まで迎えに来てくれた。学校を出て並んで歩き、駅前を目指す。まずは、新しくできたジェラート店に揃って寄り道した。
 四月も、あっという間に終盤だ。間もなく五月、冷たいジェラートがより美味しく感じられる季節になった。ふたりでそれぞれ異なるフレーバーを選び、スプーンで自分のものを、ときおり相手のものを掬いつつ、お喋りに興じる。
 そして放課後の話題になったとき、花梨が重々しい溜息を零した。

「はぁ。四月になってから水曜がしんどいよぉ~」
「水曜? なんかあったっけ……ああ、もしかして塾?」

 訊き返すと、花梨はぶんぶんと勢い良く首を縦に振った。

 進級に合わせ、花梨は塾に通い始めていた。花梨の成績は、私よりも少し……いや、だいぶ下位に位置している。中の中程度という自覚がある私よりも遥かに芳しくないため、とうとう、彼女の両親が個別指導の塾に通うよう提案したらしい。
 はぁ、と再び大きな溜息を落とした花梨は、半分まで減ったジェラートへ雑にスプーンを差し入れた。
 顔のしかめ具合から察するに、かなりきつそうだ。元々、花梨は塾になど行きたくないとたびたび愚痴を落としていた。本人がそう言っている以上、親や塾側がどれだけ頑張っても、成績の向上は望めないのでは……と、部外者である私まで心配になってくる。

「ええと、駅裏のあそこだよね……あれ、名前忘れちゃった。ごめん」
「そうそう駅裏の! ああもう、名前も思い出したくない!」

 叫びながらジェラートを口に運ぶ花梨から、相当なストレスを感じる。
 同情しかけたそのとき、花梨が、あ、と思い出したような顔をした。

「ああ、でもさ。中学のとき同級生だった藤堂くん、同じところに通ってるんだよ。偶然でびっくりしちゃった」

 ……藤堂。その名前が耳を掠めたと同時、スプーンを持つ指がひたりと止まる。
 顔が強張った自覚はあった。しまった、とばかりに目を見開いた花梨が、ジェラートを食べることを中断してしどろもどろに謝り出す。

「あ……と、ごめん。叶生、藤堂くんと仲悪いんだったよね」
「うん、まぁ。仲悪いっていうか、嫌い……っていうか」
「……叶生がそこまで言うの、ちょっと珍しいよね」

 花梨の声は遠慮がちで、大人げない態度を取ってしまっているなと自嘲する。
 ハルキと花梨は、小学校まで別々の学区だった。だから、小学四年生のときに私とハルキの間に走った亀裂を――その詳細を、花梨は知らない。ただ、私とハルキの家が近いことと、中学時代に私がハルキとほとんど口を利かなかったことは知っている。
 場の空気が急激に重くなったなと察し、私は強引に声のトーンを上げた。

「あの、私がそうっていうだけだから気にしないで。向こうだって、私以外には性格悪い態度なんてそうそう取らないだろうし」
「……うん。けど、こないだ藤堂くんに叶生のこと、訊かれてさ。『元気にしてるのか』って」
「は?」
「雨でビシャビシャになってるとこ、見たって言ってた。心配そうにしてたよ? ていうかそんなことあったの、叶生? 大丈夫だった?」

 思いもよらない話を切り出され、返す言葉を失う。
 雨でビシャビシャになっていたところを見たという話は、きっとあの日のことだ。初めてユウと会った日、私は派手に転んで、スカートを駄目にしてしまって、それを玄関先で偶然ハルキに見られた……けれど。
 眉が寄った。ハルキが、そんな話を花梨に伝えた理由が分からない。

「……私は大丈夫だったけど」

 ぼそりと零した声は、自分で思う以上に低かった。
 びしょ濡れの私を見て、話のネタにしようと思ったのかもしれない。無理やりそう思うことにした。
 ハルキは、性格が歪んでいるわけでは決してない。単に私を嫌っているだけだ。それから、私もハルキが嫌いなだけ。

 私の低い呟きを、花梨は驚いたような顔で聞いていた。
 ばつが悪くなってくる。人の悪口でも言っている気分だ。実際、誰かが嫌いだという話は悪口と同類だろう。どす黒い気持ちが噴き出し、せっかくのジェラートが美味しくなくなってしまいそうだ。

「ごめんね。嫌いな人の話されるの、嫌だよね」
「っ、いいのいいの、私こそごめん。……あの、もしまたなんか訊かれたら、適当に濁しといて。多分もうそんなこと、ないと思うけど」

 複雑そうな顔をしながらも、花梨は私のお願いに「分かった」と返してくれた。

「ああんもう、せっかく久しぶりに寄り道できたのに! もっと楽しい話しよ!」
「うんうん、塾の話なんてやめとこやめとこ」
「ちょっと、ほじくり返すのやめてよ~!」

 ひとしきりお喋りしてから、私たちはジェラート店を後にする。
 店を出て間もなく、花梨が「あ」と思い出したような声をあげた。

「そうだ。あたし、こないだ傘壊しちゃってさ。雑貨屋に寄ってもいい?」
「いいよー、行こ行こ」

 返事をしてから、傘か、と思う。
 手元の傘をちらりと見やる。曇り空だから、私は今日も傘を持ってきていた。ごく普通の透明なビニール傘だ。中学生のときにお気に入りの傘を失くして以来、これを使い続けてきた……でも。

「傘、私も新しいの買おっかな」
「おっいいじゃん、買お買お。叶生、前からそのビニール傘だもんね」
「うん。昔気に入ってたやつ、失くしちゃって……それからずっとこれなんだ」
「あ~、分かる。置き忘れとかしちゃうとショックだよね」

 どんな傘にしようかと取り留めもなく話しながら、駅ビル内の雑貨屋へ向かう。
 店の入り口の横、ぐるりと囲む形で飾られた色とりどりの傘は、綺麗にグラデーション状になるよう並んでいる。

 それぞれ気に入ったものを選び、傘以外の雑貨もあれこれ手に取ってから会計を済ませた。
 花梨は水色の傘を、私は赤色の傘を選んだ。私が選んだのは、縁に淡いピンクのフリルがついた、日傘としても使えるものだ。むしろそちらの用途で使う人のほうが多そうだと思ったものの、デザインにひと目惚れして選んだから後悔はない。
 昔失くした傘も、鮮やかな赤い色だった。あれよりも綺麗な色に見える。それが一番の決め手だった。

 幼馴染の話題のせいで胸にのさばっていた憂鬱が、楽しい買い物のおかげで少しずつ晴れていく。
 明日以降、もし雨が降るなら、これを差して児童公園の東屋に行こう。
 事情を知らない花梨にそんな詳細は伝えられないけれど、新しい楽しみを胸に、私はひとり口元を緩めた。