声をかけると、白オバケはわずかに身動ぎした。
 相変わらず顔も身体も真っ白で、顔のパーツどころか、身体の部位さえ見分けがつかない。微かに動いて見えたが、実際には振り返るとか顔を上げるとか、そういう動きをしているのかもしれなかった。

『……あんた……』
「あ、あの、なんていうか、気になって。また来ちゃった」

 挨拶の後になにを喋るか考えていなかったから、しどろもどろになってしまう。上擦った私の声の後、沈黙が落ちた。
 相手がなにを考えているか、表情が分からないせいで想像もつかない。先に続きを喋り出したくなる気持ちを堪えて相手の反応を待っていると、白オバケはおもむろに立ち上がった。

 白オバケの全長を眺め、私は目を見開いた。背丈が小さかったからだ。
 身長百五十センチちょっとの私より小さい。意外だ。それに、立ったり座ったりするところも初めて見た。些細な所作まで、妙に新鮮に見える。

『……ベンチ』
「え?」
『座れば』
「えっ、あ、うん。はい」

 言葉少なに喋る白オバケは、言いながら、自分も東屋のベンチへ移動した。
 いわれてみれば、座っているように見えなくもない。隣に座るのも気が引け、私は向かいの席に腰を下ろした。
 他の人には白オバケが見えていない以上、雨の中、公園の東屋にひとり腰かける制服姿の女子高生という構図ができあがっているはずだ。カモフラージュのためにと急いで鞄から参考書とノートを取り出した私は、適当なページを開き、小さく咳払いを落とす。

「ええと。あなたのことって他の人は見えないだろうし、今、私がひとりでここに座ってる感じになっちゃうじゃない? だからその、勉強してるふうを装ってるっていうか」

 取り出したノート類から視線を外さず、一方的に喋り出した私に、白オバケは短い沈黙の後『そうか』と相槌を打った。
 話は通じているらしい。それは前回と変わらない。感動してしまいそうになる。

『……もう会えないかと思ってた』

 眼下の参考書へ集中力の欠けた視線を向けていると、白オバケがぼそりと呟いた。思わず目を丸くしてしまう。
 まるで、私に会いたがってでもいたみたいな言い方だ。そういえば、前には『話しかけられたり傘で突かれたりしたのは初めてだ』と言っていた。話が通じたり、姿を認識してもらえたりする時点で、私は彼にとって貴重な存在なのかもしれない。

「あ……ごめん。あのときはちゃんと伝える時間がなかったんだけどさ」

 考えてみたら、白オバケには私の体質についてなにも伝えていない。
 もしかしたら、雨の日以外の私には見えないというだけで、彼はこの一週間ずっと私を待っていたのかも……微かに罪悪感を覚え、私は遠慮がちに続ける。

「私ね、雨の日にだけ幽霊が見える体質なの。昔から」
『へぇ。だから今日来たのか』
「そういうこと」

 前回よりも口調が砕けている。
 親近感を覚え、私はふふ、と声をあげて笑ってしまう。

『あんたは』
「ん?」
『怖くないのか。俺のこと』

 白オバケが喋る。くぐもってはいるけれど、慎重そうな声だ。
 相手の口がどこにあるのか分からないのに、声は白オバケの方向、それも顔の辺りから聞こえてくるから不思議だ。私の目に映っていないだけで、彼の顔には目や口がきちんと備わっているのだろう。

「ええと……うん。あんな転び方したところ、見られちゃったし。もう怖いもなにもないかなって」
『ふうん。結構逞しいんだな』

 ……思ったよりもよく喋る。それに、相手は今「俺」という一人称を使った。
 声が低いから予測はできていたけれど、やはり男性のようだ。それにしては背が低すぎる気もするが。
 白オバケと話しながら、公園の出入り口に背を向ける形で座ってしまったな、と思う。逆の位置のほうが人の気配に気づきやすいかと思いながらも、そこまで長居はしないだろうと割りきることにする。

 こほん、とおもむろに咳払いをする。
 気になっていた詳細を訊く、絶好のチャンスだ。

「ねぇ。あなた、なんでこんなところにいるの?」
『なんでって……よく分からない』
「前は電柱の下にいたよね」
『あれは……あのとき、人が歩いてるの、たまたま見えたから。その、あんたの傘が』

 質問が唐突だったからか、面食らっているような声ではあった。
 けれど、白オバケは予想以上に律儀に返答してくれる。真面目な性格をしているらしい。

「覚えてること、なにかないの?」
『覚えてること……』

 考え込むような声で呟いた後、白オバケは黙った。
 ぼやけた輪郭の腕が、頭の下辺りにゆっくりと動く。なんだなんだ、と目を凝らして様子を見守っていると、彼は再び声をあげた。

『なにかがここまで出かかってはいる、けど……分からない』

 困惑の滲んだ声だった。
 ……「ここまで」ってなんだ。もしかして、その腕が示しているのは喉か。腕も喉もぼんやりとしている分、ジェスチャーとしては少々分かりにくい。
 返答に困った私は、そっか、と控えめに返した。少なくとも、「喉まで出かかっている」という表現を知っていることは判明した。

 とはいえ、記憶に関する情報があまりに少なすぎて困ってしまう。例えば服装が分かれば、年齢や趣味など、想像のつく点がいくつか出てくるだろう。けれど、彼の姿は今日も白くぼんやりとしている。目を凝らしても、朧げな輪郭がぼうっと浮かび上がっているだけだ。
 目をこする。その後、もう一度じっと正面を見つめる。
 見え方はやはり変わらなかった。私の目が霞んでいるせいでぼやけているわけでは、決してない。

「ええと、そうだ。名前は? 思い出した?」
『いや』
「そっかぁ……」

 淡々とした返事に、ついに私は質問を途切れさせてしまう。
 次はなにを訊こうか。というより、白オバケは本当に、忘れていることを思い出したいと思っているだろうか。私が余計なお節介をしているだけなのでは、と不安が過ぎったそのとき、彼がぼそっと呟いた。

『あんたの名前は?』

 今度は逆に問われた。そのタイミングと問われた内容に、私はぽかんとしてしまう。
 ……いつの間にか「あんた」呼ばわりされている。苦笑いしながら、私は鞄からペンケースを取り出した。シャープペンシルを手に取り、でこぼこのテーブルに置いたノートの端へ、自分の名字と名前を記していく。

「これで『かなお』って読むの。楠本 叶生」
『ふうん。カナオ、か』
「字は読める?」
『……あ、読める』

 わずかな沈黙の後に放たれた最後のひと言は、はっとした感じだった。無意識のうちに読めていたらしい。
 これで、字が読めることも判明した。彼自身も初めてそうと気づいたようだ。いわれてみれば、文字を確認できるものなど、この周囲にはほとんどない。せいぜいが出入り口の古びた看板くらいだ。
 今みたいに、無意識の部分を刺激して呼び覚ましていけば、なにかの拍子に記憶が戻ってくる可能性は十分ありそうだ。調子づいてきた私は、勢いに任せてぐっと身を乗り出した。

「ところで、あなたの呼び方はどうしようか。いつまでも白オバケって呼んでるのもなんか悪いし」
『白オバケ……そんなふうに呼んでたのか、あんた』
「頭の中でだけだよ。あなたのこと、他の人には話せないし……そうだ、幽霊の『ユウ』でどう?」

 思いつきで提案した後、たっぷり五秒は沈黙が落ちた。
 いくらなんでも適当が過ぎただろうか。怒られるかなと不安が芽生えてきた頃、正面から不意にふ、と笑い声が聞こえてきた。

『ユウ……ふふ、ユウか。いいよ、それで』
「え、こんな適当なのに本当にいいの?」
『なんだ、駄目だと思いながら言い出したのか、あんた?』
「うん」
『……へぇ』

 呆れたような返事だ。軽口を叩き合っているみたいで楽しい。昔から仲の良い友達と話しているような錯覚が、ふっと胸を過ぎる。
 内容の薄い応酬を繰り返しては、ユウはときおりふふ、と笑う。
 楽しそうだし、まあいいか。ついさっき覚えたばかりの錯覚を持て余しつつ、私もふふ、と笑い返した――そのときだった。

「え?」

 知らず声が出ていた。
 ユウの姿が、なんの前触れもなく透け始めたからだ。

「な……ち、ちょっと、なに!?」

 慌ててベンチから腰を上げる。直後、私の剣幕に驚いたような声で『なんだ?』と尋ねられた。いつも以上にくぐもったそれは、確かにユウの声だった……だが。
 そのときにはすでに、ユウの姿は見えなくなっていた。

「あ……」

 その場に残ったのは、半端に腰を浮かせた私だけ。テーブルの端へ視線を移すと、角に柄を引っかけておいた傘が目に入る。
 ……そうだ、雨。弾かれたように、私は東屋の外へ視線を向けた。

「そっか……」

 外を眺めながら、私は呆然と呟いた。
 雨はやんでいた。だから、ユウは私の目に映らなくなったのだ。いわれてみれば、前に遭遇したときにも、ユウは今みたいに突然透明になった。
 東屋の屋根からぽたりと垂れ落ちた名残の雨粒を眺め、小さく息を零す。いきなり姿が見えなくなる、しかも透けてそのまま消えてしまうという現象は、見ている側としては胸が締めつけられる。はっきり言って心臓に悪いし、話もまた、中途半端に途切れたきりで宙ぶらりんだ。

 ぼうっとしつつも、私はテーブルに広げていた参考書とノートへ指を伸ばした。
 それらを畳んで通学鞄へ戻し、次いで、ユウはどこに行ったのかと思う。この場から消えていなくなったわけではなく、単に私の目に映らなくなっただけなら、まだ向かいのベンチに腰かけているかも、とも。

 対面を見つめる。誰もいないベンチの上――さっきまでユウが座っていた、今も座っているのかもしれないその場所を。
 ユウ、と呼びかけようとして、けれど私はその声を喉の奥で押し殺した。
 呼びかけたところで返事が分からない。雨がやんでしまった以上、今の私にはユウの声はもう聞こえない。

 ただ姿が見えなくなるだけではないのだと、いまさらながらに思い至る。

「……またね」

 独り言みたいに呟いた。
 本当にそこにいるか分からない相手に、私はその言葉を本当に伝えたいのかどうかもよく分からなくて、けれどこれで終わりにしたくないという気持ちは前よりも確実に強くなっている。
 もやもやした気持ちは晴れない。そのままの気分で、私は鞄と傘を手に取り、ベンチから静かに立ち上がった。