『悠生くんと叶生ちゃんは、名前におんなじ字が入ってるんだね』

 ――そうだよ。私たち、仲良しだから。

 思い返すと、同じような質問にはいつだって同じように答えていた。別に、名づけられた瞬間から一緒というわけではないのに。
 夢を見ていると気づいたのは、赤いランドセルを背負う女の子――自分が見えたときだった。小学時代の夢。嫌な記憶を、傷ついた思い出を、私に見せつけるようになぞってくる夢。きっとそういう類のものだと、漠然と察していた。

 あの頃の私たちは、本当に仲良しだった。
 クラスが離れてからも一緒に帰っていたし、ハルキが誰かに叩かれたり嫌なことを言われたりしているときには、私が間に入って庇った。逆のケースもあったにはあったけれど、小柄だったハルキは同学年の男子からよくからかわれていたから、私が守ってあげることのほうが多かったと思う。
 担任の先生に言われた言葉に、私は笑って、それも少し得意げに「仲良しだから」と返して……そこから、場面はくるくると回って動き出した。

 熱があるからなのか、単にそういう夢だからなのかは分からない。
 酔いそうになったところで、不意に回転が止まった。ほっとしたのも束の間、次に見えた景色は、私の背筋を粟立たせるにふさわしい場面だった。

 雨の夕方、おそらくは下校中。長靴を履き、カバーをつけたランドセルを背負った私とハルキが並んで歩いている。小学生――多分、学年は四年生だ――のふたりを、私は上空に浮かんで見下ろしていた。
 ハルキはそそくさと水溜まりを避ける。私はわざと水溜まりを選んで、しかもジャンプまでして水をはねさせる。
 仲良しだからといって、中身まで似ているとは限らない。行動が頻繁に正反対になる、それでも気が合う。どこにいても、なにをしていても、私たちはおおよそそんな感じだった。

 ……あの日のハルキには、私が雨の中で急にぼんやりし始めたように見えていたのだと思う。
 飛び跳ねた水溜まりの数が片手では数えきれなくなった頃、足元からふと顔を上げたそのときに、見えた。白くぼんやりとした、髪の長い、女性と思しき……私は露骨に目を逸らし、ハルキの袖を掴んだ。
 ほぼ無意識のうちに取った私の行動のせいでハルキは転びそうになり、「おい」とそれを咎め、けれど彼は私の青い顔にすぐ気づいてくれた。

 家の前まで送ってくれたハルキに、私は、ハルキなら信じてくれるのではと期待を膨らませてしまった。
 そして、内緒にしてほしいと前置きをしてから、伝えた。

『私、たまに……見えるの。雨の日だけ』

 その日幽霊と遭遇しなかったら、ハルキに打ち明けたいとは思わなかった。けれど、起きてしまったことがすべてだ。
 最初はぽかんとしていたハルキの表情が、次第に気持ちの悪いものを見るようなそれに変わっていく。そのさまを、私はこれ以上ないほど大きく目を見開いて見つめていた。

『なに言ってんだ、お前……幽霊なんて、っ、いるわけないだろ!!』

 耳を劈かんばかりの声が、私を責めるためだけに発せられた糾弾が、私をまるごと呑み込むかのように襲いかかってきた――その瞬間に目が覚めた。

「っ、は……」

 夢の最後、大きく見開いた両目へ最初に映り込んできたものは天井だった。
 自室にいると気づくまで、数秒かかった。乱れに乱れた荒い呼吸は、さらに数秒が経っても落ち着かない。

 ……久しぶりにあの夢を見た。

 声を荒らげて私を非難するハルキの顔は、夢の中でさえ思い出せないからか完全にのっぺらぼうで、そのことが余計に私を辟易させる。
 のっぺらぼう。私にとっては他の誰よりユウを連想させるそれが、夢の中の小学生のハルキに取って代わられるような、あるいは置き換えられてしまうような、得体の知れない不安が胸を覆い尽くしていく。
 ぞくりと背筋が震えた。発熱のせいだろうが、それが理由のすべてではないという気も確かにしていた。

『いるわけないだろ』

 こんな夢を見るのはいつ以来だろう。思い返しては息が詰まる。それなら思い返さなければいいだけだと思うのに、思い出すまいと努めることは、それ自体が思い出すことと同じだ。
 悲鳴じみた声で私の体質を否定した、小学四年生のハルキを思い出す。微かな怯えが滲んだ声。怒り、悲しみ、痛み……多くの感情が綯い交ぜになった声。もっとも、当時はそんな詳細まで感じ取っていられる余裕はなかったけれど。
 声変わり前、私より高い声をしていたハルキ。あのときは、私の体質どころか私自身を頭から否定された気がしたものだ。

「っ、う……」

 まだ背中が寒い。頭痛もする。布団の中にいるのに、ぞくぞくとした感覚は一向に消える気配がない。
 いけない。こんな心境では、思い出したくないことまで思い出してしまう。

『叶生ちゃん、幽霊が見えるって本当!?』
『どういうふうに見えるの? ねえ、どこで見た!?』

 ……ああ、と声が出た。結局、思い出してしまった。あの直後、私に幽霊が見えるという話が、学校中の噂になったことを。
 数人のクラスメイトからの矢継ぎ早な質問を、私はすべて否定した。見えること自体を「違う」と言いきった。どうせ誰も信じていないだろうし、このままでは面白おかしく話が広まるだけ。そう思ったからだ。
 現に、あのときすでにからかうような声は聞こえていた。見えるときに教えてよ、と楽しそうに笑うクラスメイトもいた。彼らには一切悪気がなさそうで、むしろその屈託のなさこそが毒々しい悪意に見えた。

 私の怒りは、噂を吹聴して回るクラスメイトには向かなかった。矛先はハルキただひとりに向いた。そんな噂を回せる人間など、ハルキ以外に考えられなかったからだ。
 ハルキには何度か声をかけられたけれど、無視を貫いた。一度、「話を聞いてくれ」と強引に腕を掴まれ、それも振り払って逃げた。
 謝罪は聞きたくなかった。幽霊が見えるという私の話を否定したことへの謝罪でないなら、どんな謝罪にも意味がない。噂を広めた件だけ謝るつもりなら、なおさら許す気にはなれなかった。

 ――ハルキのお祖父さんが亡くなったと知ったのは、その翌週だ。

 ハルキのお祖父さんは、長い間入院生活を送り続けていたらしい。
 幼稚園児の頃、一度か二度会った気がしなくもない。だが、別のお爺さんだったのではないかと問われたら、それを否定できるほどでもなかった。幼少の頃の記憶はどれもこれも曖昧で、ハルキのお祖父さんの顔も声も、今でも私には思い出せない。
 幽霊に遭遇した雨の日、あの一週間ほど前に、思えばハルキは「忌引」という休みを取っていた。当時の私には聞き慣れなかったその休暇が、身近な人を弔うための休暇だということも、きちんと理解したのは後になってからだ。

 私が秘密を打ち明けたとき、ハルキは、すでに身近な人物の死を体験していた。
 それは思いもよらない事実だった。ハルキは怖かったのかもしれない。あるいは、亡くなったお祖父さんを私の話に重ねてしまったのかもしれなかった。
 お祖父さんが幽霊みたいな悪いものになるわけがないと、彼がそういう気持ちを抱いて怒ったのだとしたらどうだろう。幽霊は総じて、悪いもの、怖いものとして捉えられがちだ。だいたい、昔の私だって、幽霊に遭遇するたび震えながら必死に目を逸らしていた。

「……ふう……」

 少しずつ、呼吸が元のペースに戻ってくる。汗をかいた背中は冷えきっていて、それでも浴室に向かう気力はとても生まれなかった。
 時計を見ると、午後三時を過ぎていた。公園で倒れたときの時刻は確認していない。けれど、ある程度まとまった時間眠りに落ちていたことは察した。

 児童公園から送ってくれたハルキの顔を思い出す。
 ハルキは、玄関の鍵ひとつ回せない私を支え、代わりに鍵を回し、家の中まで送り届けてくれた。ただ、こんな状態でも、ハルキを部屋に入れたくはなかった。「ここでいい」とぶっきらぼうに部屋のドアを閉め、そのまま私はベッドに倒れ込んだ。
 弱みを見せてしまった気がして、居心地が悪かった。感謝の気持ちを覚えるより先にそんなことを考えるのだから、私は相当に性格が歪んでいる。そう思ったら、またも気分が塞いだ。

 ズキズキと痛む頭を指で押さえたそのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。身構えたものの、次いで聞こえてきたのは「入るぞ」という父の声だった。

「おお、起きたか」

 首だけをドアの方向に向けると、父はその場から動かずに声をかけてくる。
 ああ、帰ってきてたのか、とぼんやり思う。

「大丈夫か? なんか飲むか、それかお粥でも食べるか?」
「ん……水飲みたい。ていうかハルキは?」
「え?」

 訝しげな父の声を聞き、はっとした。
 父が帰ってきたときに、ハルキがこの家に留まっていたとは限らない。口が滑ったことへの焦りが先走り、熱っぽい頭を無理に回して弁解を巡らせていると、父は「ああ」とやっと当を得たような声をあげた。

「悠生くんの話か。お父さんが帰ってくるまでリビングで待っててくれたんだ、お前が熱を出したって教えてくれてな。さっき帰ってったぞ」
「……そう」
「送ってもらったのか?」
「……まぁ」

 言葉尻を濁しながら、私はわざとらしく腕で目を覆った。
 父には、今日の外出について特に伝えていなかった。どのみち行き先はすぐ近くの児童公園で、わざわざ伝えることでもない。
 話はこれで終わりだ、という意味を込めて父から視線を外した。すると父も察してくれたらしく、「水、持ってくるから」と階段を下りていく。

 父の足音が聞こえなくなった途端、しんとした部屋の空気が逆に耳を震わせた。沈黙が訪れたと思ったのに、間を置かず、窓際から音が聞こえてくる。
 しとしと、しとしと。雨が降っている。開けてもいない窓の外からベッドの上まで、はっきりと水音が聞こえてくるほど。

「……ユウ」

 思わず声が零れた。
 私の家がどこか、ユウは知っている。それどころか私の部屋の場所だって知っていて、それなのに傍へは来てくれない。身勝手な私は、そのことに落ち込んでいる。挙句の果てに、ハルキがいたからユウが来てくれないのではなどと思ってしまっている。
 不意に、ハルキの口元が――唇の右下に覗くほくろが頭を過ぎり、首を横に振って無理やり思考を遮った。突然揺れた頭の奥がずきりと鈍く痛み、自業自得だというのに、私は派手に顔をしかめた。