窓から見える、空の黒を包んだ白い月光に照らされた緑の草。青白い光が綺麗だった。

 綺麗なものを描きたかった。美しいものを描きたかった。けれど、あたしは穢れている。墨のような、煤のような、こすっても落ちない汚れにまみれている。

 「普通に――」。誰かの声が、耳の奥で蘇る。いやに強調された“普通”という言葉が、全身を握り潰すようにしながらぐるぐると巡る。あたしは普通じゃない。綺麗じゃない。……だから、美しいものなんて描けない。

 トンネルに響く音のように、“普通”、“普通に”と言う声が耳の奥で繰り返される。耳を塞いでも、目を閉じても、声は拭えない。

 ああ、もう、うるさいな――。

 わかったよ。わかってるよ。あたしは普通じゃない。穢れてるよ、汚いよ。わかってる。言われなくたってわかってる。美しい月の光が、誰に言われなくとも美しくあるように、あたしだって、あんたに言われなくたって汚いんだ。

 普通に、普通にと繰り返す姿形のない声に、瓶を投げる。それは当然、声を攻撃するより先に、壁に当たって砕け散る。もったいないと思う。筆を洗うための瓶。ジャムや蜂蜜が入っていたものだったり、店で買ったものもある。

もったいないと、思う。だけど、こんなうるさい音でも聞いていなければおかしくなりそうなんだ。瓶は誰にも当たらない、どれも壁や床に当たって砕け散る。そして、中の色水が部屋を汚す。それを確認して、ここは現実なんだと、ここには誰もいないんだと言い聞かせる。あたしは一人だ、あたしは一人だと。ここで本当に聞こえるのは、瓶と色水が散る音だけなのだと。

 けれど、声は尚も続ける。普通に、普通にと。

 ――ああ、なんて悍ましい――。

 喉が、叫ぶように鳴った。下手な笛のように。

 「黙れっ」

 投げつけた瓶が、壁や床に当たるのとは違う音を鳴らした。耳の奥が、頭の中が静かになって見てみると、イーゼルは倒れ、色水に汚れたカンヴァスのそばに、瓶が落ちていた。ああ、あたしは本当に綺麗なものを作れないんだと再確認する。カンヴァスは油絵具を載せるためのもので、水彩画で使った、色水の入った瓶を投げつけるためのものではない。