「民香ちゃんについて、教えてくれませんか?」

 養老が去り、浄御原が〝俺〟に疑問を投げかけた。

「そんなこと知ってどうする?」
「別にどうこうするつもりはありません。ただココには法律の〝プロ〟がいます。何か力になれることがあるかもしれませんよ」
 
 と、浄御原は俺を見ながら答える。
 残念ながら、アマチュアもいいとこなんだがな。

「絶対に力になってやるなんて無責任なことは言わねぇよ。ただ言うだけ言ったとしても損はないだろ。どうせ俺たちはすぐに居なくなっちまうんだしな。お前もあの子を少なからず、心配には思っているんだろ? まぁ無理に話す必要はないが」
「……少し長くなるが、いいか?」

 〝俺〟は養老について話し始めた。
 どうやら養老の父親は、現在彼女が入所している施設の理事長だったらしい。
 一代で施設を立ち上げた優秀な人物だったが、ある日転機が訪れる。
 知人から紹介された投資案件で失敗し、多額の借金をつくってしまう。
 その額は個人で背負うにはあまりにも大き過ぎた。本来不正を許さない潔癖な性格ではあったが、よほど切羽詰まっていたのだろう。
 彼は地元企業から施設へ送られた寄付金に手を付けてしまった。
 経理スタッフと協力し、不正会計処理を行い税務署の目を欺いていたが、ある日経理スタッフが良心の呵責に耐えかねて自白してしまう。
 それにより、事件は明るみになり、施設の信用は地へ落ちることに。
 彼女の父親は業務上横領の罪に問われ、逮捕。母親は他に男をつくり、彼女の前から姿を消してしまった。
 引き取ってくれる親戚も見つからず、養老は父親の創設した施設に預けられる運びとなった。
 だが施設の信用を落とした張本人の娘ともなれば、やはり風当たりも強い。
 食事についても、他の子供たちよりも少なく配膳されたりと、露骨な嫌がらせを受けているそうだ。
 そのため、養老はいつも腹を空かせているらしい。
 だから〝俺〟は施設の自由時間を見計らい、こうして食事を取らせているようだ。

「そうですか……。そんな過去が」
「直接的な暴力はないにしろ、それもう虐待だろ」

 コクリと頷き、〝俺〟は答える。

「だろうな。だからと言って〝俺〟に何ができるんだ? 親でもなければ親戚ですらないんだからな」

 確かに現状〝俺〟が動く義理はないのかもしれない。
 ならば。

「……なぁお前、金はあるか?」
「何だ? 自分相手にカツアゲでもするつもりか?」
「そうじゃねぇよ。いいから聞け。マルチで儲けた金はたんまり残ってるのか? それだけ答えろ」
「そうだな、まぁこの年齢にしては持ってる方じゃねぇか。貯金ももうすぐ大台に乗るし」

 大台って1000万? もしかして億? マジで? マルチってそんな稼げるのか?
 収入だけ見りゃ、完全に勝ち組じゃねぇか。
 敢えて比べる意味もないが、それでも敗北感は拭えない。

「そうか。それだけありゃ十分だな」
「近江さん、ひょっとして……」

 俺が具体案を提示しようとすると、店の格子窓越しに養老が泣きながらどこかへ走り去っていく姿が視界に入った。

「おいっ! アレ、養老じゃないか!?」
「あっ! そうみたいですね。泣いてましたね……」
「追いかけるぞ!」
「お、おう。分かった!」

 養老を追いかけるため、俺たちは喫茶店を出た。
 子供の足とは言え、やや初動が遅かったらしい。彼女を見失ってしまった。

「……少し遅かったな。どうする? 闇雲に探し回っても時間の無駄だ」
「手分けして探しましょう!」
「待て待て! そもそも何も手がかりがないんだ。人手を分散させてもあまり意味がない」
「一つだけ思い当たる場所がある……」

 〝俺〟の言う場所について大方予想はつく。

「公園か?」
「あぁ」
「そうか。じゃあお前は先にそっちを探してくれ。あと養老の施設の場所を教えて欲しい」
「……何する気だ?」
「何もしねぇよ。話を聞きに行くだけだ」
「何故そこまでする? お前には関係ないはずだが」
「言っただろ。お前は俺だ。痴漢しようが、幼女を誘拐しようが、俺だけはお前に協力してやる」
「ほとんど犯罪予告だな。でも、助かる……。施設はこの通りをまっすぐ行って2つ目の信号を左に曲がれば見える」
「分かった。養老が見つからなくても公園には居てくれ。話が終わったらすぐ戻る」
「すまん……、頼む」

 それから俺と浄御原は、養老が入所している施設へ向かった。
 俺が思うにこの年頃の子供にとって、親や周りの大人が決めた価値観はこの世の全てだ。
 大人たちが養老を迫害するような空気をつくっているのであれば、周りの子供たちもその流れに抗うことは難しい。
 だから、ずっと養老は一人だった。
 誰にも相談できず、必死に抑えていた不安や恐怖、疎外感が何かの拍子で爆発してしまったのではないだろうか。
 とは言っても、俺が見たのは養老が泣きながら走り去っていく姿だけだ。
 現状どんなに考えたところで推測の域を出ない。

「何だかんだ言って、協力するんですね?」

 施設へ向けて走る中、浄御原が笑みを浮かべながら話す。

「何が言いたい?」
「いえ、私嬉しいんですよ。最初は放っておこうって言ってたじゃないですか」
「自分のために、動いただけだ。俺はこう見えて利己主義な人間だからな」
「……それはどうでしょうかね」

 俺は自分のために動いているだけだ。
 見知らぬ少女といえど、目の前で声にならないSOSを上げていることに気づいているにも拘わらず、それを見て見ぬふりするのはやはり寝覚めが悪い。
 これ以上、余計な罪悪感を抱えたくない。
 ただ、それだけのことだ。

「つまらんこと話してないで急ぐぞ」

 本当は何のために走っているのだろう。そんなふとして浮かびそうになる疑問を振り払うように俺は道を急いだ。