白魔法が使えない回復術士は要らないと言われたので、実家を召喚出来る城魔法を使って、異世界スローライフ

 半日近く馬車に座り、ようやくモラト村へ到着した。
 だが降りたのは俺だけで、他の乗客は更に遠くへ行くらしい。
 ちなみに、最初に召喚された城下町と比べると、明らかに人が少ないし、リクエスト通りの田舎なのだろう。
 だけど観光の前に、馬車の中で突然使えるようになった城魔法というのを使ってみたい。
 なので、石壁に囲まれた村を出ると、人気の無い林の中へと進んで行く。

「ここなら誰も来ないだろうし、早速……城魔法『サモン』!」

 スキルの使い方なんて分からないから、少し開けた場所で、とりあえず右手を前に突き出して叫んでみると、目の前が真っ白に光り輝く。
 しかし、光は一瞬で収まり、視界に見慣れた建物が映っていた。
 斉藤クリニックと描かれた看板に、白い塀。横に回ると植え込みがあって、斉藤の表札が付いた住居用の扉がある。

「……って、これ。うちの実家!?」

 いや、マジでそのまんま実家なんだけど。
 三階建ての実家は、一階が診療所で二階にリビングやキッチン。三階が俺や妹の部屋だ。
 まぁ妹と言っても、まさかの学生結婚で、既に娘――俺からすると姪にあたる、真衣ちゃんがいるんだけどさ。
 妹はどうでも良いけど、可愛い真衣ちゃんの事を思い出しつつ中へ入ると、住居用の玄関もリビングに、俺の部屋も、ほぼそのままだった。
 ただ、どういう訳か、一部の家電製品が無くなって居たり、形が変わっていたりするけど。

「冷蔵庫やコンロなんかのキッチン周りはそのままなのに、リビングのテレビとパソコンが無くなってるのは何故だ?」

 ちなみに、ソファやエアコンなんかは、そのままある。でも、電子レンジはなくなっていたけど。
 一方、三階にある俺の部屋はというと、

「あぁっ! ゲーム類が全く無い! あのRPG、めちゃくちゃやり込んだのに!」

 テレビに接続するタイプや携帯ゲーム機、それらに関する攻略本まで、どういう訳か綺麗に消えてしまっていた。

「でも、漫画やラノベはほぼ全て残っているんだよなー。一体、どうなっているんだ?」

 ゲームが無くなったのは悲しいけど、大量に集めた漫画やラノベは無くなっていない。
 他に残った箇所は……と、一階へ降りてみると、クリニックも概ねそのままだ。
 とはいえ、クリニックにあるものは、元々何が何だか俺には分からないけどさ。
 ……そういえば、父さんがこの家とクリニックの事を自分の城だって呼んでいたけど、もしかして城魔法って、実家を異世界へ呼び出すスキルなのだろうか。

「まぁいいや。とりあえず、これで寝る場所には困らないって事が分かったし、慣れた実家で寝泊まりしながら異世界を観光出来るなんて最高じゃないか」

 そう言って、喉がカラカラな事に気付く。
 考えてみたら、半日近く飲まず食わずだったんだよな。
 異世界だけど、冷蔵庫があるんだ。中身も大丈夫だろうと軽い気持ちで冷蔵庫の扉を開け、

「……え? ビン? ペットボトルが無いけど……母さんが突然エコに目覚めた? いや、そんな事は無いと思うんだけど」

 いつも必ず二リットルの水が入っている場所に、透明な液体が入ったガラスビンが置かれて居た。
 冷凍食品は!? と思って冷凍庫を開けると、凍った肉の塊だけが入っている。
 必ずと言って良いくらいに、いつも冷凍のうどんが入っていたのにな。
 よくよく見てみると、所々冷蔵庫のデザインが微妙に違う。
 温度調整用のつまみがあったはずなのに、それも無いし、

「って、コンセントが無いっ! 何これ、どうやって動いてるの!?」

 冷蔵庫に絶対あるべき線、それが無かった。
 水道は? ……うん、普通に使える。
 恐る恐る手を伸ばして水道の水を飲んでみると……普通の水だ。
 じゃあ、コンロは?

「えぇぇ……ボタンが無いんだけど」

 火を点けるボタンも、火力を調整するレバーも無い。
 IHだったはずなのに、ガスコンロになっているのはさておき、そもそもの使い方が分からない。
 トイレやお風呂は問題なし。
 意外な所で、食器棚にある真衣ちゃん用の割れない食器――プラスチック製の食器が木の食器に変わっている。

「プラスチック製の物が、木製やガラス製に置き換わっているのか? ……異世界にプラスチックが無いから?」

 という事は、テレビやゲーム、他にパソコンなんかが消えて居るのも、異世界に存在しない物だからという事か。
 つまり、この世界には冷蔵庫やエアコンなんかは存在すると。
 何となく法則が分かって来た所で、腹が減ってきたけど、電子レンジが無くなっていて、コンロが使えないのは困った。
 とりあえず、村で何か食べ物を買う事にしたんだけど、

「なるほど。俺が家から出ると消えるのか」

 俺が玄関から外へ出ると、実家が消えて居る。
 念の為、城魔法『サモン』を使ってみると、ちゃんと家が現れたし、問題なさそうだ。

 日が落ち始め、茜色に染まる村の中を走り回り、露店で旨そうな見た目と匂いのする物を適当に頼んで腹を満たす。
 それから明日の朝食として、サンドイッチみたいにパンで野菜や肉を挟んだ食べ物を買うと、急いで村の外へ。
 先程の林の中でもう一度城魔法を使おうとして、

「……ん? 人? 子供……か!?」

 倒れている少年を発見してしまった。
「君、大丈夫?」

 林の中で倒れている、金髪童顔の少年に声を掛けてみたけど反応が無い。
 どうしてこんな場所に子供が!?
 ここは日本とは違って異世界だし、夜には定番の魔物が出るかもしれない。

「サモン」

 一先ず安全な場所へ運ばなければと、城魔法で実家を呼び出すと、一階のクリニックへ少年を運ぶ。
 しかしこの少年……見たところ小学五年生か六年生って感じだけど、随分と軽い。筋肉が少なくて痩せているし、男の子なのに髪が長いのは……孤児なのだろうか。
 奥にあるベッドへ少年を寝かすと、クリニックのガラス戸をしっかり閉め、シャッターを降ろすボタンを……良かった、動いた。

「君、大丈夫? おーい」

 ダメだ。意識が無い。
 こういう時、どうすれば良いのだろうか。
 せっかく医療器具や薬があるというのに、俺が医療の知識を持たないが為に、何をすれば良いかが分からない。
 一先ず何か薬が無いかと、調剤室へ入ってみる。
 本来ならば、俺にとっては意味不明な薬のビンが並ぶ場所なんだけど、

「何これ? 草ばっかりなんだけど」

 無数に薬が置いてあった場所に、緑色の草とか、赤い花とか、謎の樹の実などがある。
 これも異世界に存在するものに置き換えられた結果なのだろうか。
 棚に貼られた説明用のラベルをザッと眺めてみる。

「カモミーユの花にアクアティアメンタ……なんだよ、それ。次は……バイタル・ポーション(F)? Fっていうのが何か分からないけど、とりあえず異世界の回復アイテムと言ったらポーションだろ」

 バイタル・ポーション(F)とラベルが貼られた小瓶に、白濁色の液体が入っているけど、流石にこれで実は牛乳でした……なんて事はないだろう。
 どれくらいの分量が正解なのかは分からないけれど、眠る少年の口にそっと白濁色の液を流し込んでみる。

「ん……」

 気が付いたか? と思ったけど、口に入れた液を全て飲み干したものの、先程と変わらず意識が戻らない。
 どうしよう。ポーションの量が少ないのか? それとも、そもそもこのポーションではダメなのか?
 別の方法が無いかとクリニック内を見渡し、ふと視界に映った物で視線が止まる。

「聴診器……さっきのポーションみたいに、これも異世界化されていたら……試してみよう」

 目の前の少年を助ける事が出来るのであれば、何でもやってやろうと、今まで触った事もない聴診器を耳に付け、少年の服を胸の上までまくる。
 胸に聴診器を当てると、

――スキルの修得条件を満たしましたので、お医者さんごっこ「診察」が使用可能になりました――

 城魔法を修得した時と同じ声が脳内に響いた。……響いたのだが、

「お医者さんごっこっていうスキル名は何だよっ! いや、確かに俺の知識はごっこレベルだけどさ!」

 このスキル名は何とかならないのだろうか。
 とりあえず、少年の胸に聴診器を付けたまま『診察』と呟くと、目の前に銀色の枠が現れた。

『診察Lv1
 状態:健康、睡眠状態』

 レベル1……はさておき、診察スキルによると、この少年は健康でただ寝ているだけらしい。

「何だよ。寝てただけか……って、凄い場所で寝るんだな」

 何にせよ、少年が無事で良かった。
 今まで何とかしなければと気を張っていたせいか、無事だと分かった瞬間、一気に眠気が襲ってくる。
 少年の服を元に戻して、俺も隣にあるベッドで寝る事にした。

……

 翌朝。
 寝起きに見慣れたクリニックが視界に映り、一瞬異世界に転移した夢を見ていたのか? と思った所で、

「起きた? おはよう。ところで、お兄さんは誰で、ここはどこなの?」

 昨日助けた少年が、隣のベッドから俺を見つめている。
 やっぱり昨日の事は夢ではなくて、そして俺は異世界に召喚されたんだ。

「おはよう。俺は斉藤竜司。で、ここは斉藤クリニック。昨日、林の中で君が倒れていたから、保護したんだ」
「保護かぁ……ふふっ。なるほど。もしかして、お兄さんはボクの事を知らない?」
「ん? あぁ、すまんな。俺は旅人だからな。世間には疎いんだ」

 とりあえず、異世界から来たというのが、どう思われるか分からないから旅人だという事にしたけど……もしかして、この少年は有名な悪ガキだったりするのだろうか。
 実は指名手配されていて、逃げていたとか? それなら、あんな林の中で眠っていたというのも、分からなくはない。

「あはは。別にボクは犯罪者とかじゃないよ。ただ、ちょっと有名なんだけど……まぁ知らないならいいよ。それよりさ、この家って何なの? 見た事が無い物ばかりなんだけど」
「えっ? まぁ何と言うか、スキル的な……」
「へぇー、凄いんだねー。ねぇねぇ、お兄さんは旅人だって言っていたけど、どこへ向かっているの?」
「いや、特に目的地は無いんだ。この世界を見て回りたいっていうだけでさ」
「何それ、カッコイイ! じゃあ、ボクもついて行って良い? ボクも世界を見て回りたいと思っていた所なんだー。それに、一宿一飯の恩は返さないといけないしねー」

 ついて来る……って、本気なのか!?
 寝る場所だけは保証出来るが、収入も無いから、この先資金が尽きたら食事も出来ないのだが。

「って、一宿一飯の恩? 宿はともかく、食事なんて……まさか」
「あれ? このパンって、ボクの為に置いておいてくれたんじゃないの?」

 見れば、朝食にと買っておいたパンの紙袋が綺麗に折り畳まれている。
 そういえば、昨日少年を助けようと必死で、買ったパンを少年のベッドに放置していたかもしれない。

「はぁ、仕方ないか。……えっと、君の名前は?」
「ボク? ボクはセシルって言うんだ。よろしくね、お兄さん」

 異世界生活二日目にして、十歳近く年下の少年と旅を共にする事になってしまった。
「そうだ、セシル。もしも知っていたら教えて欲しいんだけど……ちょっと来てくれないか」
「ん? なーにー?」

 セシルを連れて、二階のキッチンへ。

「これ、使い方って分かる?」
「これって……黒魔法で火の精霊の力を模倣するっていうマジックアイテムでしょ?」
「黒魔法? じゃあ、使おうと思ったら、黒魔法が使えないとダメなのか」
「ううん。黒魔法は仕組みとして使っているだけで、使う時には要らないって聞いた事があるよ。だから、単に魔力を込めてあげれば……ほら、点いた」

 俺が昨日使い方が分からず途方に困っていたガスコンロに、セシルがあっさりと火を点ける。

「あのさ、それってどうやるんだ?」
「魔力を送るだけだよ。多く送れば火が強くなるし、少ししか送らなければ火は弱くなるよ」
「……その、魔力を送るって、どうやってやるんだ?」
「どうやって……って言われても、普通に送るだけだよ?」

 困った。俺たちが呼吸の仕方をわざわざ教えて貰わないのと一緒で、この世界では魔力を送るという行為が、教える程でも無い当たり前の基本行動なのか。
 例えば俺が、右手を前に出す方法を教えてくれと言われても、右手を前に出す……以外に言いようがない。
 同じように、この世界では魔法を送るといえば、魔法を送るとしか言いようがないのだろう。
 とりあえず、食料は出来ている物を買うか、もしくはコンロだけはセシルに点けてもらうかだな。
 一応、一人暮らしで自炊していたけれど、チャーハンやヤキソバを作ってたくらいで、大したものは作れないしね。
 じゃあ、先ずは俺の朝食を買いに行きがてら、セシルと観光でもするか。

「よし、セシル。じゃあこれから……って、居ない!? ……セシルー! どこだー!」

 いざ出発! と思った所で、セシルの姿が見当たらない。
 幸いコンロの火は消してくれているみたいだけど、どこへ行ったのか。
 三階……は居ない。一階か?
 二階から一階にあるクリニックのスタッフルームへと降り、各部屋を覗いてみると……居た。

「セシル。調剤室なんかで何をしているんだ?」
「調剤室! なるほど。それでかー。お兄さん、これ凄いねー。ありとあらゆる薬草や薬があるねー。あ、調剤って事は、お兄さんは旅の薬師なの?」
「え? そ、そんな感じかな」

 異世界から間違って召喚されたサラリーマンとは流石に言えない。
 とりあえず適当に誤魔化していると、薬の棚を見て居たセシルが大きな声を上げる。

「うわっ、へーゼルの実がある! しかも、大量に! ねぇ、お兄さん。これ、ポーションにしてよ!」

 セシルの言うへーゼルの実が何かと思って見てみると、木の実……というか、へーゼルナッツだった。
 お酒のつまみとして一緒に出てくる事がある、アレだ。
 こんなナッツがポーションになるの? というか、ポーションにするって、どうすれば良いのだろう。
 セシルは何かを期待するような目でジッと待っているし、今更出来ないとは言い難い。
 昨日の聴診器の様に、見よう見まねでやってみたらスキルとして使えるかもしれない……というか、そうであってくれ。
 祈るような気持ちでへーゼルナッツを手に取ると、近くにおいてあったすり鉢へ入れてみる。

――スキルの修得条件を満たしましたので、お医者さんごっこ「調合」が使用可能になりました――

 やった! 予想通りスキルが使えるようになった。
 ただ、相変わらずお医者さんごっこというスキル名はどうかと思うが。
 内心では喜びつつも、顔に出さないようにしながら、修得したばかりのスキルを使ってみる。

「調合」

 そう言うと、すり鉢の中身が一瞬で青色の液体に……って、何故ナッツが青色になるんだ?
 若干疑問はあるけど、その辺にあった空のビンに液体を入れ、

「はい、出来たよ」
「凄い! こんなに簡単にマジック・ポーションが作れるなんて!」
「マジック・ポーション? ……あ、いや。まぁね。これくらい、簡単だよ」
「それに、この純度……おそらくAランクかBランクって所だろうね。いや、お兄さん。凄腕の薬師だったんだね」

 マジック・ポーションって何だろう。名前から察すると、魔法の力を回復する系かな?
 それにランク……AとかBとかって言っていたけど、よくある異世界物では品質とか効力を表す感じだろうか。
 昨日使ったポーションもFって書いてあったし、やはりそういう類の意味なのだろう。
 ……って、AとかBって不味く無いか? 普通、ポーションを作る異世界チートだと、FとかEとかを売って、高ランクのポーションは隠すよね?

「あ、あのさ。セシル。その、俺がAランクやBランクのマジック・ポーションを作れる事は秘密に……」
「なんで? せっかく凄い腕があるんだから、ポーションを作って売ればお金が入ってくるよ?」
「いや、でもAランクやBランクって、珍しいだろ?」
「そうかなー? ボクの所には普通にあったよ? AとかSとか」

 あー、なるほど。Aが一番上じゃないパターンか。SとかSSとかが存在する世界か。
 なら、AとかBじゃ騒がれないか。
 だとしたら、薬草を集めて調合スキルでポーションにして売る……うん。これなら、旅をしながらでもお金が稼げそうだ。
 マジック・ポーションを十個程作り、自室にあった鞄に入れて、セシルと共にクリニックを出る。

「こういう外観だったんだんだね。珍しい造りだけど……って、消えた?」
「俺が外に出て扉を閉めると消えるんだ。で、広い場所さえあれば、いつでも呼び出せるんだ」
「なるほど、凄いね。これなら宿の心配は要らないね」

 セシルも俺と同じ感想を抱き、一先ず朝食のため街へ向かう。

「そういえば、セシルはどうして林の中で寝ていたんだ?」
「ボクは草木に囲まれているのが好きなんだよ。だけど、お兄さんのベッド……あれは格別だね。あんなフカフカなベッドで寝た事無いよ」

 クリニックのベッドも日本製だし、異世界のベッドに比べれば数段優れているのだろう。
 この世界の標準的なベッドを知らないから、あくまで想像だけど。

「ところで、セシル。知っていたら教えて欲しいんだけど、ポーションを売るとしたら、どこが良いかな?」
「んー、ボクは人間社会に詳しくないけど、作ったポーションを売るなら商人ギルドじゃないかなー?」
「わかった。朝食を済ませたら商人ギルドへ行ってみよう」

 なるほど。ここはギルドがある世界なんだな。
 ただ、セシルは変な事を言わなかったか? 人間社会がどうとかって。

「あのさ。セシル……」
「お兄さん。見てよ。カモミーユの花が咲いているよ」
「カモミーユの花? ……あ、あぁ薬草だね」
「そうそう。バイタル・ポーションの材料だよ。これで、お兄さんがポーションを沢山作れるでしょ。摘んで行こうよ」

 薬草の棚に書いてあった名前を思い出した所で、セシルが街道から逸れ、白い花畑へと入って行く。
 俺にとってはただの白い花だけど、セシル曰くポーションの材料らしい。
 この世界でカモミーユの花が有名なのか、それともセシルが薬草に詳しいのかは分からないけど、俺も一緒に薬草を摘み、二割程摘んだ所でセシルが作業を終える。

「お兄さん。十分摘んだし、そろそろ止めておこうよ」
「俺はまだ疲れてないから、もう少し摘んでおくよ」
「そういう意味じゃないんだよ。あんまり摘み過ぎるとカモミーユが可哀そうだし、来年咲かなくなったら困るしね」
「なるほど。そういう事か」

 何事もやり過ぎはダメだと気付いて街へ向かう事にしたけど、花束を持ったままなのはどうかと思うので、城魔法でクリニックを呼び出し、

「セシル。とりあえず花束を家の中に」

 中に花束を入れ、扉を閉める。
 宿や倉庫代わりになる良いスキルなんだけど、荷物の出し入れだけ簡単に出来ると良いんだけどな。
 そんな事を思いながら街へ入り、適当な露店で朝食を済ませると、道を聞きながら商人ギルドへとやって来た。
 綺麗な女性が要件を聞いて来たので、アイテムの買い取りだと伝えると、俺が読んでいたラノベで定番の言葉が返って来る。

「ギルドカードはお持ちですか? それが無いとお取引は出来ないんです」
「無いので作ってもらいたいんですけど」
「では、どなたかの紹介状はございますか?」

 紹介状? よくある異世界ものだと、この場ですぐギルドカードを発行して、すぐに取引開始じゃないの!?
 せいぜい発行手数料が必要だとか、年会費や税金が要るっていうくらいだと思っていたのに。

「すみません。紹介状は無いです」
「申し訳ないのですが、お客様とはお取引が出来ないんです。どなたか信頼の出来る方――例えばCランク以上の商人からの紹介状があれば、ギルドカードが発行出来るのですが」

 マジかよ。どうして一見さんお断りのハードモードなんだっ!
 異世界へ来たばかりの俺に人脈なんて皆無だよ!?
 ポーションを売りながら異世界観光という計画が、最初の一歩で躓いてしまった思っていたら、後ろに居たセシルが前に出る。

「お姉さん。この人はボクが保証するよ。それなら良いでしょ?」
「え……あっ! セシル=ルロワ様っ! 失礼いたしました。今すぐギルドカードを発行させていただきます」

 セシルが口を開いた途端、女性の態度が一変し、突然個室へと招かれてしまった。
 見た目は普通の少年だけど、セシルは一体何者なのだろうと思っていると、

「ふふっ。ボクはちょっと有名だって言ったでしょ。この辺りの国ではボクの顔が効くから、自由に行動出来ると思うよー」

 俺の思考を読んだかのように、クスクスと笑みを浮かべていた。
「リュージ=サイトウ様。大変長らくお待たせいたしました。こちらが当ギルドの証となる、ギルドカードです。身分証にもなりますので、紛失にお気を付けください」

 少しすると、先程よりもますます丁寧になった女性が、ギルドカードについて説明をしてくれた。
 何でも商人ギルドは、国を跨いで共通利用が出来るそうだ。
 ……って、この国の都市どころか、この世界の国とか地域とかを、全く知らないな。
 どこかで地図が売って居たら、是非とも入手しなければ。
 受け取ったカードは、交通機関が発行しているICカードみたいな感じで、銀色のカードに黒い字で俺の名前が。預金という文字と共に零の数字が書かれている。

――スキルの修得条件を満たしましたので、お店屋さんごっこ「鑑定」が使用可能になりました――

 ……って、このタイミングでスキルを修得?
 名称的に、ギルドカードを貰って「商人」になる事が修得条件なのだろうが、お医者さんごっこに続いて、お店屋さんごっこって。
 一先ず、使えるようになったばかりの、鑑定の効果が知りたいので、何か無いかと考え……持って来ていたマジック・ポーションの事を思い出した。

「あの、すみません。カードを作ってもらってすぐで申し訳ないんですけど、アイテムの買い取りをお願いしたいのですが」
「畏まりました。当ギルドのメンバーですので、もちろんすぐにお取引させていただきます」
「では、こちらなんですが」

 鞄の中から持ってきたマジック・ポーションを取り出し、テーブルの上に並べて行く。
 セシルの見立てでは、AランクかBランクのマジック・ポーションで、物凄く珍しい品では無いという話だったのだが、何故か目の前の女性に驚かれる。
 AやBは珍しくはないけれど、一度に十本というのが多過ぎたのだろうか?
 まぁいいや。一先ず、鑑定を試してみよう。

「……鑑定……」

 小さく呟くと、銀色の枠が現れ、

『鑑定Lv1
 マジック・ポーション
 Aランク』

 とだけ記載されていた。
 まだレベル1だから、アイテムの説明とかは無いのだろうか。
 このレベルが上がれば、いずれアイテムの説明もしてくれと助かるのだが。

 机に並べたマジック・ポーションを女性が一つ一つチェックしている間に、俺も順次鑑定していくと、十本中六本がAランクで、四本がBランクという結果が出た。
 それ一つを見れば分からないけど、AランクとBランクのポーションを並べて比べてみると、僅かにBランクの方が色が淡い気がする。

「サイトウ様。買い取りをご希望されているのは、こちらのマジック・ポーションでお間違えないでしょうか」
「はい。幾らくらいになりますか?」
「そうですね。いずれもBランクですが、マジック・ポーションはあまり市場に出回らず、かつ人気商品ですので、一本金貨二枚で、合計金貨二十枚ですね」

 おぉ……元はヘーゼルの実――ただのへーゼルナッツが金貨だなんてボロ儲けではないだろうか。
 ……いや、喜ぶのはまだ早いか。もしかしたら、この世界では元となったへーゼルナッツが手に入らないのかもしれない。
 女性は全部Bランクだと言っているが、実際はAランクなので、その分もきっちり貰っておいた方が良さそうだ。

「すみません。全部Bランクと仰られましたが、ここから、ここまでの六本はAランクですよね?」
「……いえ、Bランクですよ。そもそも、Bランクのマジック・ポーションですら珍しいのに、Aランクのマジック・ポーションを商人ギルドへ入りたての方が所有しているというのは、ちょっと……」

 あれ? AランクやBランクのポーションって珍しいの?
 セシルはAもBもセシルは普通だって言っていたよね?
 どうしたものかとセシルに目をやると、

「お姉さん。お兄さんはボクの紹介なんだけどなー」
「ル、ルロワ様……で、ですが、マジック・ポーションのランクはBが妥当かと」

 俺の援護をしてくれたのだが、女性は譲ろうとしない。
 困った俺と、ニコニコと笑みを崩さないセシルに、泣きそうな表情の女性。
 三人が膠着状態になり、暫し部屋の中を沈黙が支配すると、

「失礼。随分と静かですが、何かあったのでしょうか」

 カッチリとした服装の中年男性が部屋へ入って来た。

「貴方は?」
「失礼いたしました。私は当ギルドの責任者、トーマスと申します。ルロワ様とお連れ様に何か失礼がありましたでしょうか」

 責任者……所謂ギルドマスターと呼ばれる一番偉い人が出てきた。
 俺は適性価格で買い取って欲しかっただけなのに……と思っている内に、セシルが口を開く。

「こちらの女性がね、ボクの友人が持ち込んだAランクのポーションをBランクだと言って、値切ろうとしているんだよ」
「値切るだなんて……私は適切な対価をお支払いするつもりで……」
「待ちたまえ。私が見よう……ステータス」

 事情を察したトーマスさんが、すぐさま魔法を使用する。
 おそらく鑑定と同じか、より優れた効果なのだろう。
 トーマスさんの手元に銀色の枠が現れ、

『マジック・ポーション
 Aランク
 状態:安定
 魔法力を回復する薬』

 俺が言った通り、Aランクと表示されていた。
 同様に全てのマジック・ポーションを確認すると、俺が言った通りの結果となった。
 女性は何か言いたそうだったが、トーマスさんに指示され奥の部屋へ姿を消す。

「当ギルドの職員が失礼いたしました。申し訳ありません」
「いえ。誤解が解けたのなら、俺はそれで……」
「お気遣いありがとうございます。では早速買い取りですが、マジック・ポーションのAランクは金貨三枚、Bランクは金貨二枚となりますので、こちらをお納めください」
「ありがとうございます……って、あれ? 少し多いですよ?」

 Aランクが六本、Bランクが四本なので、合計金貨二十六枚のはずが、三十枚となっている。

「ご迷惑をお掛けしたので、お詫びです。この度は、誠に申し訳ありませんでした」
「いえ。こちらこそ、あの、ありがとうございます」

 おそらく口止め料なのだろうと思っていると、空気を変えたかったのか、トーマスさんが話題を変えて来た。

「ところで、お二人は暫くこの村へ滞在されるのでしょうか?」
「えぇ。暫くは観光しながらゆっくり過ごそうかと思っています。とはいえ、俺は世界を旅しているので、ある程度見たら、どこかへ移動しますが」
「観光ですか。残念ながら、この村には観光と言える程のものは無いですね。観光をご希望でしたら、乗合馬車で王都ベルナまで行った方がよろしいかと。半日程で着きますし、王城だってありますよ」

 それって俺が最初に召喚された街っぽいな。
 王都――日本で言う首都だったのか。確かに城もあったし、街も人が多くて賑やかだったし。
 トーマスさんにお礼を言い、一先ず商人ギルドを後に。

「セシル、さっきはありがとうな」
「お兄さん、何の事?」
「俺を保証するって言ってくれた事だよ。セシルが居なければ、せっかく作ったポーションも買い取ってもらえなかったんだろ?」
「そうなのかもしれないけど、ボクはお兄さんが作ったポーションでお金を稼いで貰わないと困るからねー。これから暫くお世話になる訳だし、食事には有り付きたいよね」

 おぉっと、そういう理由か。
 まぁ分かり易くて良いけどさ。

「でも、ボクも食費くらいはちゃんと稼ぐからさ」
「何か商売でもするの……というか、元々商人なのか?」
「ボク? ううん、ボクは商人ではないけど、その代わり……これだよ」

 村の中を歩いていると、舗装されていないむき出しの地面から、黄色い花を摘む。

「これはアルニカルっていう花なんだけど、鎮痛効果のある薬草なんだー」
「そうなんだ」
「うん。この辺りに住む人は知らないみたいだけど、お兄さんも知らなかったんだね。ボクは植物の知識があるから、ポーションの材料になる薬草を見つけたら教えてあげるよ」
「なるほど。そうすれば、またポーションにして、売る事が出来るな」
「そうそう。薬草をそのまま売るよりも、ポーションにしてから売った方が、高く売れるしね」

 確かにセシルの言う通りかもな。
 スキルで調合出来ているだけで、俺自身は薬草や薬の知識なんて無いからね。
 セシルが薬草について教えてくれるのは非常に助かる。
 ただ、まだ中学生くらいだというのに商人ギルドへ顔が効いたり、植物に詳しかったりと、セシルは何者だろうかとも思うけど、詮索されたくないのは俺も同じだ。
 異世界から来たって言っても、信じてもらえないだろうし。
 時々道端に生えている薬草を摘みながら、特にアテも無く歩いていると、丘の上に到着した。

「お兄さん。この辺に生えているのは、殆ど薬草だよー」
「分かった。程度に摘むよ」

 セシルに教えて貰いながら薬草を摘み、何気なく村を眺めてみた。

「家の屋根が赤色で統一されているんだね」

 眼下に並ぶ家は整列している訳ではないし、大きさや形だってバラバラだけど、屋根の色だけは赤色で統一されている。
 単に屋根に使われる材料が同じだけなのかもしれないけど、日本では見られない風景だ。

「お兄さんは、こういうのが好きなの?」
「俺の生まれ故郷では家の大きさも、形も色も、バラバラだったからね。こういう風景を見ているのは面白いよ」
「なら、ボクのお気に入りの場所へ連れて行ってあげる。お兄さんは、きっと好きになるよー」

 暫くモラト村の風景を楽しんだ後、村で昼食を済ませ、ついでに食材も買う。
 実家を呼び出すと、買った食材を冷蔵庫にしまい、続いて薬草を調剤室へ。
 様々な種類の薬草を摘んだので、仕分けまでやるべきなんだけど、今は調剤室の隅へ積み上げておいた。
 城魔法を使えば手ぶらで旅が出来るし、宿も不要だし、どこかへ移動している途中でも野宿をしなくても良い。
 はっきり言って凄く役立つスキルなんだけど、荷物の仕分けや整理は面倒かな。
 何か改善策を考えなければと思いつつ、一階へ戻ると、

「お待たせ……って、寝てるっ!?」

 ベッドでセシルが小さな寝息を立てて眠っていた。
 すぐに起こすのも可哀そうなので、先に夕食の仕込みだけ済ませる事に。

「コンロは魔力の流し方が分からないからセシルに頼むとして、炊飯器はそのまま使えそうだから、米を炊いておこう」

 モラト村が田舎だからか、米みたいな物が買えてしまった。
 野菜と肉も切って、後は焼くだけの状態にして、冷蔵庫へ仕舞い、夕食の準備が終わる。

「セシル。そろそろ起きてー」
「んー……お兄さん。準備は終わったのー?」

 寝起きのセシルを改めて見てみると、やっぱり細い。
 よし、後で肉を足しておこう。

「俺は終わったから、セシルのお気に入りの場所へ連れて行ってよ」
「うん。ついて来てー」

 実家から出ると、村へ入らず林の中へ。
 時々薬草を摘みながら獣道を歩いて行くと、

「着いたよー。どうかなー?」
「凄い! 幻想の世界へ来たみたいだ!」

 木々に囲まれた綺麗な湖が現れた。
 人工物が一切無く、湖の周りには花が咲き乱れ、蝶々が舞っている。

「こんなに綺麗な湖は初めて見たよ」
「ふふっ。お兄さんが気に入ってくれて、良かったよ」

 暫く湖の周りを散策し、幻想的な風景を楽しんだ後、今日は湖の近くで寝ようという話になった。
 とはいえ、実家を出して雰囲気を壊すのは嫌なので、少し林の中へ入っているけど、三階の俺の部屋から湖は十分見える。
 実家の窓から綺麗な湖が見えるなんて、物凄く贅沢だ。

「お兄さん! これは何!?」

 窓の外を眺めていると、セシルが俺の部屋にあった大量のラノベや漫画を見つけて驚いている。
 しまった。この世界では本が珍しいのかも。

「俺の国の本なんだけど……」
「本は分かるんだけど、古典から最近の物まで殆ど読んだはずなのに、ここにある本は見た事が無いよっ!」

 だろうな。ラノベはまだしも、漫画なんて無いだろうし。
 しかし、セシルが本を殆ど読んでいるって事は、そもそも本が少ないって事なんだな。
 日本では本を全て読むなんて、一生掛かっても無理だろうし。

「お兄さん。どれか読んでも良い?」
「構わないよ。どんなのが好みなんだ? 冒険ものとか、ラブコメとか」
「ラブコメ? ボクは恋愛話が好きかな」
「分かった。ただ俺は純文学みたいなのは持ってないからな?」

 セシルは全くピンと来ないみたいなので、一先ず王道の学園ラブコメを渡しておいた。

「お兄さん! 本に女の子の絵が描いてある! めちゃくちゃ上手だし、紙の質も凄い!」

 あー、ラノベだからね。
 漫画は文化が違い過ぎるから、ラノベの方が良いと思ったけど、正解だったな。
 表紙でこれなのだから、漫画だとどうなっていたか。
 セシルが黙々とラノベの世界へ入り込んだので、俺も再び異世界の景色を楽しむ事にした。
 暫く景色を眺めていると、日も落ちてきたし、そろそろ夕食の準備を始めても良いだろう。

「セシル。コンロに火を点けて欲しい……って、セシル? おーい、セシルー」

 セシルがゴロゴロしながらラノベに没頭している。
 そのラノベは日本でメチャクチャ売れているし、俺も凄く好きだから気持ちは分かるけどね。

「セシル。セシルってば」
「わひゃぁっ! お、お兄さん。いきなりどうしたの?」
「いや、晩御飯を作るから、コンロを点けて欲しいんだ」
「え? 別に良いけど」

 何度声を掛けても気付かないので、ゴロゴロしていたセシルのお腹に手を置いて揺すったら、思いのほか驚かれてしまった。
 相当ラノベにのめり込んでいたらしい。
 移動しながらもラノベは手離していないし、リビングで読むのだろう。

「強めの火力でお願い」
「いいけど、ボクに頼まなくても、お兄さんが自分で魔力を流せば良いんじゃないの?」
「やってみたんだけど上手くいかなくてさ。とりあえず食事を作るから座って待っててよ」

 そう言うと、セシルがソファへ座り、再びラノベの世界へと入り込む。
 炊飯器は、ちゃんとお米が炊きあがっていたし、これなら異世界でも食事で困る事はなさそうだ。

「よし、出来た! セシル、ご飯だよー!」
「あ、ご飯だね? お兄さん、ありがとー」

 今度は割と早く気付いてくれたので、冷めない内に作った肉野菜炒めを食べ始めるんだけど、

「お兄さん。ボク、こんなに沢山食べられないよ?」
「育ち盛りなんだから、遠慮しなくて良いって」
「そんな事言われても……ごめんね」

 増し増しにした大盛りの肉野菜炒めを、殆ど俺の皿へ移されてしまった。
 俺が子供の頃は、あれくらい食べていた気がするんだけどな。
 そんな事を思いながら、ご飯を食べていると、

「ところでお兄さん。今読んでいる物語に出てくる、学校って何?」

 困った質問が出てきた。
 この世界……いや、少なくともこの国に学校は無いのか。

「俺の故郷にある、子供が集まって、皆で教育を受ける場所だよ」
「教育って、政治とか?」
「そういう勉強も無い訳じゃないけど、数学……計算だとか、国の歴史とかだよ」
「ふーん。じゃあファミレスっていうのは?」

 セシルからラノベに出てくる物の質問攻めにあったものの、食事を終え、次は風呂だ。
 昨日はバタバタして入れなかったから、今日は湯船にゆっくり浸かりたい。
 どういう仕組みかは知らないけれど、水は出るから、お湯もいけるのではないだろうか。
 というか、出てくれ! やっぱり温かい風呂に入りたいんだ!
 祈るような気持ちで風呂場へ移動し、レバーを動かすと……

「出た! これで風呂に入れる!」

 蛇口からドバドバとお湯が出てきた。
 石鹸は日本の形そのままで四角いのが置かれてあり、シャンプーはボトルの代わりにビンの中に入っていた。
 容器はどうあれ、使えるのならそれで良いだろう。

「セシル、風呂の準備が出来たぞー」
「お風呂まであるんだー。本当に凄いね」

 しまった。
 当たり前に風呂へ入ろうとしていたけど、風呂は貴族だけしか使えないのだろうか。
 でも今更だし、俺は風呂へ入りたいしな。

「セシル、先に入る?」
「一人で入るの!? お兄さん、一緒に入ろうよー」
「流石にお風呂は一人で入ろうよ」
「えぇー」

 親とお風呂へ入るのは小学校の低学年くらいまでじゃないの?
 異世界だからかもしれないけれど、嫌がるセシルを説得し、何とか一人でお風呂へ入って貰う事にした。
 セシルには悪いけど、お風呂はのんびりゆっくり入りたいからな。

 風呂へ入ってもらったものの、セシルの着替えが無い事に気付いた。
 俺の服は異世界へ来た直後に買ったし、下着類は実家にある物を着れば良いけど、セシルとサイズが違い過ぎる。
 ……もしかして妹――芽衣の服ならサイズが合うのではないだろうか。
 芽衣の部屋でクローゼットを漁ると、Tシャツと短パンに、パンツが出て来た。
 シャツと短パンはともかく、パンツは……でも、他に選択肢が無いので、仕方が無いよな。
 芽衣の服を手に脱衣所へ戻ると、

「お兄さん……どこー」

 びしょ濡れのまま、元々着ていたパンツだけを履いたセシルがキョロキョロしていた。

「ごめん。タオルの場所を言ってなかったね。はい、どうぞ」
「どうぞ……って、自分で拭くの?」
「え? 自分で拭かないの?」

 お風呂へ一人で入らなかったり、身体を自分で拭かなかったりと、文化に違いがあるのは異世界だから? それとも実は貴族の息子だとか?
 今のまま放っておけないので、セシルの身体を拭いていき、

「セシル。パンツ脱いで」
「ど、どうして?」
「びしょ濡れだし、新しいパンツを用意したから……履ける?」
「凄く滑らかな肌触りだね。サイズは少し大きいかもしれないけど、大丈夫だよ」

 大丈夫なのか。いや、持ってきた俺が言うのもなんだけど、女性物のパンツとかは気にしないのか。

「いや、セシル。パンツを脱いでよ」
「お兄さん、脱がせてー。一人で脱いだり履いたりするのは大変なんだよー」

 ……うん、わかった。セシルは貴族の息子だね。
 口には出さないでおくけど、商人ギルドに顔が効いて、学校が無い国なのに本が読めて、一人で着替えが出来ない。
 間違いないな。

「じゃあ、後ろを向いて。足元まで降ろすから足を上げて……うん。それで良いよ」

 目の前に居るのはセシルだけど、真衣ちゃんを相手にしていると思いながら、パンツを脱がせ、濡れていたお尻や脚を拭いていく。
 しかし身体を見て思ったけど、やっぱり筋肉が少ないな。太もももムニムニして柔らかいし。
 これから少しずつセシルの食事の量を増やしていかなければ。
 けど、その割に肌は綺麗なんだよな。スベスベしてるし。これが若さだろうか。

「お兄さん。ありがとー」

 女性用のパンツだからお尻の部分が大きいはずだけど、何故かあまり違和感がないな。
 セシルは栄養がお尻に行っているのか?
 髪の毛をしっかり拭いて、シャツと短パンを着せてみると、

「わぁ。凄く着心地の良い服だね。お兄さん、ありがとう」

 女性向けのデザインだからか、男の娘みたいになってしまった。
 セシルは気付いていないだろうけど、心の中で謝り、俺もお風呂へ。
 暫く湯船でゆっくりした後、身体を洗おうと思ったけど、何故か石鹸が濡れていない。
 ついでに言うと、シャンプーの瓶も濡れていなかった。

「流石に身体を洗ってあげるのは勘弁願いたいな」

 仕方がないので、明日一緒に風呂へ入り、身体の洗い方を教えようか。
 苦笑交じりにお風呂と着替えを済ませ、日本と同じように使えた洗濯機を動かしてからリビングへ戻ると、セシルが一心不乱にラノベを読んでいた。

「セシル。そろそろ寝ようか」
「もう少しだけー」
「じゃあ、次のキリが良い所で終わりだからね」

 無言のままコクコクと頷くセシルを視界の端で確認し、俺は三階へ。
 昨日は疲れていたから一階のベッドで寝たけど、自分のベッドで寝たい。
 一人でお風呂や着替えが無理なセシルだけど、寝るのは一人でも大丈夫だろう。
 そう考えながらリビングへ戻った所で、タイミング良くセシルが声を掛けてきた。

「お兄さん。キリの良い所まできたよー!」
「じゃあセシルはどこで寝る? 俺は三階で寝ようと思うんだけど」
「じゃあ、ボクもー」
「同じ部屋じゃなくても大丈夫だよな?」
「え? う、うん」
「じゃあ俺はこっちの部屋で寝るから、セシルはこっちの部屋を使ってくれ。あと、その部屋の服は自由に着て構わないから。おやすみ」
「お、おやすみー」

 とはいえサイズは合っても、異世界の服とデザインが違い過ぎるし、芽衣がスカート派だったから着られるズボンは無いかも。
 そんな事を考えながら、久々に実家の自分のベッドで眠りに就いた。