「お兄さーん。お風呂終わったから身体を拭いてー」
お風呂へ入っても自分で身体を洗った事が無いセシルなので、凄い早さで入浴が終わる。
どうしよう。昨日の俺は何も知らずにセシルの身体を拭いて、更に服の着替えまで行ってしまったが、もう無理だ。
セシルがエルフの貴族令嬢だと知ってしまったので、裸を見る訳にはいかないだろう。
「アーニャ、頼む。俺の代わりにセシルの着替えを手伝ってあげてくれないか」
「それくらい構わないですが、セシルさんはご自分で着替えられないんですか?」
「うん。本人からは何も聞いていないけれど、十中八九貴族なんだよ」
「なるほど。それなら全部メイドさんがやりそうですもんね。分かりました。では、少し待っていてください」
アーニャが脱衣所へ入り、暫くして二人が出てきた。
ちなみに、意図して隠しているのか偶然なのか、セシルの髪の毛が耳を覆い、先程チラッと見えた長い耳――エルフの耳は今も見えない。
けど、おそらくセシルがエルフだと言うアーニャの意見がきっと正しいのだろう。
俺はセシルが女の子だって事にすら気付けなかったしね。
「お兄さん。どうして一緒にお風呂へ入るのを急に止めちゃったの?」
「え? まぁその、いろいろあったんだ。とりあえず、これからは一人で入れるように練習していこうな」
「お兄さんと一緒に?」
「えーっと、アーニャにお願いしようか。悪いけど、アーニャお願い出来る? 代わりに掃除だとか、洗い物くらいは俺がやるからさ」
突然話を振られて驚いていたけれど、一先ず了承してくれた。
少し前まで妹の世話をしていたらしいし、俺がやるよりはるかに良いだろう。
というか、俺がやる訳にはいかないからね。
「じゃあ、ボクは本を読んでるから」
お風呂を終え、セシルが再びラノベの世界へと浸る為にリビングへ行った後、アーニャが目を大きく開き、パクパクと声にならない声を上げる。
「あ、あの、本があるんですか?」
「ん? あるよ。いっぱいあるからアーニャも何か読む?」
「よ、読んで良いんですかっ!?」
「もちろん良いよ。三階にあるから案内するよ」
アーニャを連れて俺の部屋へ行くと、
「ほ、本がこんなに!? 調味料といい、この本といい、やっぱりリュージさんも貴族なんですか?」
「いやいや、俺は違うって。それより、アーニャはどんなのが好みなの? ちなみに、セシルはラブコメを読んでいるよ」
「ら、ラブコメ? あの、私は一応文字を読み書き出来るのですが、あまり得意ではないので、字が少なめの方が嬉しいです」
「字が少ない方が良いのなら、ラノベじゃなくて漫画にしようか。冒険ものとか、バトルものとか……でも、女の子だから恋愛ものの方が良いよね」
本棚に収納された本を見て、俺まで貴族扱いされてしまった。
このリアクションで本が貴重な世界なんだと分かったけれど、一方でセシルは全く気にしていなかったので、やはり貴族なのだと確信してしまう。
セシルは、貴重だという本をいっぱい読んできたって言っていたしね。
「一先ずこれなんて良いんじゃないかな。分からない所があったら、聞いてくれれば教えるから」
恋愛ものの漫画を俺は持っていないので、芽衣の部屋の本棚にあった、アニメ化されている有名な少女漫画をアーニャに渡して、一緒にリビングへ。
「じゃあ、ここで寛いでいて。次は俺がお風呂へ行ってくるから」
身体を洗い、湯船に浸かりながらボーッと考える。
ラノベなんかに出てくるエルフは長寿で、実年齢と見た目が合っていないって事が多いけど、セシルは何歳なんだろう。
中学生にしか見えないアーニャが二十歳って言っていたし、もしかしてセシルも二十歳くらいだったりするのだろうか。
まだまだ異世界どころか、一緒に旅をしている二人の事も全然知らないんだなと改めて感じ、もっと互いの事を知る方法は無いだろうかと考え……残念ながら出てこない。
とりあえずお風呂をアーニャと代わった後、夕食を済ませてそろそろ寝ようかという話になった時、
「じゃあ、お兄さん。一緒に寝よー」
「え? ど、どうして?」
「どうしてって、今朝ボクと一緒に寝てくれるって言ったよね。お兄さん」
満面の笑みで、セシルが近寄って来た。
ニコニコと屈託の無い笑みを浮かべるセシルが、すぐ傍で俺を見上げている。
ほんの数時間前の俺なら、約束通りセシルと一緒に寝ていただろう。
だが、成人男性である俺と同じベッドで一晩を過ごして……って、待てよ。良く考えたら、何も問題ないのか。
セシルは一人で寝るのが寂しくて、誰かと一緒に眠りたいだけ。そこに変な意味合いは一切ない。
俺はロリコンじゃないから、セシルに何かしようとは思わない。
そう、何も起こらないなら、何も問題が無いんだ。
「わかった。約束だし、一緒に寝ようか」
「うんっ! やったぁ」
嬉しそうに喜ぶセシルの顔を見て、その笑顔が初めて会った時から変わって居ない事に気付く。
そうだ。俺が勝手にセシルを少年だと思っていて、そして勝手に少女だったと知っただけで、セシルは最初からずっと今のセシルのままなんだよ。
「猫のお姉さんはどうするの? 三人で一緒に寝る?」
「で、出来れば別の方が嬉しいです」
「そっか……」
アーニャがいろいろと言いたげな表情で俺を見てくる。
分かってる。アーニャが言いたい事は分かっているんだ。
けど約束だったし、俺は何もしないし、何も起こらないから目を瞑って欲しい。
「アーニャの寝室は、こっちの部屋にしよう。この部屋はアーニャが自由に使ってくれて良いから」
「わ、わかりました」
セシルを俺の部屋で待たせ、芽衣の部屋をアーニャにあてがったついでに、俺とセシルが一緒に寝る事になった経緯を簡単に説明しておいた。
とはいえ、全て俺の推測に過ぎないし、あまりプライベートな事を言いふらす物でも無いだろうと思って、ごくごく簡単にだけど。
「私がお二人に何かを言う立場ではないですけど、セシルさんを泣かせるような事はやめてあげた方が良いかと……」
「だから、そういうのじゃないってば」
……経緯の説明を簡単にし過ぎたからだろうか。
俺の意図が全て伝わって居ないけど、あまりセシルを待たせ過ぎるのもどうかと思って、一先ず自分の部屋へと戻る。
するとセシルがベッドに入ってラノベを読んで居て、
「あ、お兄さん。もう猫のお姉さんに説明は終わった? じゃあ、早く寝ようよー」
俺に気付いたセシルが本を閉じた。
どハマりしているラノベよりも睡眠を優先するのなら、早く寝た方が良いか。
部屋の照明を消してセシルの横へそっと入ると、
「おやすみ、セシル」
「うん。おやすみ、お兄さん」
俺も今までずっと忘れていた、優しい温もりに触れながら眠りに就く。
……
翌朝。
セシルと同じベッドで寝たけれど、当然何事も無く起床したのだが、何故か身体が重い。
まるで身体の上に何かが乗っているような……って、乗ってたよ。
掛け布団を剥がすと、俺の胸に顔を埋めるようにしてセシルが眠っている。
一応、言い訳をしておくが、寝るときはちゃんと横並びで眠っていたんだ。
それなのに……どうしてこうなった。
まぁでも、セシルに女の子らしい膨らみは無いし、この状況から俺が変な気持ちになる事はないから、これ以上は何も起こらないけどね。
――コンコン
「おはようございます。朝ごはんの支度が出来たので、そろそろ起きて……」
突然扉がノックされ、アーニャが部屋に入った来たかと思うと、ベッドに目をやった途端に固まる。
「違う! 違うんだっ! これは、決して変な意味は無いんだっ! セシル、セシルッ! 起きて! 起きてフォローしてっ!」
俺を見つめるアーニャのジト目に耐え切れず、セシルを起こそうと身体を揺すると、
「……ん、んん……お兄さん。激しいよぉ」
「いや、どんな夢を見ているんだよっ! というか、間が悪すぎるよっ!」
とんでもないタイミングで出た寝言により、ますます気まずい雰囲気になってしまった。
セシルを無理矢理起こし、アーニャに身の潔白を証明して三人で朝食をとる。
相変わらずアーニャの作ってくれる食事は美味しいのだが、変な汗が出るのは何故だろうか。
何も後ろめたい事は無いはずなんだけど、無意識にいろいろと考えてしまっているのかもしれない。
「ごちそうさまっ! さぁ、お兄さん。いよいよ森だね。楽しみだね」
「お、おぅ。そうだねっ! 森の中は自然がいっぱいで良いよね」
何とか気分を変えようと、セシルの言葉に便乗すると、
「リュージさんは、あまり森の中へ入りたがっていないような感じがしたのですが」
「ち、違うよ? 夜の森はどうかなって思っただけで、そんな事は全くないよ? いやー、森林浴って良いよね。さぁ張り切って行こう!」
アーニャが訝しげな表情を向けてきたけれど、何とか勢いで乗り切った。……乗り切ったと思う。
別にアーニャが何か言ってきた訳ではないんだけど、「俺は変態じゃないんだ。朝起きたら、セシルが俺の胸で寝ていただけで、無実なんだ」と心の中で言い訳をしてしまう。
一方で、当のセシルは早く行こうよーと、俺の腕に抱きついてくる。
無邪気に喜んでいるだけなんだけど、女の子なので、もう少しボディタッチを減らしてくれた方が良さそうなのだが。
一先ず朝食の後片付けを手伝い、出発準備が整ったので、セシルを先頭に森の中へと入って行く。
大きな森だとは思っていたけれど、広さだけではなく、樹木の一本一本も太く、背が高い。
上の方で葉が生い茂り、陽の光が殆ど届かないのだが、
「二人とも、次はこっちだよ」
「そこに窪みがあるから足元に気を付けてね」
「お兄さん。そこに生えている草は薬草だよ。少し摘んでいこうよ」
セシルは夜目が効くのか、薄暗い森の中でも普段と変わらぬ歩みを見せる。
「ふぅー、お兄さん。やっぱり森の中を歩くのは楽しいねー」
「そ、そうだね」
「うん。だけど楽しさのせいで、つい歩き過ぎちゃって、休憩を忘れちゃうけどね」
確かに、随分と歩いた。
二時間くらい歩きっぱなしだったのではないだろうか。
正直、俺は脚がメチャクチャ痛いし、物凄く疲れているのだけれど、それでもセシルはまだまだ余裕がありそうだ。
「……って、しまった。結構歩いたけど、アーニャは大丈夫?」
「私ですか? この程度でしたら全然大丈夫ですが」
あー、そういえばアーニャは獣人族だから体力はあるって言っていたね。
「お兄さん。結構歩いたし、一度休憩にする? その先に、少し開けた場所があるんだ」
アーニャへの気遣いのつもりだったけど、逆に俺が気を遣われてしまい……だが、少し疲れているので、城魔法を使って家を出す。
一先ず、この森の中で薬草を沢山拾ったし、疲労回復と体力向上のポーションが作れないか挑戦してみよう。
セシルやアーニャが一休みしている中、俺は調剤室へ移動し、並べられた薬草や薬を鑑定していく。
暫く鑑定を使っていると、滋養強壮や持久力、夜盲症に効くという複数の薬草を見つけたので、とりあえずそれぞれを調合してみる事にした。
「お、それっぽい効果の薬草を調合したら出来たな。出来たのは……ナリッシュメント・ポーション? 何だこれ?」
だが、名前から効果が想像出来ないので、すぐさま鑑定してみる。
『鑑定Lv2
ナリッシュメント・ポーション
Bランク
滋養強壮効果がある』
要は栄養ドリンクだって事だよね?
とりあえず、かなり歩いて疲れているし、早速飲んでみよう。
「……あ、熱い!? 身体の中から力が湧いてくるみたいだけど、大丈夫なのか?」
実際の効果は分からないけれど、効いている感じはする。
いざという時にあれば便利そうだし、材料も豊富にあるので十本分くらい作っておいた。
「よし、どんどん作るぞ」
気合が入った所で、持久力の効果があるタレハ草という薬草を調合すると、エンデュランス・ポーションというBランクのポーションが出来た。
これも鑑定してみると、元の薬草と説明が同じなのが残念だけど、効果は上がっているのだろう。
先に飲んだ滋養強壮効果があるので、こっちは飲まずに、ストック用として十本作っておいた。
次は、夜盲症に効くというサエグサの花を調合してみると、暗視目薬(A)というアイテムが出来た。
「目薬か……初めてポーション以外のアイテムが出来たな。とりあえず、使ってみるか」
とりあえず使って窓から外を覗いて見ると、薄暗かった森の中が照明が点いているかのように明るく見える。
これは、夜に活動する事があれば役立ちそうだなと、一気に二十本くらい作った所で、
「お兄さーん。そろそろ出発しても良いー?」
休憩が終わり、移動を再開する事になった。
休憩を終え、再び森の中を歩いているのだが、ポーションの効果のおかげで疲労感が全く無い。
更に目薬の効果で、薄暗いはずの森の中が、街道を歩いていた時の様にはっきりと見えるので、変な所で躓いたり、謎の物音に怯える必要が無くなった。
ポーションを作って正解だったな。
「お兄さん。休憩が良かったのかな? 何だか、随分と足取りが軽いね」
「あはは、まぁね。セシルの言う通り、休憩が良かったんだと思うよ」
本当は思いっきりポーションの力に頼っているんだけど、それはさて置き、エルフのセシルと獣人族のアーニャに負けず劣らずのペースで歩いていると、何やら変わった生き物を見つけた。
その生き物は、掌大の小さな人形みたいな女の子の姿をしていて、背中から蝶々を思わせる羽が生えている。
所謂ファンタジーの定番とも言える妖精で、森の中に生えている青白い花を飛び回り、何かを集めているみたいだ……と、ここだけ見れば、凄くメルヘンチックな雰囲気なのだが、残念な事に、その妖精の顔に悲壮感が漂っている。
「セシル。あそこに妖精みたいなのが居るんだけど、あの娘、大丈夫かな?」
「えっ!? 妖精!? お、お兄さん。どこに居るの?」
「どこ……って、すぐそこの茂みにいるよね? ほら、今も隣の花へ移動したし」
「えぇっ!? すぐそこの茂み……って、何も居ないよ?」
あ、あれ? セシルには妖精の姿が見えないのか?
目と鼻の先に居るんだけど。
「アーニャは、そこの花に顔を突っ込んでいる妖精が見える?」
「……すみません。ちょっと何を言っているか分からないです」
「じゃあ、この丈の短いワンピースを着ている、人形みたいな赤毛の女の子は幻覚なの?」
「リュージさん。さっき、森の中でポーションの材料になるからって、セシルさんと一緒にキノコを採っていましたけど、まさかそれを食べたんですか!?」
「食べてないよっ! というか、アーニャが美味しいご飯を作ってくれるのに、拾い食いなんてしないってば」
マジで俺にしか見えてないの?
掌程の大きさだけど、幻とは思えない程の存在感なんだけど。
何やら一生懸命に花の中へ手を突っ込んで居る妖精に、静かに指を伸ばすと、
――ムニン
ほら、ワンピースからスラリと伸びる太ももが、柔らかくもハリがある弾力を返してきた。
「――ッ!?」
そう思った瞬間、妖精がビクッと後ろへ下がり、顔面蒼白になりながら俺の顔を見上げて来る。
「ご、ごめん。集めていた黄色いのが落ちちゃったね。驚かせるつもりはなかったんだ」
「……?」
「ただ、君の事が見えないって言われたから、本当に居るのかどうか触って確認したくなちゃって。本当にごめんね。はい、これ」
落ちた黄色の何かを指で摘まみ、渡そうとすると、小さな手が恐る恐る伸びてきて、受け取ってくれた。
「お、お兄さん? 一人で何をしているの?」
「一人じゃないって。ここに妖精みたいな可愛い女の子が居るんだよ」
セシルが大丈夫? とでも言いたげに俺の顔を覗き込んで来る。
いや、違うんだ。本当に、妖精が居るんだって。
「……か、可愛いって、私の事?」
「え? うん、そうだよ。可愛い妖精さん」
ほらほら、ついに喋ってくれたよ。
というか、言葉がちゃんと通じているんだね。
「お、お兄さん!? 今の声は何!? 随分と高い、女の子みたいな声だったけど、誰の声なの!?」
「……まぁ、普通はこっちのエルフさんみたいになるよね。ねぇ、そこの人間さん。どうして私の事が見えるの?」
「どうしてって聞かれても普通に見えるから……あっ! もしかして、あの目薬のせいかな? Aランクだったし、凄い効力があったのかも」
混乱するセシルの前で、妖精と俺が話をし始めたからか、アーニャと共に目を白黒させている。
あの目薬……暗い場所が見えるようになるだけじゃなくて、本来見えない物まで見えるようになっていたって事か?
「お兄さん。そういえば、さっきの休憩中にお薬の部屋に籠ってたよね。何かポーションを作ったの?」
「うん。暗くて歩きにくかったから、暗視効果がある目薬を作ったんだけど……見えすぎちゃったみたいだ」
本当は滋養強壮なんかのポーションも作って飲んだんだけど、体力が無いと思われるのはちょっと嫌なので黙っておこう。
「待って! 人間さんは薬が作れるの? しかも、隠蔽魔法を使っている私の姿が見える程の強い効果がある薬が」
「え? まぁ、一応は」
「じゃあ、私が集めていた、この『玉章の花粉』に肌を綺麗にする効果があるんだけど、これをもっと強い効果に出来ないかしら?」
「多分出来ると思うけど、もう少し広い場所じゃないと、薬が作れないんだ」
「広い場所があれば作ってくれるの!? じゃあ、こっちこっち。ついて来て」
突然現れた妖精さんに薬を作ってくれとお願いされ、セシルとアーニャを連れてついて行く事にした。
「ここはどう?」
妖精さんに案内された先は、森の中にあるちょっとした隙間のような空間だったので、城魔法で家を出すと、皆で中へ。
「リュージさん。丁度お昼時なんで、食事にしませんか?」
「いいね。じゃあ、アーニャは昼食の準備をお願い。俺は妖精さんに頼まれた薬を作ってくるよ」
アーニャがキッチンへ向かったので、いつものようにセシルがリビングでラノベを読むのかと思ったら、
「お兄さん。ボクにも妖精さんが見える薬をくれないかな。ボクも妖精さんを見てみたいんだ」
「いいよ。少し多めに作ったからストックもあるし、調剤室へ来てよ」
調剤室にある暗視目薬(A)をセシルが使い、
「……うわ。ホントに居た!」
俺と同じく妖精さんが見えるようになったらしい。
「初めまして、エルフさん。妖精を見るのは初めて?」
「ううん、二回目だよ。小さい頃に一度会った事があるんだけど、その妖精さんは緑色の髪の毛だったんだ。それに、顔や姿も違うと思う」
「そうだね。妖精にも種族が幾つかあるし、髪型や服装、髪の色だって、それぞれだからねー」
「そうなんだ。うーん、ボクが会った妖精さんは何て名前だったかなー?」
セシルの小さい頃……って、本当に何歳なのさ。
俺からすれば、今のセシルも十分に幼いからね?
セシルと妖精さんが話をしている間に、サクッと薬が出来た。
念のため、求められている効能があるかどうか鑑定を行ってみると、
『鑑定Lv2
フェイス・ローション
Bランク
植物性化粧水』
効果の説明が、化粧水ってどうなんだ?
この世界に化粧水があるなら通じるだろうけど、俺に化粧水の説明をしろって言われても困るんだけど。
「出来たよ。ビンに入れれば良いかな?」
「うん、お願い。ところで、この液体はどうやって使うの?」
「……朝起きた時と、夜の寝る前かな。顔を洗った後に顔へ付ける事で、肌に潤いを与えるんだ」
とりあえず、化粧水の使い方を何となく喋ってみた。
使った事が無い俺からすれば、頑張ったと思うのだが……合って居るかどうか、若干不安だな。
「なるほどねー。肌に潤い……私も使ってみても良いかしら?」
「構わないけど、君は十分可愛いし、肌も綺麗だから要らないんじゃない?」
「あはは。人間さん、お上手ね。でも女性は。より綺麗さを求めたい生き物だからねー」
そう言いながら、妖精さんがペチペチと化粧水――もとい、フェイス・ローションを顔に付ける。
「これ……凄いわ! 上手く言い表せないけど、凄くしっとりしてる」
そんなにすぐ効果があるのか?
Bランクだからか?
良く分からないけど、妖精さんが気に入っているみたいだから、良しとしよう。
「人間さん、ありがとう。今は何も無いけれど、後で必ずお礼をしに来るから……えっと、お名前は?」
「俺はサイトウ=リュージっていうんだ」
「リュージさんね。私は妖精の中でもピクシーっていう種族で、ガーネットっていう名前なの」
そう言って、ガーネットがフェイス・ローションを入れた小瓶を抱きしめる。
「リュージさん、本当にありがとう。実は私を含めて、沢山の妖精が大量の玉章の花粉を集めさせられていたんだけど、これで当分集めなくても良さそうよ」
「そういえば、最初は凄く悲壮な顔をしていたけれど、何があったの?」
「何があったというか、私たちのノルマなのよ。妖精の女王が肌荒れを気にしていて、大量の玉章の花粉を集めろって言われててねー」
「何だか大変そうだね」
「それはもう。とにかく人使いが荒くて、自分は指示を出すだけで、王宮から一歩も動かないんだから」
あー、分かる。
俺が日本でサラリーマンをしていた時も居たよ。
口だけ出して、自分では何も出来ない上司とかね。
「女王様が最後に外出したのは何年前かしら? 確かエルフの子供に加護を……」
「あ、思い出したー! そう、加護だよ」
ガーネットが更なる愚痴を言いかけた時、セシルが突然大きな声を上げる。
「セシル、加護って?」
「うん。ボクが小さい頃に、ティターニアっていう妖精さんが来て、妖精の加護っていうのをくれたんだー」
「そうなんだ。ガーネット、ティターニアっていう妖精は知り合い?」
セシルが口にした妖精の名をガーネットに尋ねると、
「あ、あはは。貴方があの時の……じゃ、じゃあ、そういう事で! リュージさん、お薬本当にありがとう!」
「え? 妖精さん? どうして突然帰っちゃうの? お兄さん、何があったの!?」
ガーネットが慌てた様子で帰って行った。
たぶん、セシルが小さい頃に会ったというティターニアが、妖精の女王なんだろうな。
……ところで、妖精の加護ってなんだろう。
そう思った所で、リビングから昼食が出来たというアーニャの声が聞こえてきた。
「結局、リュージさんが見たっていう妖精は何だったんですか?」
「詳しい事は分からないんだけど、妖精の女王様に花粉を集めさせられていたらしくて、それを薬にして効能を上げたら凄く喜んでたよ」
「妖精の女王……ですか」
美味しい昼食に舌鼓を打ち、再び出発しようかという所で、アーニャが事の顛末を聞いてきた。
「そうだねー。お兄さんの作った薬で凄く喜んでいたね」
「セシルさんも妖精を見たんですね?」
「うん、見たよー。お兄さんが作った目薬を使うと、隠蔽魔法で隠された物まで見える様になるみたいなんだ」
「そういう事ですか。良かった……妖精の女王とか言い出すので、症状が悪化したのかと思っちゃいました」
症状が悪化……って、あれ? アーニャには、危ない幻覚が見えていると思われていたの!?
今度、お礼をしに来てくれるって言っていたので、その時にはアーニャにも目薬を使ってもらって、妖精を見てもらわなくては。
固い決意の後に、後片付けを済ませ、再び森の中へ。
滋養強壮効果のあるポーションも飲んで居るし、何事も無く順調に進んで行って、夜を迎える。
夕食を済ませた後、セシルはラノベ、アーニャは漫画を読みながらリビングで寛ぐ。
そんな中、俺は日中に摘んだ薬草を調剤室でひたすら調合していく。
というのも、セシルの見立てでは、明日の夕方頃には森を抜けるという話だったので、次の町へ着いた時に売るポーションを用意しておくためだ。
資金稼ぎになるし、ついでに商人ギルドで話も聞けるしね。
とはいえ、暗視目薬は売る訳にはいかないけれど。
隠蔽魔法を打ち破る効果があるって事は、この世界のセキュリティ的なものを崩壊させる恐れがあるし、セシルも一度しか見た事が無いっていう妖精を、大勢の人が目撃する事になってもダメだろうし。
という訳で、売った実績もあるマジック・ポーションなどを中心に作っていく。
しかし、バイタル・ポーションのAランクとかが出来てしまったんだけど、この前の商人ギルドのリアクションを考えると、Aランクは出さない方が良いかもしれない。
そんな事を考えながら、初めて見るポーションなどを含めて纏めていると、
「お兄さん。そろそろお風呂へ入ろうよー」
「分かっ……じゃなくて、セシルはアーニャと入ろうか。その代わり、夜はちゃんと一緒に寝るからさ」
セシルがお風呂へ呼びに来た。
唇を尖らせるセシルをなだめつつ、アーニャにお願いした後、昨日同様にベッドへ。
……
翌朝。薬もいっぱい作ったし、街へ着いたら二人の服を買ってあげないとね。
そんな事を考えながら歩き通し、陽が落ち始めた頃に森を抜け、茜色に染まった草原へ出た。
出た……のだが、突然ファンタジー世界の洗礼を受ける事になる。
「セ、セシルッ! 危ない! こっちへ!」
「大丈夫だよ、お兄さん」
「いや、大丈夫じゃないって! アーニャも何とか言ってよ」
周囲に街道や建物もなく、隠れる物が何一つない草原の真ん中で、大きな野犬? の群れに囲まれてしまった。
それなりに距離はあるものの、後ろへ下がれば森があるので、木に登れば犬は襲ってこないと思う。
だが、十数匹は居そうな野犬の包囲網を突破しなければならないが。
「リュージさん。落ち着いてください。セシルさんが大丈夫だと言っていますから、大丈夫でしょう」
「いやいやいや、むしろ、どうしてアーニャもそんなに冷静なのさっ! こんなに沢山の野犬に囲まれて居るんだよ!?」
「そうですが、まぁ所詮犬ですし」
所詮犬……って、俺たちを取り囲んでいるのは、大きな牙のあるドーベルマンみたいな犬だ。
狼だって言われても信じられるくらいの犬に囲まれて居るのに……そうだ! 城魔法だっ! 突然大きな家が現れたら、この野犬たちが驚いて逃げるかもしれない!
それに、家の中に入って閉じこもってしまえば、諦めて逃げて行くだろう。
初めての状況でパニックとなってしまい、ようやく城魔法を使うという発想に至った所で、先頭に居たリーダー格らしき野犬がセシルに飛びかかる!
「セシルッ!」
間に合うか!? とにかくセシルを守らないと!
勇気を振り絞り、セシルに向かって駆け出した所で、周囲に居た野犬たちが回転しながら上空へと吸い込まれていき、あっという間に居なくなってしまった。
「何がどうなっているんだ?」
「え? 襲いかかって来たから、竜巻を発生させて遠くへ飛んで行ってもらったんだけど……お兄さん、どうかしたの?」
「竜巻!?」
「ん? ボクが使った風の魔法だけど?」
そっか。セシルはエルフなんだっけ。
俺が城魔法を使えるように、セシルだって魔法が使えるのか。
アーニャを見てみれば、この結果が分かっていたかのように、いつも通りの笑顔で、俺と目が合うと不思議そうに小首を傾げていた。
セシルが魔法で野犬の群れを吹き飛ばしてから、どういう訳か魔物と頻繁に遭遇するようになった。
「お兄さん。ゴブリンは毒を使うから、ボクの後ろに隠れてね」
「お兄さん。あの大烏には気を付けて。上空から顔を狙って来るから」
「お兄さん。あの芋虫には近づいちゃダメだよ。動きは遅いけど、人も食べちゃうくらい程に貪欲だから」
というか、現れ過ぎじゃない?
基本的にセシルが全部一撃で吹き飛ばし、それに堪えた奴はアーニャが蹴り飛ばす。
「リュージさん。お怪我はありませんか?」
「二人のおかげでかすり傷一つないよ」
「それは良かったです」
……うん、そうだよ。このファンタジー的イベントが起きた時、俺は全く役に立たない。
俺は元々普通のサラリーマンだし、異世界転移で得たスキルは実家を呼び出したり、お医者さんごっこしたり……自覚してるけど、戦闘系スキルは皆無なんだよ。
「お兄さん。そろそろ日が落ちちゃうし、今日はここでお終いにする? それとも、もう少し頑張る?」
「いや、ここまでで良いよ。さっきから色んな魔物に襲われてばかりだしさ」
「確かに遭遇し過ぎだったねー。もしかしたら、地震で崩れた所にダンジョンとかがあったのかもしれないね」
出た、ダンジョン!
ファンタジーのダンジョンと言えば、マッパーやシーフが活躍する古典的なダンジョンと、入る度に形を変えたり、ダンジョンの中で魔物を生み出したりするタイプがあるけど、この世界はどっちなのだろうか。
城魔法で家を出し、いつも通りに夕食の準備を始めてくれるアーニャに感謝しつつ、リビングでラノベを読むセシルに声を掛けてみた。
「セシル。今日魔物を倒していた魔法って黒魔法?」
「違うよー。黒魔法は人間が作った魔法で、ボクが使うのは精霊魔法だから」
「精霊魔法……っていうと、サラマンダーとかウンディーネとかって奴?」
「よく知っているね。その通りだよー。ボクは火と闇の精霊は使えないけど、それ以外の精霊は皆使えるんだよー」
凄いな。精霊って言えば、火と水と風と土のイメージがあるけど、セシルが闇の精霊って言ったから、おそらく光の精霊とかも居るのだろう。
つまり、少なく見積もっても四種類の精霊魔法をセシルは使えるのか。
今日は風の魔法を多用していたけれど、機会があれば見る事もあるだろう。
「セシル。精霊魔法って俺にも使えるのかな?」
「うーん、どうだろー? 精霊魔法を使う人間って聞いた事が無いから、難しいんじゃないかなー?」
「そっかー、残念」
俺に精霊魔法は使えないのかー。
今日は本当に何も出来なかったからなー。
アーニャみたいに魔物と直接対峙出来るとは思えないから、セシルみたいに遠くから魔法で攻撃するのが理想なんだけど……アーニャは黒魔法とか知っているかな?
「アーニャ。少し聞きたい事があるんだけど」
「リュージさん。夕食なら、もう少しで出来るので、待っていてくださいね」
「いや夕食じゃなくて、アーニャと話がしたくてさ」
「……そ、それは夜伽のご相談ですか?」
「夜伽? 夜伽って……違う! そういうのじゃないから!」
「それは、私に魅力が無いから……」
「そういう事じゃないんだってば。それに、アーニャは物凄く可愛いよ!」
「あ、リュージさんは私を口説こうとしているんですね?」
違う……違うんだ。
何故かアーニャが嬉しそうにしているのだが……まさか渡した恋愛漫画の影響で、恋に恋焦がれる乙女になっているのか!?
「あのさ。今日、魔物に襲われたのに、俺は何も出来なかっただろ?」
「でもリュージさんは薬師さんですよね? 戦う必要は無いと思うのですが」
「そうだけど、女の子のセシルとアーニャが戦っているのに、男の俺が何もしないっていうのはどうかと思って」
「はぁ……その性別で役割を変えようとするのは理解出来ませんが、そもそもセシルさんが居るので、本当に戦う必要なんて無いと思いますよ?」
「それは、セシルの魔法があるから?」
「はい。エルフの魔法は私の体術なんて比べ物にならないくらい威力がありますし。私も魔法が使えたら、もっと強くなれるのでしょうが……」
なるほど。この世界では、物理よりも圧倒的に魔法が優位なんだな。
じゃあ、なおさら黒魔法を修得出来るように頑張ろう。
とはいえ、アーニャも魔法は使えないみたいしだし、どうしたものやら。
「リュージさん。一先ず夕食にしましょう。ご飯は温かい内に食べていただきたいですし」
残念ながら俺の悩みが何一つ解決する事なく、夕食とお風呂の時間となった。
「じゃあ、お兄さん。先にお風呂へ行ってくるねー」
「リュージさん。行ってきますね」
「はーい。ごゆっくりー」
夕食を済ませてから一休みし、セシルとアーニャがお風呂へ。
一方の俺は、またもや調剤室に。
というのも、薬草を調合したら隠蔽魔法とやらを見破る目薬が出来たり、物凄く効果の高い滋養強壮剤が出来たりした訳だし、もしかしたら、黒魔法が使えるようになる薬が作れるかもしれないと思ったからだ。
流石に黒魔法が使えるようになる……というのは難しいかもしれないけど、魔法の代わりになるような攻撃系のポーションが作れたら良いなと。
とはいえコメディにありがちな、調合に失敗してボンッ! という爆発は絶対に避けなければならないけど。
「ん? これは?」
鑑定しても、当然ながら薬になる物ばかりが並んでいるので、普段とは逆の順番で鑑定をしていくと、気になる植物を見つけた。
『鑑定Lv2
金香樹
Bランク
シャンプーの材料』
化粧水に続き、シャンプーとは。
でも化粧水があるのだから、シャンプーがあっても変ではないか。
だが、今使っている元から実家にあったシャンプーを使い切ったとしても、新たに作れる事が分かった。
ただ、そもそもセシルはシャンプーの使い方を分かって居ないだろうけど。
今日アーニャがセシルに身体の洗い方を教えるはずだから、これからはちゃんと使ってくれるだろう。
それから暫く鑑定を続けてみたけれど、残念ながら攻撃的な材料が見つからない。
「良く考えたら薬を作る場所なんだから、危険な物が有る訳ないか」
結構な時間を費やしてようやく気付いた所で、
「お兄さーん。どこー? お風呂上がったよー」
これまでとは違い、それなりに時間が経ってからセシルの声が響いた。
「セシルの白い肌が、ほんのりピンク色に染まっているね。ちゃんと肩まで浸かって温まったんだね」
「うん。ちょっと熱い気もしたけど、頑張ったよー」
お風呂は頑張る物ではないのだけれど、まぁ良しとしよう。
「リュージさん。お先にお風呂をいただきました」
「ありがとう。じゃあ、俺も行ってくるよ」
入れ替わりで浴室へ入り、先ずは頭を洗おうとしてふと思う。
「シャンプーが減っている気がしないんだけど、あの二人は使ったのかな?」
ちょっと気になったので、脱衣所の扉から顔だけ出して、アーニャを呼ぶ。
「アーニャ。ちょっと来てくれないか」
「リュージさん、どうされ……もう気が早いですよ」
「何が?」
「こういう事は、先ず夜伽を済ませてからにしませんか?」
「何の話だよっ! 違うってば!」
初めて会った時は、アーニャはこんなキャラじゃなかった気がするんだけど。
猫耳族だけに猫を被っていたのか、それとも恋愛漫画の影響なのか。
まぁ別にどっちでも良いんだけどさ。
「アーニャ。さっきセシルとお風呂へ入った時に、シャンプーを使った?」
「シャンプー? って何ですか?」
「なるほど。アーニャ……髪の毛を洗う時に使うと、とても良く汚れが落ちる上に、髪の毛から良い匂いがするアイテムがあるんだけど、使う?」
「そ、そんな素晴らしいアイテムがあるんですかっ! 使いますっ! 使いたいですっ!」
「分かった。分かったから、一旦落ち着いて。とりあえず、今これ以上脱衣所の扉を開けるのは勘弁して。あと、使い方を教えるから、セシルも呼んで来て」
「分かりましたー!」
コンロや水道は普通に使えるのに、シャンプーは存在を知らない……うーん。異世界の文化水準が良く分からないな。
逆に、魔法を使えないアーニャが魔力を流せるのに、城魔法を使える俺が魔力の流し方が分からないのは何故? とアーニャが思っていそうだが。
「リュージさん! セシルさんを呼んできましたー!」
「お兄さん。髪の毛が綺麗になるって聞いたんだけどー」
「じゃあ、こっちへ来て」
腰にタオルを巻き、二人を連れて浴室へ入ると、小瓶に入っているシャンプーを使って、実際に頭を洗ってみせる。
「……と言う訳で、この泡が沢山出れば出る程、いっぱい汚れが落ちてるって訳だ」
「あー、うん。シャンプーっていう名前は知らなかったけど、これならお家でやってもらってたよー」
セシルは予想通りシャンプーの存在は知っていた。
エルフの貴族令嬢だもんね。
使い方は知らなかったみたいだけど。
一方のアーニャはというと、
「髪の毛が綺麗に……リュージさん。早速使ってみても良いですか?」
「構わないけど、今すぐ!? 待って! 俺が出てからにしてっ!」
アーニャがこの場で服を脱ぎだしかねない勢いだったので、大急ぎで風呂を出る事に。
その後、アーニャが凄く満足そうな表情で出て来たから、教えてあげて良かったと思うんだけど……化粧水は教えない方が良いかもしれない。
化粧水の存在を知ったら、めちゃくちゃ拘りそうだし。今でも十分綺麗な肌なのにさ。
ガーネットの依頼で化粧水を作った時に、アーニャが料理の準備をしてくれていて良かったよ。
そんな事を思いながらセシルと共に就寝したのだが、翌朝に想定外の事態が起こってしまった。
翌朝、布団の中がモゾモゾと動いている。
おそらくセシルなのだろうが、昨日とは違って随分と動きが激しい。
魔物と戦ったし、バトルっぽい夢を見ているのだろうか。
「って、セシル。変な触り方しないでよ」
寝ぼけているとはいえ、サワサワと撫でるように人のお腹を触らないで欲しい。
やれやれと思いながら、いつセシルを起こそうかと考えていると、
「ひゃぁっ! お、お兄さん! そんなトコ触っちゃダメだよぉ」
布団の中から妙に甲高い声が聞こえてきた。
セシルは、一体どんな夢を見ているのだろう。
苦笑いしながら様子を窺っていると、
「んっ! お兄さん……ホントにダメなんだってばぁ」
変な寝言が続いていく。
流石に起こしてあげた方が良いかと思った所で、
「リュージさん。ちゃんと責任は取ってあげてくださいね」
扉の傍からアーニャが飛んでも無い事を呟く。
「ちょっと待った! 俺は何もしてないって!」
「布団の中でセシルさんが悶えてますよ?」
「違うってば! ほら、俺は無実だよっ!」
布団を引き剥がし、両手を上げるとセシルの寝言がピタッと止まる。
なんでだよ。これじゃあ、俺がセシルに変な事をしていたみたいじゃないか。
「リュージさん。やっぱり……」
「いや、本当に違うんだって。俺は無実だよっ!」
アーニャがジト目で俺を見つめていると、
「もー! 吹き飛ばすなんて、酷いじゃないっ!」
突然、どこかで聞いた事のある声が部屋に響く。
「え? 何? 何かが俺の腕を撫でてる?」
「撫でてるんじゃなくて、叩いているんだけど……私の力じゃ、その程度なのね」
「この声! もしかして、ガーネット?」
「そうだよー! もー、どうして気付いてくれないのー? 朝から二人を起こそうと思って何度も揺すったのにー!」
あー、何かが触れていた感触はガーネットだったのか。
身体が掌くらいの大きさしかないし、当然力も無いから、叩かれたり揺すられたりしても、撫でられている様にしか感じなかったと。
「リュージさん。ガーネットって、昨日の姿が見えない妖精……ですか?」
「そうそう。ガーネットもアーニャも少しだけ待ってて。姿が見える薬を取って来るから……って、ほらセシルも起きて。ガーネットが来てるよ」
ガーネットがどこを触って居たのかは知らないけれど、とんでもない夢を見ていたであろうセシルを起こして目薬を取りに行こうとすると、
「ふぇ……お、お兄さんっ! あ、あのっ……な、慣れるまでは、もう少し優しくしてくれると嬉しいかも」
「セシル? 何の話?」
「えっ!? えぇっ!? な、何でも無いよっ!」
昨日と同じく俺の上で寝ていたセシルが飛び退き、再び頭から布団を被ってしまった。
一先ず動く事が出来るようになったので、調剤室から目薬を三つ持って来て、アーニャと共に使用する。
「可愛い。この子が妖精さんなんですね」
「そうそう……って、ガーネット。今日はどういった用事? また薬が必要なの?」
昨日渡した化粧水は、ガーネットが持てる程の小瓶一本分だけだ。
それでも一日で無くなる程ではないと思うのだが。
「ううん。あのフェイス・ローションは暫く大丈夫だよー。女王様も凄く喜んでたしー。今日はそのお礼に来たんだー」
「そう言えばお礼をしてくれるとかって言っていたね」
ガーネットは軽いノリに見えるけど、意外に律義らしい。
お礼って何だろう。花の蜜とかだろうか。それとも、珍しい薬草とかかな?
「じゃあ、昨日のお礼という事で、リューちゃんに妖精の加護をあげまーす」
「リューちゃん? いや、それより妖精の加護って!?」
「言った通りだよー。ベッドの中に居るエルフさんも持ってるけど、妖精の加護を得た人間はスキルが得られるんだよー」
「えっ、マジで!?」
「うん。だけど私の加護だから、女王の加護程に凄い効果はないからね?」
「いや、十二分に凄いよ!」
「じゃあ、何か使いたいスキルなんてある? 私の加護だと、一つのスキルを使えるようにするのがせいぜいなんだー」
スキルを一つ使えるようにするって凄いんだけど。
ちなみに、俺が使いたいスキルと言えば、黒魔法だ。
精霊魔法は人間に使えなさそうだし、黒魔法なら使う人も大勢居るらしいから、自分で勉強する分にも資料を探し易いだろう。
「じゃあ、黒魔法を使えるようにして欲しいんだけど」
「おっけー。そのままジッとしててね」
言われた通りに直立不動で待って居ると、頬に何かが触れたような気がした。
「これでリューちゃんにピクシーの加護が付与されたよー。じゃあ、また暫くしたら来るから、ローション宜しくねー!」
何をされたのかは分からないが、ガーネットが窓の隙間から出て行き、
――新たなスキルを修得し、倉魔法「ストレージ」が使用可能になりました――
「おぉっ! 新たなスキルが……って、倉魔法って何っ! 黒魔法じゃないのっ!」
この世界は俺に何か恨みでもあるのか、城魔法に続いて、またもや誤字スキルを修得してしまった。