二十世紀初頭の作家、スティーヴ・ウェインは、彼が生まれ育ったオーストラリア北部を拠点にいくつもの地を廻りながら、訪れた地を舞台に多くのロード・ストーリーを執筆した旅行作家である。
 彼は多くのロード・ストーリーを執筆した割には生涯オーストラリアから出ることはなかったが、彼の愛した大陸は、生涯をかけるに値する壮大さを誇った。広がる大地と海の深い蒼。それらは見る者全てを圧倒する。
 彼は自身の著書に、自分が生まれ育った街、ケアンズをよく登場させた。世界最大のサンゴ礁、グレートバリアリーフと最古の熱帯雨林、キュランダに囲まれた美しい街だ。青く広がる海を横目に何を見て、何を思い過ごしたのだろう。彼は今でもその地に眠っている。
 彼は決してその名を知られた作家ではなかった。一時期はその著作が翻訳されて日本で売られることもあったが、晩年は初版で終わることも多く、そのままあまり知られることなく生涯を閉じた。
 しかし、彼の悩みは伸び悩む売上よりも、四十代前半から始まった強烈な偏頭痛と幻覚だったのではないだろうか。彼の日記には、スキー板を担いだターザンに四六時中追い回される苦しみが、淡々と描かれていたという。その精神的苦痛を周囲に訴えたが、結局誰も理解を示してくれず、六十八歳の夏、肝不全によって帰らぬ人となった。
 全ての人が去ったあとでも、彼に寄りそい続けた妻のニコルは、その死に顔を、とても落ち着いたいい顔だったと語ったという。きっと、彼はターザンから逃げ切ることができたのだろう。


 私は手に持ったビールの空き缶を軽く振った。中に入ったゴミが遠慮がちにカサカサと小さな音を立てる。中を満たしていたビールは、もう一時間以上も前に飲みほしてしまっていたが、私は近くにあるゴミ箱に捨てられずにいた。立ち上がって捨てに行くのが面倒ということもあるが、空き缶の中で頼りない音を立てるゴミと、今の自分を重ね合わせてしまい、妙な親近感を持ってしまったのだ。
 正直に白状すると、不覚にも二言三言話しかけてみたりもした。断っておくが、他愛のない挨拶のようなものだ。もちろん返事など返ってくるはずもないのだが、私は自分で空き缶を振ってカサカサという些細な相槌を作りだし、満足していた。
 先月、長年勤めていた会社から突然リストラを言い渡された私は、その事実を受け入れられず、また妻に打ち明けることも出来ずにいた。文字通り、抜け殻のようになってしまったのだ。なぜ自分がリストラの対象になったのかも考えず、そして次の仕事を探すわけでもなく、私はただどうやって毎日をやり過ごすか、それだけを考えて過ごした。
 朝、背広を着ていつもと同じ時間に家を出る。電車に乗って街まで出ると、もうどうすればいいのか分からない。仕方なくカフェに入りコーヒーを飲み、漫画喫茶に入って時間をつぶす。長くて暗い一日の繰り返しだった。
 そんな生活を二週間ほど続けたある日、たまたま立ち寄った古本屋で昔の漫画を読み、そこに登場するキャラクターの、眼は前進する為に前についているんだというセリフに感動した私は、第一歩として妻にリストラの事実を打ち明けた。
 私がささやかながらありったけの勇気を振り絞って真実を打ち明けた時、彼女は驚きや失望、軽蔑といったあらゆる負の感情を一緒くたにしたような表情で、私をまじまじと眺めた。動揺を隠そうともしなかったが、しかし何を言うでもなくそのまま寝室に入ってしまった。
 私は体中の穴という穴からエネルギーが抜けで行くのをひしひしと感じ、その夜は妻とは違う部屋で寝ることにした。とてもじゃないが、同じ部屋で寝る気にはなれなかったのだ。
 昼ごろ、起きてリビングルームに行くと、妻は置き手紙一枚と私の数少ない私物、持ち運べない家具類を残して、夏休みということもあり、中学一年になる娘と一緒に実家に帰ってしまっていた。全然気づかなかったのかと言われれば、面目ないとしか言いようがないが、しかし朝方に物音がしたという記憶もないのだ。
 その手際の良さに、私は落ち込むよりも感心してしまった。笑うほかなかったと言ってしまってもいいかもしれない。普段はテレビのリモコンを取ることすら面倒くさがっていたのだが、ここ一番のエネルギーの解放は、稀にみる迅速さであった。
 ひょっとして薄々気づいていたのだろうか。しかし、あの驚きようは本物としか思えなかった。きっと妻は、私が長年気付かなかった判断力と行動力をコロコロ太った体に秘めていたのだろう。やる時はやるのだな、と思ったが、出来ればやらないでいただきたかった。
 そうして一人になった私は、何度かけても電話にでない妻の代わりに、昔娘に買ってやった豚のぬいぐるみを相手に話をした。
 どうせ今更仕事なんか見つからない。
 生きていてもいいことなんか何もない。
 後ろ向きで前かがみな言葉しか出てこなかったが、話していると少し落ち着くような気がした。思いを吐き出すことができれば、相手は何でもよかったのだろう。
 どうでもいい話かもしれないが、この豚のぬいぐるみは私の私物とみなされて置いて行かれたのだろうか。・・・・・・。まあ、いい。
 いつしか私は、小さい頃よく父親とキャッチボールをしていた土手に腰かけてビールを飲む習慣が出来た。
 私の父は、菩薩様の優しさをもってしても「悪い」としか言いようのない運動神経の持ち主だったが、「日本の親子はキャッチボール」という、どこかキャッチフレーズのような固定観念のもと、強迫観念に駆られて私とキャッチボールをしていたように思う。そのせいか、私は野球観戦は好きなのだが、いまだにキャッチボールはあまり好きではない。あの日の父親の形相が脳裏にちらつくからだ。娘が生まれた時は、キャッチボールはしなくてもいいと、少し安心したものだ。
 勿論昼間は新しい職を見つけるためにハローワークに通ったり、就職情報誌を読んでは従業員を募集している会社に電話したりしているのだが、私の年齢で目立った資格もないと、仕事を見つけるのは困難を極めた。

 「三十歳での転職。やっぱり怖かったですよ(笑)」

 就職情報誌の表紙で白い歯を見せびらかす男が、ただひたすら疎ましかった。
 昼間現実に打ちのめされた私は、夕方こうしてビールに救いを求めるのだ。


 人生の転機が訪れたのは、私が一通り打ちのめされ、近所のおばさんのひそひそ話のレパートリーを尽きた頃だった。
 元来、趣味といえば野球中継の観戦くらいで、家族に去られてからは食費以外にほとんど金を使わなくなった私は、大きな無駄遣いさえしなければこの先十分やって行くだけの蓄えがあったこともあり、正社員としての雇用は諦め、近所の古本屋でアルバイトを始めた。妻に真実を打ち明けるきっかけを与えてくれた古本屋だ。
 いわゆるフリーターである。収入こそかつての半分以下に減ってしまったが、それでも妻と娘に去られた無趣味の中年男が独身貴族をたしなむには、十分な額だった。
 幸運、と言っていいものなのかどうかは迷うところなのだが、私が勤める古本屋には、私とよく似た境遇の笠縫源三郎という、戦国武将のように粋な名前を持つ私と同じくらいの歳の男性がおり、彼の影響もあってか私は世間体というものをあまり気にしなくなっていた。
 笠縫氏は以前、大手かつらメーカーに勤めていたらしい。ところが一年ほど前にその会社の社長が急逝し、二代目である息子が後を継ぐことになったのだが、この二代目は家業を嫌い、笠縫氏曰く「何を血迷ったのか、急に色気づきやがって」多角経営に乗り出し、「かつらの毛先ほどもない脳味噌をボンクラなりにフル活用してみた」のだが、彼の経営はすぐに暗礁に乗り上げ、あげく「頭どころかケツの毛まで引っこ抜かれて」会社はスピード倒産してしまったらしい。笠縫氏は「ケツの毛は俺たちの専門じゃねえわな」と言ってからからと笑った。迷いのない、いい笑顔だった。
 彼も私と同様独り身で、この先食べていくには困らないだけの貯蓄があったことから、さほど迷うことなくフリーターに転身したらしい。今ではこのきままな生活が気に入っているという。
 共にフリーターで独身の中年。付け加えるなら中肉中背。二人はすぐに意気投合した。何でも豪快に笑い飛ばす笠縫氏と、どちらかといえば思慮深く物静かな私とでは性格は正反対なのだが、それがかえってよかったのだろう。ひと月も経つ頃にはかなり仲良しになり、互いの家を行き来するまでの仲になっていた。
 彼は、本人には決して言えないが、その野武士のような風貌に似合わずワインをたしなみ、酔うと決まって薀蓄を語りだす。しかし、彼にかかるとほとんどのワインはロシア皇帝かイギリス女王陛下が愛した高級ワインに姿を変えてしまう。スーパーで買った一二〇〇円のワインが、実はタイタニック号に積まれていた伝説のワインだったこともある。
 彼は休みの前日には必ず私の家にやって来てソファに腰をおろし、ワイン片手に意気揚々と語りだす。

 「なあ、シゲちゃん。俺、最近思うんだよ」

 彼は話の内容や時系列に関係なく、いつもこう切り出す。

 「人生って何が起こるか分かんねえもんだな。でもよ、何が起きてもそう悪くない。そうだろう?結局、幸せってのは起きたことをどう腹に収めるか、それに限るんじゃねえかな。そりゃこの歳で会社が潰れた職失ったじゃ、世間様は同情するし、自分のことじゃなかったら俺だって同情するさ。でもよ、今のこの暮らしは全然悪くねえ。確かにフリーターって身分を不安に思う時もある。でもいい暮らしだよ。だからさ、俺はこれから起こること、全部楽しもうって決めたんだ。だから、ささ、乾杯だ!」

 そして笠縫氏は赤くなった顔一面に笑顔を張り付けながら、更にワインを傾け、大きないびきをたてるのだった。
 家にいてもすることがないと、いつでも喜んで出勤してくる私たち二人は店長に大いに気に入られ、あらゆる仕事を任されるようになっていた。その日任された書庫整理も普段なら正社員の仕事である。と言っても、この仕事は単純極まりなく、ミスをすることの方がよっぽど難しい。故に私たちはこの仕事中はいつも雑談に花を咲かせている。
 笠縫氏は映画好きで、それは一週間見ないと禁断症状を起こすくらいの中毒らしい。これも本人には決して言えないが、顔に似合わずラブ・ロマンスが好きなようで、最近のお気に入りはオードリー・へプバーンだという。随分と昔の女優だし、お気に入りというには偉大すぎるような気がしたが、笠縫氏は「本当の名優には時代なんか関係ない」と主張し、その後は決まって「スクリーンの妖精ってのは、永遠なんだよなあ」と、遠い目をして夢見心地に言い、ため息をつくのだった。
 彼は本当に多くの映画を知っていて、その映画の裏話をよく知っていた。なぜその俳優が起用され、代わりに誰が降板したのか。どの台詞がアドリブで、どのシーンが偶然によって撮影されたのか。どの俳優がミュージカルの弁護士役のオファーを断って後悔しているのか。
 笠縫氏は映画のことになると、本当に楽しそうに話をする。そんな彼を見ていると、こっちも楽しくなってくるのだから、笠縫氏も得なお人である。


 私がスティーヴ・ウェインの小説と再会したのも、書庫整理の仕事中だった。私と笠縫氏はワゴンセールに出す為の、少々傷んだり古かったりする本を選んでいたのだが、その中に彼の小説が含まれていたのだ。
 「ある坂道の夏」という名のその短編集は、私が高校生の頃に読んだ本で、スティーヴ・ウェインの中期の作品なのだが、それを読んだ時のことは今でも鮮明に覚えている。
 表題作である「ある坂道の夏」は、スティーヴ・ウェインがケアンズでの体験を基に書いたロード・ストーリーで、広大な海を横目に自由な旅を続ける主人公に、高校生だった私はすっかり魅了されてしまったのだ。いつか自分もこの小説の主人公のような旅をしてみたいと思っていたのだが、旅どころかサイクリングさえろくにしないままこの歳になってしまった。私は早速自分で選んだセール品を買い取り、家に帰った。
 その次の日は休みだったので、私は朝からゆっくり読もうと、高校生だったあの頃の興奮を再び味わおうと、仕事が終わると同時にスーパーマーケットに出向き、普段はあまり買わないような、多少値の張るチーズとワインを購入した。そして帰宅すると押入れの中から当時よく聞いたレコードを引っ張り出した。ウィリー・ネルソンが一九七八年に発表した名盤、「スターダスト」だ。もう何年も忘れていた小さな幸福感だった。
 翌日、十時頃に目を覚ました私は、昨日用意しておいたレコードをかけワインの封を切り、ソファに腰掛け「ある坂道の夏」のページをめくった。
 これほどゆっくりとして落ち着いた時間を過ごすのはいつ以来だろうか。思えば、社会に出た頃から、ずっとせかせか生きてきたように思う。
 読み進めていくうち、私の中で何かが弾けるのを感じた。それは驚くべき体験だった。どこか深い洞窟の奥で一滴の水が地面に触れるような、そんな静けさで始まったかと思うと、その感覚は次第に大きくなり、若者の特権とでも呼ぶような特殊な興奮が、私の血管の中で赤血球を押しのけ高速で走り回った。そして読み終わる頃になるとその興奮は、狂気にも似たエネルギーの爆発となり、私の全神経を隅々まで所狭しと駆け巡った。足りなかった人生の一ピースが、やけにたくさん見つかった気がした。高校生の時よりも興奮していた。
 次の日、私は早速笠縫氏にその出来事を話してみた。出来事といっても、中年男が一人、部屋に籠って脳内麻薬を過剰に分泌させたというだけの話だったのだが、私にとっては大きなことだ。
 笠縫氏は映画好きだ。この手の話が好きに違いない。話してみと、彼は私の予想以上に食い付きが良かった。私の旅に対する憧れも願望にも、彼は独自の解釈で共感してくれたようだ。彼が先週、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが出ているロード・ムービーを見ていたことも大きな要素になったようだ。

 もし旅をするなら――。

 行くあてなんかなくてもいい。例えばの話だが、晴れた海辺をオープンカーで颯爽と走り、全身に風を受けることができたなら、どれほど気持ちいいだろう。流れる時間と別れ風と一つになり、最高級のジョニー・ウォーカー・ブルーラベルをボトルごとラッパ飲みする。そして何でもいいから大声で喚き散らすのだ。今まで使ったことがないような汚い言葉も躊躇なく使ってみる。そして世の中の全てを、大声で笑い飛ばすのだ。
 それ以来、私たち二人は書庫整理の時間を、もっぱら妄想をふくらますことに当てることになった。退屈だった書庫整理の時間が、楽しくて仕方のない時間になった。
 いつものように、仕事が終わった後私の家でワインを飲んでいる時だった。一カ月以上経っているこの日もまだ旅の妄想で盛り上がっていた。

 「なあ、シゲちゃん。俺、最近思うんだよ」
 「なんだい」
 「俺たちゃもう歳だ。じじいと呼ばれるにはまだちと早いが、中年時代の出口もそろそろ見えてきた」
 「まあ、そうだねえ」
 「そこで、なんだよ。俺はずっと考えてたんだ。俺たちには何のしがらみもねえ。未来と言えるほどの後先だって残ってねえし、この先見たい孫の顔だってありゃしねえ」

 孫の顔に関しては、私には少なからず可能性が残っていると思うのだが、まあ、いい。

 「これと言った支出もねえから金はある。アルバイトだからそれなりに時間も取れる。どうだい、シゲちゃん。俺の言いたいこと、分かってくれるだろ?」

 もちろん分かる。

 「全部やろうとは思っちゃいねえよ。映画みたいにいきゃあしないもの分かってるさ。それにそんな体力が残ってるわけでもねえ。だからさ、これだってのを一つ、どうだい」

 今までの膨大な量の妄想が、頭の中でぐるぐると渦巻く。京都で舞妓さんの帯をくるくる取ってお代官様、万里の長城で世界最長ボーリング、バッキンガム宮殿の衛兵とにらめっこ。まったくもって現実的ではない。舞妓さんの件に関してはやろうと思えば出来なくもないかもしれないが、二人の中年男性が終盤に向かう人生の節目を定め、大きな決断をもってして行うことかといえば、やはり現実的ではない。
 悩む私の思考を押しのけ、一つの感情がふつふつとわき上がって来た。
 興奮だ。
 私の表情を読み取ったのか、笠縫氏はにんまりと笑い、私の目の前にグラスを差し出した。

 「どうだい、シゲちゃん。明日死ぬと分かっても、それを笑い飛ばせるほどでっかい旅を、やろうじゃねえか」
ワイングラスがぶつかりあい、歓喜の音をたてた。


 清々しい空気だ。空は晴れ渡り、全てを受け入れるような青い海と世界を彩る白い雲、二つの色のコントラストが美しい。海はどこまでも穏やかだ。私はその偉大さを再確認し、ただただ圧倒されるだけだった。
 傍らには中古のオープンカー。その後部席にはジョニー・ウォーカーのブルーラベル、大量の酒のツマミ、太平洋沿岸の地図に酔い止めの薬。私の横には腰に手を当て仁王立ちになり、顔には妙に不敵な笑みを張り付けている笠縫氏が、ひたすら海を眺めていて立っている。
 去年の暮れ、私たち二人はアルバイト先の店長に頼み、長期休暇を貰った。忙しい時期を外すことと旅のお土産を買うことを条件に、普段から働き通しだということと、まだまだ先の話だということもあり、意外と簡単に話はついた。ひょっとして自分たちは実は必要とされていないのではと、疑いたくなるほどだ。リストラ経験者の私はそういうことには敏感なのだ。
 二人で話し合った結果、結局夏の太平洋沿岸をオープンカーで旅をすることに落ち着いた。笠縫氏は京都での乱痴気騒ぎを主張したが、「ショーシャンクの空に」のラストシーンを見せることで決着を見た。ボートが欲しいなどと言いださなければいいが。
 笠縫氏は血沸き肉踊る冒険も期待していたようだが、現実問題としてそれはかなり難しかった。長い間運動らしい運動をしていなかった私たちの体力の限界点は、出発点のすぐ側にあるのだ。
 そして今、私はここにいる。
 海から顔を出すいくつかの岩が、まるで私たちを歓迎しているようだ。吹く風が私たちを包み込み、私の心は目の前に広がる海のように穏やかで満ち足りていた。

 「ゲンちゃん、思い切ってやってみてよかったなあ、旅。まだ一日目だけど、なんだかさっそく目標達成したような気分だもんな」
 「何言ってんだシゲちゃん、まだ始まってもいねえよ」

 先日見た映画のセリフをマネしながら、笠縫氏は大きく伸びをする。
 この後はこの海を横目に、ひたすら南下する予定だ。南に行って何があるかは分からないが、それこそが今回の旅の醍醐味だ。何も分からない。だから前に進むのだ。
 目的はあるが目的地はない。この旅の先で私たちを待っているものは分からないが、何かと出会うのは間違いない。そんな気がする。そしてその何かを見つけた時、そこが目的地になる。
中年よ、大志を抱け。

 「よし、シゲちゃん。そろそろ出発しようか」

 笠縫氏がサングラスをかけて不敵に笑う。
 私はもう一度広い海を眺めた。旅の出発点であり、第二の人生の出発点でもある。その名に相応しい、どこまでも壮大な空と海の青が広がっていた。
 私が車の方に目をやると、笠縫氏は助手席に座って早速ジョニー・ウォーカーの封を切っている。
 唖然とする私の先を行くように、笠縫氏が口を開いた。

 「大丈夫だよシゲちゃん。明日はずっと俺が運転するから」

 そう言ってラッパ飲みをする。ブルーラベルは思いのほかきつかったらしく、笠縫氏は眉間に深い皺を作り、喉元から絞り出すように息を吐き出す。

 「・・・・・・うめえ」

 腹の底から無理にひねり出すような声だ。私たちは大声で笑いながら、車の速度を上げていく。
 遮るものがない太陽の光が眩しい。潮の香りを含んだ風が頬を叩く。笠縫氏の頭頂に少しだけ残された毛は、まるで台風の中で揺れる一房のオアシスのようだ。何もかもが新鮮で、今この瞬間が楽しくて仕方がない。変わることのない景色の中で、私たちの人生だけが変わって行くようだった。数か月前、人生に打ちのめされていた男はもうどこにもいなかった。
 会社をリストラされた。妻と娘に去られた。それがどうした。笠縫氏の言う通り、人生何が起きてもそう悪くない。リストラされたから、妻と娘に去られたから、今ここでこうしていられるのだ。何が起こっても、それは考え方一つでどうとでもなるのだ。

 
 旅の初心者である私たちは陽が高いうちに宿を探すことにした。宿泊場所を確保した方が落ち着いて旅ができるからだ。木造建築二階建て、昔ながらの民宿希望。おばさんが若い娘と二人で細々とやっているような民宿があれば、それがロマンというものである。
 幸いここは観光地、民宿はたくさんある。飛び込みでも十分に宿を確保できるだろう。私たちは空いていそうな民宿の前に車を止め、中に入っていった。

 「すいません。今日、部屋空いていますか?二人なんですけど」

 受付と思しきご老人に尋ねると、間の抜けた声で「ほえ?」と返された。どうやらご老人は眠っていたらしい。夢見心地の眼で見上げている。

 「今夜、泊まれる部屋ありますかね?」

 するとようやく目が覚めたらしい。

 「おお、宿泊ね、泊まるのね。ここにね。はい、空いてますよ。いつだって空いてます」

 目をごしごし擦りながら声を絞り出した。そして「ほえーっ」と、魂を吸い込むような深呼吸をした。

 「あれ、お客さん、見ない顔だねえ。どちらから?」

 常連客ばかりなのだろうか。まるで田舎の床屋ではないか。目の前に座っているご老人に一握の不安を抱きながらも、自分たちの出身地を教えた。

 「ほお、いい所だねえ。西南戦争の頃あたりかな、行ったことあるよ」

 そう言いながら、宿泊名簿に何やら書き込んでいる。

 「はい、二階の奥の部屋ね」

 そう言って手渡された鍵はいかにも漫画に出てくる鍵といった風貌で、私たちを一層不安にさせた。
 六畳ほどの部屋だったが、私たちはろくに部屋も見ずに荷物だけ置くと、さっさと部屋を後にした。早く旅を続けたかったのだ。夏の家族旅行にきた少年の心境である。

 「とりあえず、美味い晩飯食おう。なんかこのあたりはいい魚が食えそうだ」
 「そうだねえ。とりあえず何か探そう」

 笠縫氏は大丈夫だと言い張り運転しようとしたが、どう見ても酒の入っている顔だ。今日は最後まで私が運転した方がよさそうだ。

 「シゲちゃん、市場行こう、市場」

 笠縫氏の眺める先には巨大看板があり、その看板には四十二キロ先にあるという市場の様子と、セクシーで挑発的なハマチの表情が大きく写しだされていた。
 私は今まで海鮮市場というものに行ったことがなかった。初めての市場は驚くほど活気に溢れ、商品まで生き生きしているように見えた。私が働いていた会社とは大違いだ。こんなに活気溢れる場所が同じ国にあるなど、想像したこともなかった。
 笠縫氏は意気揚々と買い物をしている。どの店でも嬉しそうな声をあげ、値切りながら店の主人たちと話している。

 「シゲちゃん、あそこの店で今買った魚調理してくれるみたいなんだよ」

 両手に抱えたたくさんの魚を掲げてみせる。

 「へえ、そんなサービスもあるんだ。そりゃいいねえ」
 「だろう?行こう行こう」

 いかにもその筋の人といった感じの、パンチパーマのおばさんが一人で経営するその店は、こざっぱりとした小さな空間だった。包丁を持って客と話す姿はまるで何かのけじめを強要しているようだ。それでもこの市場で買い物した人は皆ここで食事を楽しむらしく、おばさんは忙しそうだった。
 私たちは早速今買ったばかりのアジとマグロの切り身をおばさんに渡し、唐揚げにしてもらった。マグロの唐揚げなど初めて食べるのだが、特製のタレにつけ、暑さを我慢しながら食べるそのから揚げは、口の中でとろけるように美味かった。
 その夜、初めての旅に興奮し通しだった私たちは、部屋に帰りようやく自分たちの体が疲れはてていることに気がつき、布団さえろくにひかないまま、それこそ泥のようにとっぷりと眠った。