◯
二人きりの車内は静かだった。
お互いに何も話さず、道案内のナビの声だけが、私の家へと的確に指示を出してくれる。
私は窓の外を流れていく黒い景色を見つめながら、先ほどの二人のやり取りを思い出していた。
――まだ、待ってるんだろ?
あの言動からして、流星さんはきっと、まもりさんが誰かを待っていることを知っている。
そして、その相手が誰なのかも、きっと。
(どんな人なんだろう……)
聞いてみたい、と思った。
流星さんに聞けば、まもりさんが誰を、何のために待っているのかもわかるかもしれない。
けれど、それではまもりさんのプライベートを勝手に詮索することになる。
本人が未だに話してくれない情報を、第三者から探ろうとするのは失礼な気もする。
やっぱり、まもりさんが自分から話してくれるのを待つしかないか――と、小さく溜息を吐いたとき。
「お前、まもりのことは大事か?」
と、それまで沈黙を続けていた流星さんが唐突に口を開いた。
「え、大事……?」
大事、という言葉の意味を計りかねた私は、少しだけ反応が遅れた。
さっき店にいたときには「好きなのか」という質問だったけれど、今回は「大事」という言葉を使っている。
ということは、今回と前回の質問とでは微妙にニュアンスが違うようだ。
「お前があいつを大事だと思うのなら、あの店にはもう二度と行くな」
「え……?」
続けられた言葉に、私は驚きを隠せなかった。
どうして、と尋ねようとした私の声を遮るように、流星さんは再び口を開く。
「お前も、あいつの魔法を見たんだろ? あいつは困ってる人間を見たら形振り構わず魔法を使っちまう。今日だって、近所の悪ガキが母親の私物を壊しちまったから直せとか言ってきやがったんだ」
その言葉で、私は例の男の子のことを思い出した。
ちょうど、私がお店へやってきたときに入れ替わりで出ていった、あの男の子。
その腕には確かドールハウスのようなものが抱かれていたと思うが、やはり今回もまた、まもりさんを頼ってきたらしい。
「今回のは簡単に直せるやつだったから、俺が修理してやったけどな。普段はまもりが魔法で直してやってるらしい。あんなのが入り浸ってるんじゃ、まもりの身体が持たねーだろ。魔法を使うのはタダじゃ済まねーんだから」
「それは……」
私も、同じことを考えていた。
けれど、
「でも、だからこそ、何かあったときのためにも、まもりさんのそばには誰かがいた方がいいんじゃないですか? 私、何の役にも立てないかもしれませんけど……でも、まもりさんが本当に危険な魔法を使おうとしていたら、そのときは私だって止めに入りますし――」
「わかってねーなあ」
いつにも増して不機嫌な声が、車内に響いた。
「あいつは困ってる奴を見ると放っとけねーんだよ。あのガキんちょだけじゃねえ。俺やお前のためにだって、あいつは魔法を使っちまうんだ。だから、誰かと一緒にいるだけであいつは必ず危険な目に遭う。あいつが平穏無事に暮らしていくためには、一人にさせておくのが一番なんだよ。それに――」
溜まっていたものを吐き出すようにして、流星さんは言う。
「あいつはな、今まで何度も人の記憶を魔法で消してきたんだ。友達も、知り合いも、みんなあいつのことを忘れちまうようにな。それがどれだけ覚悟のいることだか、お前にわかるか?」
「!」
その言葉で、私は先日のことを思い出す。
まもりさんに、私の記憶を消されそうになったときのことだ。
――僕と一緒にいると、君はきっと、僕のために何度も泣いてしまうだろう?
私が泣いてしまうから。
私を泣かせないために、まもりさんは私の記憶を消そうとした。
そして、
「……今まで、何度も?」
流星さんの言うことが本当なら、まもりさんはそれを何度も繰り返しているのだ。
友達も、知り合いもみんな、まもりさんのことを忘れてしまう。
「そんな……どうして。それじゃあまもりさんは、いつもひとりぼっちになってしまうじゃないですか。そんなの、絶対に寂しいはずなのに、どうして」
「あいつの性格を見てりゃわかるだろ? 周りに心配をかけないようにするためだよ。こうでもしなきゃ、お前みたいに、あいつを心配する奴がいくらでも増えちまう。かといって、あいつに魔法を使うな、なんて言っても無駄だろうし。だから――」
言いながら、流星さんはどこか後悔するような苦い顔をした。
「……だから、俺も同意したんだ。魔法で記憶を消すって。そうでもしなきゃ、あいつはきっと生きていけねえ。……今まで、どれだけ寂しい思いをさせたかもわからねえ。けど、俺にはそれしか方法が見つからなかったんだ。あんなひと気のねえ森に住まわせてるのも、俺の意思だ。客なんか来なくていい。ただ、あいつが生きていてくれさえすれば……」
悔しげに語る流星さんの横顔を見ながら、私は何も言い返せなかった。
流星さんはそんな風に考えていたんだ――と、まるで予想していなかった彼の思いにただ戸惑うばかりだった。
私がいると、まもりさんが魔法を使ってしまうかもしれない――そう考えたとき、真っ先に思い出されたのは、私が初めてまもりさんと会った日のことだった。
あの雨の日に、大事なストラップを失くして泣いていた私。
それを助けてくれたのはまさに、まもりさんの魔法による力だった。
「あいつのそばに誰かがいると、あいつはいつか死ぬかもしれねえ。わかったなら、もう関わるな」
「…………」
そこから何も話せないまま、やがて車は私の家へとたどり着いた。
静寂の中で、私たちは別れた。
「……話してくれて、ありがとうございました」
小さく礼を述べた私の声は、走り去る車の音にかき消された。
〇
次の日から、私があの店へ行くことはなくなった。
学校への行き帰りには必ずあの森の前を通るけれど、そのときは横目でちらりと確認をするだけで、足早にその場を去る。
脳裏には、流星さんから言われたことがずっとこびりついていた。
――あいつはいつか死ぬかもしれねえ。
死ぬ、という言葉の響きを思い出すたび、私は身震いした。
自分よりも他人のことを優先する、心優しいまもりさん。
彼はその優しさから、自らの身を滅ぼしてしまうかもしれない。
私がそばにいることで、彼は私のために魔法を使って、いつか死んでしまうかもしれない。
それはつまり私の存在が、彼を殺すことになるということだ。
(やっぱり……会わない方がいいよね)
彼をあの森の奥で一人にさせておくのは心配だけれど、今は流星さんがいる。
いや、もともと二人は昔から一緒だったのだ。
私なんかがまもりさんの心配をしなくたって、彼のことは流星さんが守ってくれる。
私があの店へ足を運ぶ理由なんて何もない。
なのにどうして、私の心はこんなにもモヤモヤとしているのだろう?
(こんなとき、いのりちゃんがいてくれたら……)
わずかな期待を抱きながら、スマホでSNSの画面を開く。
しかし、いのりちゃんからの新着メッセージの通知はなかった。
数日前に私が送ったメッセージにも返信はない。
既読のマークは付いているので、一応目だけは通してくれているみたいだけれど。
(……文字だけで話しかけたって、だめだよね。ちゃんと顔を見て伝えなきゃ……)
高校からの帰り道をとぼとぼと歩いていると、ふと、カバンにぶら下げていた例のストラップが目に入った。
いのりちゃんがくれた、テディベアのストラップ。
これを見ると、彼女のことを思い出すのと同時に、まもりさんの笑顔が頭に浮かぶ。
二人との思い出が詰まった、私の大切な宝物。
結局、いのりちゃんとはケンカしたまま、今度はまもりさんとも会うことができなくなってしまった。
寂しい、なんていうのは私の勝手な感情だけれど。
せめていのりちゃんとは、ちゃんと話し合って、早く仲直りをしなければ。
彼女は一体何を怒っている?
私は、彼女の何を傷つけてしまったのか?
考えているうちに、何か大事なことを思い出したときのような、フラッシュバックのような映像が、唐突に頭に中に飛び込んできた。
「……!」
いのりちゃんが泣いている。
泣きながら、何かを必死に叫んでいる。
私にではない、誰か他の人に向かって。
(これは……)
強烈な既視感だった。
一体いつの記憶だろう?
私とケンカをしたときも、彼女は泣いていた。
けれどこの映像は、そのときのものとは違う。
たった一秒ほどの、短い記憶。
思い出せたのはそれだけだったけれど、その刹那的な瞬間の中にも、様々な感情が込められていたような気がする。
何だろう。
何かを思い出しそうになって、けれど何も思い出せない。
まるで何か不思議な力によって、記憶に蓋をされているかのようだ。
なんだか胸騒ぎがする。
私は、何か大事なことを忘れている?
そう不安になりながらも、私はやっと我に返り、いつのまにか俯いていた視線をわずかに上げた。
すると、
(……あ)
道の先に、一人の男性が立っていた。
その人はコンクリートの塀に背を預けながら、ぼんやりと空を眺めている。
白いシャツに黒いパンツ姿で、腰にはエプロンを掛けている。
塀のすぐ隣には、例の暗い森の入り口があった。
線の細い、中性的な顔立ちをしたその男性の横顔には、ひどく見覚えがあった。
(あれは、……まもりさん?)