あばらやカフェの魔法使い

 
 そうだ。
 やっと思い出した。

 ずっと胸の奥でモヤモヤとしていたもの。
 思い出せなかった記憶。
 それは……――あの人との思い出だった。

 九年前にこの場所で、私はあの人と出会った。
 彼は私の幼馴染である、いのりちゃんのお兄さんだったのだ。

 名前は、瀬良まもり。

 一緒にいたピアスの男の子は、従兄弟(いとこ)の流星さんだ。

 そうだ。
 どうして忘れていたんだろう?

 あの肝試しのことがあってから、私はいのりちゃんの家へ遊びに行く度に、何度もまもりさんと会っていた。
 そして、彼のあの優しい笑顔に何度も助けられてきた。

 たまにタイミングが良ければ、流星さんとも遊ぶ機会があった。
 そうして段々と仲良くなって、いつからか、流星さんの実家のお店にもお邪魔するようになったのだ。

 あんなに、楽しい思い出をたくさん作ってきたのに。
 私は、どうして忘れてしまったのだろう?
 その理由が思い出せない。

 やはり今回もまた、まもりさんが魔法を使ったのだろうか。

 彼はいつも、誰かのために魔法を使う。
 こうして私が彼のことを忘れてしまったのも、彼の優しさのせいなのかもしれない――。







「……雨、止まないね」

 そんな声がすぐ近くから聞こえて、ハッと我に返った。

 見ると、私の隣にはいつのまにか、いのりちゃんがいた。

 いつもの長いポニーテール。
 その姿は『いま現在』のもの――私と同じ、高校一年生のいのりちゃんだった。

 気がつくと私は、現実の世界に戻っていた。

 さっきまでのあれは、白昼夢か何かだったのだろうか?

 念のためにスマホを確認してみると、日付もちゃんと元に戻っている。

 そして、

(あ……)

 それまで何気なく見ていたホーム画面の背景。
 そこに、見覚えのある写真が設定されていた。

 私と、いのりちゃんと、流星さんと、そして、まもりさん。
 四人が笑顔で寄り添い、それぞれポーズを決めている。
 これは、以前流星さんのお店の前で撮ったものだ。

 そうだ。
 彼らとの思い出の証は、周りを見渡せばいくらでもあったのだ。

 一緒に撮った写真、メッセージのやり取り、誕生日に貰った物、贈った物……。

 それらはすぐ目の前にあったはずなのに、なぜ今まで気づかなかったのだろう。

 いや。

 見えるはずのモノが、見えていなかったのだ。

 まもりさんの魔法によって、大切な記憶に(ふた)をしてしまっていたから。

「絵馬ちゃん、どうかしたの?」

 いのりちゃんの声で、私は再び我に返った。

 改めて周囲を見渡すと、先程いのりちゃんが言った通り、今は雨が降っていた。
 夕立ちだった。
 外にいると濡れてしまうので、今は一時的に例の洋館に避難している。

 森の中は相変わらず薄暗いけれど、高い木々の隙間から見える曇り空は、まだ太陽の光を残していた。
 このまま日が落ちて、雨が止んだら、今年もまた肝試し大会が開かれる。

「ねえ、いのりちゃん。今年は……まもりさんは来ないの?」

 確認の意味も込めて、私はそう尋ねてみた。

 私は今、まもりさんの存在を確かに思い出した。
 けれど、いのりちゃんは?

 ここ最近の彼女の反応を見ていると、とてもまもりさんのことを覚えているとは思えない。

「? まもり? って、誰のこと?」

 案の定、彼女は忘れているようだった。

「まもりさんは、まもりさんだよ。いのりちゃんの、お兄さん」

 私が言うと、彼女は一度びっくりしたような顔をして、それからすぐに噴き出して笑った。

「あはは。なに言ってるの? 私にはお兄ちゃんなんかいないよ?」

 とても冗談を言っているようには見えなかった。
 彼女は本気で、自分の兄の存在を忘れてしまっている。

「絵馬ちゃん、今日はどうしちゃったの? なんだか変なことばっかり言うね」

 その悪意のない純粋な言葉を耳にして、私は胸の奥が締め付けられるような感じがした。

 どうして、思い出させてあげられないんだろう。

 彼女とまもりさんは、とても仲が良かった。
 お互いを忘れることなんて、決して望むはずがないのに。

「……ねえ、いのりちゃん。私……会わなきゃいけない人がいるの」
「え?」

 彼を迎えに行かなければ、と思った。
 今すぐにでも。

 まもりさんはきっと、この街のどこかにいる。
 そして今ごろ、ひとりで寂しい思いをしているかもしれない。

「ごめんね。肝試しの準備、あとはお願い」
「えっ? って、ちょっと絵馬ちゃん。どこ行くの!?」

 私は未だ雨の降り続く屋外へ飛び出すと、いのりちゃんの声を無視して、そのまま駆け出した。
 暗い森を一気に抜け、見慣れた通学路をひた走る。

 まもりさんは今、どこにいる?

 私は、彼を見つけることができるだろうか。

 いや、見つけ出さなければならないのだ。
 彼が寂しい思いをしているかもしれないから。

 否。

 私が、彼に会いたいから。

「まもりさん……!」

 私は全身をずぶ濡れにしたまま、大きな交差点の所までやってきた。
 信号待ちをしている車の中から、多くの視線がこちらを向く。

 きっと今、私はひどい顔をしている。
 こんな状態で彼に会って、嫌われたりしないだろうか。

 いや、そもそも。
 彼は私のことを覚えてくれているのだろうか?

 彼の妹であるいのりちゃんは未だ、彼のことを思い出せずにいる。
 私が記憶を取り戻すことができたのは、ただ運が良かっただけかもしれない。
 私がまもりさんを見つけても、私はただ気味悪がられるだけかもしれない。

 それでも、私は――。

「…………あ」

 そのとき、ふっと雨が止んだ。
 灰色の雲の隙間から、オレンジ色の光が降り注いでくる。

 そして、その片隅には。
 薄っすらと、七色の虹がかかっていた。

(虹……)

 私はその美しい七色の光を、ぼんやりと見上げていた。

 ――虹の(ふもと)には、宝物が眠ってる……って、昔から言うよね。

 ふと、そんなセリフを思い出した。
 誰かが昔、そんなことを言っていた。

 これは、誰から聞いた言葉だっただろうか?

 ――君の探し物も、きっとそこにあると思うよ。

 虹の麓に、私の探している宝物がある。
 その言葉が、私の心を導いてくれる。

(虹の、麓に……)

 何の根拠もないけれど、私は確信した。

(あの虹の麓に、まもりさんがいる)