Side朔夜
その望みというのは、一体誰の望みのことなのだろう。
山田さんは僕の執事ではない。
悠木の執事だ。
凪波の、明日の命を握っている男のための傀儡。
だとしても、僕はその傀儡すら利用してでも、成し遂げたいことがある。
いや、成し遂げなければならない。
僕の今は、凪波がいなければなかった。
凪波がいないのに、今更名声がなんだ。
僕の命も、人生も彼女に捧げると決めた。
これが、僕の愛し方だよ。
海原。
僕は、凪波のためなら、何度だって破滅したって構わない。
「山田さん。お願いします」
「承知いたしました」
僕は、いつも収録前にするように、軽く深呼吸をする。
声を整える。
少しでも多くの人間に届くように。
それは、どんな時でも変わらない。
「カメラ、回しました。どうぞ話して下さい」
僕は、小さく頷く。
そして、目を瞑り、脳内にイメージを作る。
自分がこれから、何のために声を出すのかを。
言葉を紡ぐのかを。
そして、目を開ける。
「みなさんこんにちは。一路朔夜です。今日は突然ですが、みなさんに伝えたいことがあり、生配信をすることにしました」
今の僕は、一路朔夜という名前の声優ではない。
凪波のためだけの復讐ショーを創り出す、プロデューサー兼出演者だ。
さあ。凪波。
僕と一緒に、復讐をしよう。
そして、もう1度この部屋に戻っておいで。
Side朔夜
まずは、たわいもない話から始めながら視聴数とチャット欄を確認する。
まだ、せいぜい数名程度。
チャット欄にも
「え?一路朔夜?」
「本物?」
「別垢じゃない?」
と、ポツポツ僕を疑う書き込みが流れた。
予想通りの反応だった。
確かに、僕個人のYouTubeアカウントは持っている。
だがそれは、僕のものであり、僕のものではない。
事務所が管理しているアカウントだ。
かつて凪波が管理をしていたアカウントで、今は別の人間の手によって運営されている。
すでに登録者は100万人は超えている。
この計画をやるのであれば、本来ならあのアカウントを使う方が良かったのかもしれない。
でも、ダメなのだ、それでは。
この計画をするには、あのアカウントでは意味がない。
僕は、淡々と話を進めるのも疲れたので、リクエストを求めてみた。
まだみんな、僕が本物であることを疑っている。
最近はレベルが高いモノマネ芸人がYouTubeをやっていることもあるからだろう。
だから、僕が一路朔夜であることを証明するには、モノマネなんかではできない僕だけの声を発信する必要があると思ったから。
まずは、このアカウントが僕本人であると認めさせる。
そこから、次の作戦が始まる。
「みんなのリクエストに、なんでも答えるよ」
その言葉に、1人が反応した。
僕が、初めて世の中に認められた、アニメの主役。
凪波と結ばれるきっかけになった役だった。
Side朔夜
「下手くそ」
「イメージと違う」
「結局顔だけじゃん」
原作ファンに思いっきり叩かれたのは知っている。
凪波に鍛え上げられた今なら、そう言われても仕方がないと分かっているが、やはり当時はそれなりに傷ついた。
そんな僕の演技を、凪波はガラリと変えてくれた。
まずは、漫画を読むということから教えてくれた。
漫画には、セリフだけではなく、コマの大きさや描き込まれているモチーフにもメッセージが込められていることがある。
僕は、最初セリフと表情から
「何となくこんな感じだろう」
と思った通りにしか読むことが出来なかった。
でもそれだと、所詮は表面的な演技でしかない。
誰でも出来てしまう軽い演技になる。
そう、僕は凪波に指摘されていたのだ。
大きめのコマで描かれているのは何のためか。
あえて背景を描いていない理由は何か。
どうしてそのセリフを作者はあえて選んでいるのか。
普段ただ目を通すだけなら、そこまで気にしたことがなかった。
でも、役になるということは紙とペンで描かれた二次元の世界にリアリティを創ることと同じだと、凪波に力説された。
言われた最初は、理解が出来なかった。
どうすればいいかと何度聞いても、分かるまで練習し続けるしかないとしか言われなかった。
でも、一緒に凪波と暮らしながら、凪波とセリフや解釈の壁打ちをしていく内に、少しずつリアルな演技の意味がわかった気がした。
僕の演技が一皮向けたと言われるようになったのは、原作好きなら誰でも名シーンだと言う戦闘シーン。
丸々1話分が敵との一騎打ち。
どんなにアニメの映像や音楽が素晴らしかったとしても、キャラクターから出てくる声で嘘を気づかせては、視聴者はシーンにリアリティを感じてもらえない。
相手役の声優は、日本人なら誰でも知っている名声優。
「うわっ、敵が強すぎ」
「これもう、声だけで負けたな」
そんなノイズも勝手に耳に入ってくる。
逃げたい。
いっそ、自分じゃなければもっといいシーンになったのかもしれない。
あまりに耐えられなくなった日に凪波に弱音を吐いた。
すると凪波は、僕をそっと抱きしめながら
「もう、あなただけの役なんだから」
と言ってくれた。
「…………だけど……」
「ん?」
「僕がこの役を演じるのを……喜んでいない人の方が多いし……」
「何言ってるんですか」
凪波は、僕の唇に自分の人差し指をそっと触れさせながら
「私は……あなたで良かったと思ってますよ」
「ほ、本当に……そう思う?」
他でもない。
凪波に認められたことが何よりも嬉しかった。
その後
「というわけで、特訓、しましょうね」
と、凪波による、僕の喉が壊れないギリギリの特訓が行われた訳だが、気持ちが楽になったこともあり、どんどん役が体に染みていった……気がする。
収録当日のことは、正直よく覚えていない。
気がついたら終わっていた。
ただ、大先輩でもある敵役の先輩から握手を求められ
「いい戦いをありがとう」
と言われたのが、とても嬉しかった。
そのエピソードが放映された後、僕のこの役に対する評価は一気に上がり、顔だけ声優というレッテルを剥がすことが出来た。
今思い出しても、この作品を演じた時期はどの役を演じたときに比べても精神的に辛いと言える時期。
だけど、この時期を乗り越えることが出来たからこそ、僕はこの時まで、声優として役を作り続ける事ができたのだと思う。
今や、この役は僕にしかできない役だと言われている。
だから……その役の、あの時の場面のセリフをリクエストしてきた視聴者には心から感謝をしたいと思った。
僕が、本物の僕である証明をこれですることができるのだから。
それから僕は、数分かけて、あのシーンを1人で演じ続けた。
終わった頃には、視聴者数が一気に1000人以上増えていた。
Twitterで誰かが拡散してくれたらしいことが、コメントから分かった。
それは、僕が立てた作戦通りだった。
そして……僕の立てた作戦は、成功するだろうとこの時確信した。
Side朔夜
正直、僕はフリートークは嫌いだ。
お題を与えられ、それに対して何かを話せと言われても……言葉が、話題が全然出てこないから。
それはきっと、僕自身には何もないから。
だからラジオも、生配信もイベントも、司会者やパートナーの問いかけに対してYESかNOかで答えるのが限界だった。
自分が空っぽな人間だと、突きつけられる瞬間だった。
最初は、それなりに悩んだ。
もっと、気が利いたことを話せるようになるべきか、バラエティタレントのように笑いも取れるようになるべきだろうかと……。
その返しが素晴らしいものであればそれで良いのだと……凪波は言ってくれた。
僕の良さを、ちゃんと広げればいいのだと、凪波は励ましてくれた。
そのおかげで、僕は徹底して受け身でい続けることができたし、いつの間にかそれが許される立場になることはできた。
けれども。
やっぱり……凪波と2人きりで話をする方がずっと楽しかった。
僕がもっと知りたいと尋ねると、凪波は嬉しそうにはにかんだ様子を見せながら、色々な知識を楽しげに語る凪波が可愛かった。
あの時間の全てが愛しくて仕方がない。
あの時間さえあれば、僕はちゃんとこの世界と繋がり続けられると思っていた。
だからこそ、僕はあの時間を早く取り戻したい。
この部屋には、凪波と紡いだ時間が漂っている。
その時間が、僕に後押しをする。
「次、リクエストは?」
「他にはないかな?」
僕は作業のように淡々と、同じことをカメラとマイクの前で繰り返す。
それは、僕という……凪波がいなければ何1つできない存在ができるただ1つのこと。
でも、その武器のお陰で、着実に目標には近づいていた。
2000
2500
3000
3500
僕がリクエストされたセリフを1ついう度に、視聴者数が500人、1000人とぐんぐん数字を伸ばしてくれている。
でも、まだ足りない。
きっとまだ、僕が求める者たちはここにはいない。
Side朔夜
もちろん、ただ僕がセリフを言うだけでは意味がない。
そろそろ、視聴者数の上がり方がなだらかになってきたところで、僕はリクエストの受付をやめることにした。
視聴者数とこの放送が一路朔夜本人からのものであると、リクエストのやり取りである程度確信してくれたのだろう。
視聴者からの書き込みに
「本物?」
「お笑い芸人さん、名前なんて言うんですか?」
などと言う投稿はほとんど見られなくなっていた。
視聴者数が5000人になったところで、僕は視聴者にゲームを持ちかける。
「今から、この放送の視聴者をみんなの力で10万人にして欲しい。そうしたら、僕のとっておきの秘密を暴露してあげるよ」
と。
それからすぐだった。
Twitter上ではあっという間に
「一路朔夜」
「生放送」
「秘密暴露」
の文言がトレンドランキング入りし、ものの数分で8万人まで視聴者を増やすことができた。
僕は次々と書き込みをしてくる人間の中に、少しでも多くのモンスターがいることを祈った。
そう。
人を陥れることに快感を覚える、人の皮を被った言葉を操るモンスター達をこの場に集めたかったのだ。
彼らの力を借りるため。
僕は、僕の手を汚さない。
でも、僕の声は使う。
それは凪波がくれたものだから。
今使わないで、いつ使えば良い?
君と生きるために。
Side朔夜
視聴者は増えていく。
81000人。
82000人。
82500人。
視聴者の増え方が、また緩やかになった。
きっとまだ、足りないのだろう。
僕の秘密を1つだけ暴露するだけでは。
彼らが燃えてくれるための燃料として。
どうしようか……。
何を投下すれば、彼らは勝手に祭り状態になってくれるかな。
そんなことを考えながら、適当に書き込まれたコメントに相槌を打っている時だった。
カメラの死角にいる山田さんから、合図が来た。
事務所の社長から僕のスマホに連絡がきた、という内容。
随分、騒動に気付くのが早かったな……。
僕の考えでは、もう少し遅くてもいいとは思っていたけれど。
でも事務所が、僕に関するありとあらゆることに目を光らせていたのも知っていたから、これは許容範囲レベルの誤差にすぎない。
「では皆さん……10万人視聴者になる前に……手始めにちょっと面白い暴露話をしましょうか」
僕はそう言うと、かつて押し付けられたあの書類の束をカメラの前に見せた。
「何だ?」
「面白そうだな」
「暴露か?」
「犯罪でもしてるのか?」
モンスター予備軍が、次々とコメント上に姿を現し始めた。
僕は、緩みそうになる口元を必死で抑えながら、まるで世界の崩壊を予告するかのような口調で、既に頭の中で作り込んでいた台本を演じた。
「これは、僕の事務所の社長がくれた、風俗店のリストです」
この一言を言った瞬間。
「暴露きた!!」
「声優界のプリンスが風俗通い暴露か!?」
一気にコメントが書き込まれる速度が増え、それからすぐ視聴者数が89990まで伸びた。
まだまだ、こんなものは序の口。
僕のなんて、恥にすら入らない。
まずは、凪波と僕を引き剥がそうとした事務所を徹底的に潰す。
そのための材料ならば、僕の手元に残っている。
Side朔夜
それは、本当なら貰ってすぐに処分したかったもの。
だけど、忙しさにかまけて、そのまま放置してしまっていたもの。
「これは、僕がある人から貰った高級風俗店のリストです」
凪波との生活が、盗撮という形で何物かに侵害された時に渡されたものだ。
僕は、その名前を1つずつ読み上げる。
コメントには
「え?何でそんなもん持ってるの?」
「やだー一路様はクリーンでいて欲しかった」
「逆枕ってやつ?」
と好き勝手に書かれている。
僕そのものを批判するコメントもいくつか見受けられたが、まあこれくらいは許容範囲だ。
事実ではないことを、いくら刃物として研いだとしても僕には意味がないから。
「皆さんは気になりませんか。僕が何故、こんなリストを持っているのか」
僕は視聴者に問いかける。
「気になる気になる」
「早く教えろ」
「別に」
「そんなことより、したの?してないの?」
「やっぱ枕だったのか」
「顔だけ声優」
次から次へと書き込まれるコメントが、祭りを生み出す。
その祭りが、Twitterを通じて新たな視聴者を生み、その視聴者が更に祭りを盛り上げる。
いいぞ、もっとだ。
もっと来い。
Side朔夜
「僕は誓って言います。決して僕は、こんなクソなリストは使わない。君達は……どうかは知らないけどね」
僕は少しだけ視聴者を煽る言葉を使う。
「このリストに書かれている店は、世の中には出回っていない、秘密のものばかりだ。普通なら君たちのような庶民は見つけ出すことできない」
僕の煽りに、視聴者のほとんどが僕の想像通り乗っかってきた。
「知りたい」
「自慢かよ」
「DTの敵」
でもまだ、本当に欲しい言葉は出てこない。
僕は、もう少しだけこのリストについて言及することにした。
「今から、皆さんために1店ずつじっくり住所と電話番号を見せます。メモ取るなら今のうちです」
僕はカメラにリストを近づける。
1店舗ずつ、じっくりと読んでもらえるように。
このタイミングで、僕の顔は映らない。
でも僕はどんなコメントがきているかと、このカメラが今何の映像を映しているのは分かる。
だから慎重に僕の顔が写らないように、リストをカメラに映し続ける事ができる。
「どう?皆さん、メモは取れそうですか」
僕の言葉は視聴者に向けるが、僕の顔は近くに待機している山田さんに向ける。
山田さんは、僕と目が合うとすぐ、僕に彼が持っていたスマホ画面を近づけた。
欲しかった連絡が、そこには入っていた。
僕が仕掛けた、1つ目の罠だとも知らずに。
Side朔夜
山田さんからスマホを受け取る。
その様子は、もうすでに放送に乗っている。
コメントには
「何?生電話?」
「これはあれですか、暴露大会ですねわかります」
「盛り上がって参りましたー!!」
と、僕が仕掛けた祭りの炎に酸素をくべるようなコメントが次から次へと投稿されている。
まだまだ、本番はこれからだよ。
もっと燃え上がれ。
祈りをこめながら、僕は通話ボタンを押すと同時にスピーカーにする。
「一路!あんた一体何してるの!!?」
僕は、あまりにも予想通りすぎるターゲットの反応に笑いを堪えるので精一杯だった。
「一路何してるの!!生放送なんて許さないわよ!すぐにやめなさい」
「あー見てくれたんですね、社長、嬉しいです」
心にもない言葉がすらすら出てくる。
これは、凪波に出会うずっと前に、闇の中で身につけた僕が生きるための処世術。
あんな場所で身につけてしまった嘘をつくスキルなど、最初はクソほどの価値も感じなかったけれど、今はむしろ、神から与えられた恩恵だとすら思える。
「え?社長?」
「一路朔夜の事務所のってこと!?」
「マジか。もしかして、反逆?」
「パワハラにでもあってたのか?」
コメントの中に、パワハラの言葉があった。
つい思わず
「いい線いってる視聴者さんもいますね」
と声に出してしまった。
「馬鹿なこと言ってないで!!早くやめなさい!あなたのイメージに傷がつくのよ!」
金切り声で、僕のためと言いたげな必死な嘘に、僕は笑いが込み上げてきそうだった。
「違いますよね」
「何言ってるの!?」
「僕のイメージなんか、こんなことで崩れたりはしない」
そもそも、僕には守りたいイメージなんてこれっぽちもない。
凪波があまりにも僕のイメージを創ることに必死だったから、僕は凪波のためにそのイメージのフリをしただけだ。
僕のイメージに、事務所の……社長の意思なんか、入っているはずがない。
入っていてたまるか。
「社長、あなたが困るのは……あなたの裏稼業がバレて警察に捕まることだ。そうでしょう?」