*
「お、来た。やっほー好きな人」
「その絡み方なんなの?そろそろ飽きないの」
「飽きるとかじゃねえんだわ。恋心を噛みしめようとしてるだけ」
「恋じゃないってば」
「俺は恋なのー」
「…頭おかしい」
「多少のイカレ具合は人生において必要なことであーる」
ひんやりと冷たい温度をお尻に感じながら、ティッシュで軽く水気をふき取ったベンチに座る。
今宵も私の第2の家にやって来た綺は、どや顔でそう言った。なんなら「どや!」って口で言った。どやもなにもないのだけれど。
プシュ、と缶を開ける音が聞こえ、流れるように隣に座る綺に目を向けと、その手には600mlのコーラ缶が握られていた。600mlなのにペットボトルじゃなくて缶なんだ…となんとなく思う。
「暑いなぁ、夜なのに」
「夏近いよ」
「よな。やっぱ夏は炭酸しか勝たんのだ」
ごくごくと喉を鳴らしてコーラを飲む綺の横顔をぼんやりとみつめる。
彼は、綺 という名前が良く似合う、繊細な雰囲気を持っている。黒髪が、白い肌によく映えていた。
日之出 綺。
公園で落ち合うだけの、夜だけの、健全な友達。とても不思議な関係ではあるものの、同時に毎晩どうでもいい話をするだけの日々に楽しさを覚え始めていた。
「で、蘭」
「ん?」
「今日はいつもよりマイナス5くらい覇気がないな。聞いてほしいことでもあれば、俺は菩薩の心で聞くぜ」
綺は人を───私を、よく見てる。
綺とはじめて会ったのは10日ほど前のことで、ここで落ち合うのもまだ両手で数えられるくらいなのに、今日に限らず綺は私の変化によく気づく。
思い返せば、女の子の日がきてちょっとイライラしていた1週間前はあまり会話をせずぼんやりと空を眺めるだけだったし、夕飯に好物の八宝菜が出た時は「いつもより機嫌良いね」と言われた。
前髪が短くなったこととか、つけてる香水が変わったとか、体感したことに気づける人ももちろん素敵だとは思うけれど、綺はそれとはまた違う。
彼は、人の纏う雰囲気や心情を察して、慎重に、寄り添おうとしてくれる。
10日、綺と同じ夜を越えて気づいた。
彼は、人の変化にとても敏感みたいなのだ。
「…綺さぁ、将来はカウンセラーとか向いてるんじゃない」
「なんだよ急に」
「人の気持ち、察するの得意じゃん。欲しい言葉を欲しい時にくれるし、重苦しい空気じゃなくて、わざと笑わせようとしてくれてるんでしょ。菩薩とか」
「菩薩はガチ」
「まじか」
今日も星は見えない。
いつになったら満点の星空が見える天気になるのかな、と考えるけれど、この公園は住宅街の端っこにあるとはいえ街灯がちらほら灯っているから、完全に星だけの輝きを見るには場所を変えなきゃいけない。
もしいつか、無知な私でも概念ごと抱きしめたくなるような、そんな夜に出会えたら。
その時は綺が隣に居たらいいなと、そんなことを思うのだ。
ふー…と深呼吸をして、「綺」と彼の名前を紡ぐ。
ぐーっとコーラを飲んだ綺は、そのまま首をこちらに向けて、「うん」と言った。
「今からすごく、どうでもいい話してもいい」
「恋バナ?」
「ちがうよ。思い出話」
「うん、いいよ」
「綺からしたらすごくどうでもいい話かもだけどさ」
「好きな人の思い出話、どうでもいいって思う奴は多分人間じゃねえぞ」
「菩薩の心で聞いて」
「菩薩じゃなくても聞くよ」
「まじか」
「まじだよ」
綺の言葉にどこか漠然とした優しさを感じて、少しだけ、泣きそうになった。
人に話すのは、これが初めてのことになる。
「……手紙が届くんだ」
ぼやきにも近い私の静かな呟きは、夜の空気に容赦なく溶けていく。膝の上で拳を握りしめる。手汗がにじむ感覚がどこか気持ち悪かった。
「前に、……不登校になる前に仲良くしてた子から。毎月末の方にさ、手紙来るの。すっごいね、毎回レターセットの柄が違くてね」
「ほうぅ」
「私が好きそうな…レトロな、和紙とか。和紙ってわかる、綺」
「わかるわ。なんかあれだろ、ぺらぺらの薄いやつ」
「あながち外れてはないけど、その言い方はなんかやだ」
「うーそ。お洒落なやつな。もらったことあるからわかる」
「え、彼女?」
「妹」
「あ、そう」
*
ポストに初めてそれが投函されたのは、私が不登校になってちょうど1か月が経とうとしていた時だった。
仕事から帰って来た母が、控えめに私の部屋をノックし、「蘭宛てに手紙が来てんのよ」と、どこか嬉しそうに言っていた。
『誰から?』
『藤原 杏未って書いてあるよ。ほら、『名生蘭さまへ』ってさ』
『あみ……』
藤原 杏未。
知り合いに────友達に、その名を持つ者がいた。
高校1年生の時からの知り合いだ。中学の同級生だったので、厳密には13歳からの知り合いではある。
しかしながら、中学時代にまともな会話をした試はなかったので、友達という括りでは15歳からになる。
藤原杏未。人にあまり意見しない、世間一般で「優しそう」と言われがちな雰囲気を持つ女の子だった。
仲良くなったきっかけは高校1年生で同じクラスになったこと。
『名生さん……、だよね』
『…あ、藤原さん』
入学してはじめて彼女と交わした会話はそれだった。
藤原杏未と面識はなかったものの、中学2年生の時にじゃんけんで負けてクラス委員をしていた不運な女の子、という認識をしていたので、話しかけられた時、「あの不運な子か」と、すぐに記憶を思い返すことができた。
同じ中学校出身の人を見つけたから話しかけた。私の中学校から同じ高校に進学した同級生は彼女しかおらず、話すことが必然と言えばその通りだった。
『名生さん、同じ学校だったんだね…』
『うん。うちの学校からここ来る人少ないよね、遠いし』
『遠いよね。わかる…!』
友達ってこうやって始まるんだなぁと、ぼんやり思った記憶がある。
私たちはお互いを「蘭ちゃん」「杏未」と呼ぶようになった。これもまた成り行きだった。名字だとよそよそしいよね、そう言ったのは私だったような気もする。記憶はすでに定かではなかった。
初めの数週間はふたりでいることが多かったけれど、だんだんクラスにも打ち解けるようになり、派手な見た目の女の子ふたり──マイとシホとの交流が始まった。
高校1年生。私と杏未、マイとシホは仲の良い4人グループとしてクラスでも確立していった。初めのころはよかった。違和感はなく、本当に心から、私は3人のことが大好きだった。
春休みが明けて、学校に行くと、私はひとりになっていた。桜井くんの件でマイの機嫌を損ね、シホは完全に私に敵意を向けるようになった。
杏未は、何もいわなかった。人に意見をしない子だ。マイやシホのような女子に歯向かえるとは到底思えなかったので、何となくそうだろうなとは思った。
わかっていた。もしあの場で杏未がマイたちに意見していたら、ターゲットにされる可能性があったこともわかっていた。
人は皆、自分主義である。保身するのが当たり前。
それはなにも、悪いことではない。
私だって、杏未の立場だったらそうしていたことだろう。
それでも、自分を置き換えて考えることができなかったのは、杏未に見捨てられた・・・・・・のが、単純にとても悲しかったからだ。
人は脆く、呆気なく、とても虚しいものである。"友達"とは、なんて都合の良い呼び方なのだろう。
うちら友達だよね、ずっと一緒だよね、蘭あいつ気に食わないから明日から無視ね。春休み、蘭だけ抜きで遊ぼうよ。
聞こえるはずのない、私を抜いた3人の会話が脳内を廻り、息が出来なくなった。