「朱依、舞とは素晴らしいものですね。管弦もこれほど心を動かすものだとは知りませんでした」
「ほんとうに、なんて素敵。姫さま、煌仁さまに琵琶を教えていただいたらどうですか?」
「ええ、そうね、そうね」
 自分が琵琶を奏で彼が舞い。あるいは逆でもいい。そんな日がきたらどんなに楽しいだろう。

 彼らの演目が終わりしばらくすると、「もうし祓姫さま」と声がした。十二単を着た女官である。
「主上がお呼びです」
「は、はい」
「お供の者は、このままお待ちくだされ」
「あ……はい、わかりました」


 ***


「東宮、よろしいですか?」
清白(すずしろ)か? どうした?」
「祓姫が、なにやら内密でお話があるそうでございまする」
 案内されながら話をした。
 清白は煌仁が幼いころに女官になり、結婚するまで宮仕えをしていた。一時は東宮付きとして身近にいたので、煌仁には姉のような存在でもあった。

「久しぶりだな。今は弘徽殿にいるのだったか?」
「はい。夫が先の流行病(はやりやまい)で亡くなりまして、弘徽殿の女御さまに声をかけて頂き」
「そうか、そうだったのか。大変だったな」
「――いえ」
「子は幾つになった。もうそろそろ元服ではないか?」
「はい……」

「どうした。なぜに泣く」
「東宮……。どうぞ私を信じて付いて来てくださいませ」
 煌仁は気づいていた。清白はもともと落ち着いた女性である。なのに最初から声が震えていた。
 明らかに何かある。

 宴の会場からどんどん奥に入っていくが、清白は何も言わない。
 しばらくすると、女官の姿があった。
「祓姫は、こちらでお待ちです」
 女官は、塗籠の扉を開ける。中は暗いが、少し覗く衣が見えた。
 と、その時、清白がその女官を塗籠の中に押し倒した。

「清白、お、お前裏切るのか」と、女官が叫ぶ。
「お逃げくださいっ!東宮! 早く!」
 言うやいなや、清白は塗籠の戸を中から閉めた。
「清白っ!」

 と、その時、突然煌仁の後ろから誰かが襲ってきた。
 気配を感じた煌仁が身を翻したが、袖がざっくりと斬られていた。

「何者だ」
 男は束帯を脱ぎ捨て、(くく)(ばかま)という身軽な衣装になる。
 刀を手にしていた。
「舞と蹴鞠しかできない貴族さまのくせに、身軽じゃねぇか」
 煌仁は顔色も変えず冷静である。
 男を見据えたままゆったりと口を開いた。
「左大臣にでも頼まれたか」
「ふん。誰だか知らねぇよ。砂金ひと袋でお前を殺すよう、頼まれただけだからな」

 じりじりと男は近づいてくる。
 にやりと口元を歪めた煌仁は腰の飾太刀(かざりたち)に手をかけた。
「なかなか使う機会がなかったから、ちょうどいい」
 煌仁が抜いた刀が、きらりと光る。

「ここに住む男の刀を見せてやろう、存分にな」

 それは一瞬だった。
 だらりと落ちそうな袖を翻し、煌仁がくるりと回った。
 キーンと高い音を立てて男の刀が空を飛び、倒れた男の首筋に、煌仁は刀をひたりとあてる。
 目を見開いた男の喉仏が苦しそうに動く。
「どうした。もう終わりか?」

「東宮!」
 検非違使たちが走ってくる。
「遅いぞ。塗籠にいる清白を助けだせ」
「はっ」
 とそこに今度は「火事だ!」という叫び声が聞こえた。


 ***


 朱依は途方に暮れていた。
 女官と消えてからどれほど経ったのか、翠子はなかなか戻らない。宴は終わり、ぱらぱらと皆席を立ち始めたというのに。
 まだかまだかと気を揉みながら、周りを見渡していると同じように首を回して誰かを探しているらしい篁を見つけた。
 袖を振り篁を呼ぶ。

「朱依、煌仁さまを知らぬか?」
「私も姫さまを探しているのです。主上がお呼びだと女官が呼びに来て」
「煌仁さまもなのだ。祓姫が呼んでいると」
 ふたりは強ばらせた顔を見合わせた。
「わしの代わりにいた部下はどうした?」
「酔って倒れた弘徽殿の女房を連れ出すよう頼まれて」
「――まずい」
「た、篁、どうしよう、姫は? 姫は」
「そなたは、ここにいるのだ。あとはわしに任せろ」
「馬鹿言わないで、私も行く!」
 争っている暇はない、篁は部下に指示を与え、皆でふたりを探し始めた。
 と、その時。まゆ玉が走ってきた。
「みゃーう」
「まゆ玉!」


 その頃、翠子は塗籠に閉じこめられていた。
 女官の後を付いて簀子を歩いているうちに、どんどん人けのないところまで来た。帝は体調が優れないようだと聞いていたので、早々に奥で休まれているのかと思い、何も疑わなかった。
 ところが突然後ろから襲われ、あれよと言う間に押し込められた。口は塞がれ、手も足も縛られたので何もできない。そのうち、焦げるような臭いが鼻を突いてきた。

(火事?)
 慌てて手足を揺すりもがくけれども、紐は堅く結ばれ少しもほどけない。
 火事だと叫ぶ声の中に「姫っ!」と聞き覚えのある声がした。
「姫っ! どこにいる、姫っ!」
(煌仁さまっ)
 それは煌仁の声だった。
 隙間から煙が入ってくる。
 蘇る子供の頃の記憶。怖くて動けず母が駆けつけて、母の髪が……。恐怖と悲しみで涙が溢れてくる。