「いい? 姫さまは不思議な力を皆のために使ってくださっているの。わかる? 黙って知らぬ顔をしていれば、祓姫なんてかわいくないあだ名をつけられずに、今頃は素敵な殿方の妻に落ち着いていたはずなのよ」
 朱依はまくしたてる。
「あんなにお美しくていらっしゃるのよ? それなにの、自分の幸せより人の為に力を貸す道を選ばれたわけ。それを優しいと言わずして何というのよ」

「なるほどなぁ」
 確かにそうだろうと思う。あのほど麗しい姫だ。男が黙ってはいないだろう。
 祓姫でさえなければ。
「わかったぞ。優しい姫なのであるな」
「わかったなら、あんたも唐菓子のひとつくらい持ってきなさいよ」
「おう。任せておけ」
 おいしくなければだめよと、疑わしげに睨む朱依に篁はにっこりと笑みを返す。
 女にこけにされて素直に喜怒哀楽を見せるあたり、見た目と違って元来気の優しい男なのだなと、朱依はくすりと笑う。
「しかし物が語るのでは迂闊に何も触れぬのぉ。難儀なことじゃな」
「ああ、それなら直接触れなければ大丈夫なのよ」
「そうなのか?」
「それから、人の手に触れても心が読めるわけじゃないわ。生きているものは別よ」
「ほお、そうなのか。なら食べ物の毒もわかるな?」
「ちょっと、姫に毒見役なんかさせたら私が許さないからねっ。今回だって、とってもお疲れになったんだからっ」
「わかった、わかった。そんなことはさせぬ、させぬ」
 ぺしぺしと叩かれ食いつきそうに睨まれて、篁は逃げ惑う。


 前を歩くふたりは、篁と朱依の騒ぎも気にかけず穏やかに歩いている。

「あそこに梅があるだろう?」
「ええ」
「なのでここは梅壺と呼ばれているんだよ」
 藤がある藤壺などと煌仁は丁寧に説明する。

 どこからか琴の音が聞こえてきた。美しい調べだが、優しいというよりは強い響きがある。
「あの音は弘徽殿の女房たちだな」と、煌仁が薄く微笑んだ。

「煌仁さまのお妃さまは、どちらの殿舎にいらっしゃるのですか?」
「おらぬよ? ひとりも妃はいない」
「そうなのですか?」
 これほどの美丈夫なのに、なぜ?
「まあなんというか、これ以上、後宮に争いの種を作るわけにもゆかぬしな」
 ああ。そういうことなのかと気の毒に思い、なにか言葉をかけたかった。けれども、どう励ましたものか、翠子にはわからない。

「姫は? 通う公達はおらぬのか?」