「……あなた様に、似ておりますね。」
「ええっ?」
父はちらちらと、隼也を見た。
「そなた、母上は?」
母は、隼也に早速尋ねた。
「……亡くなりました。流行り病で。」
「まあ……」
どこの家も、流行り病で命を落とすのは、珍しくない。
「母に何かあれば、左大臣家を訪ねよと、母は常々申しておりました。その笛が、お前を守ってくれるからと。」
母は、父をじーっと眺める。
我慢できない父は、扇を出して仰ぎだす始末だ。
「でも、まあ、いいでしょう。よくぞ、現れてくれました。」
「えっ?」
依楼葉は、母の方を向いた。
父に隠し子がいて、怒ってはいないのだろうか。
「今や、流行り病で子供を亡くす親も、たくさんいると聞きます。この左大臣家も、どうなるかは分かりません。今は、一人でも多く子女がほしいところ。そなた、確か隼矢と申しましてね。」
「はい。」
「この左大臣家の子女に、なってくれますね。」
隼也の顔は、ぱぁーっと晴れやかになった。
「はい!左大臣家の一員となったからには、尚一層、励みます!」
隼也は、新しい家族に、無事迎えられることになった。
何よりも驚いたのは、何一つ攻め立てずに、隼矢を迎い入れた母であった。
「母上様。よく、隼也を許しましたね。」
「この家には、男がいないのです。仕方ないでしょう。」
母は、真っすぐに隼也を、見ている。
「聞きましたよ、帝との事。」
依楼葉は、お酒を溢しそうになった。
「これで女に戻れれば、我が家も盛り返せるやもしれません。」
「母上様?」
「まあ、そなたが入内すればのお話ですけどね。」
母は、フッと顔が綻んだ。
「但し、一番はあの子を見てですけどね。」
「隼矢を見て?」
「ええ。あの子、とても綺麗な瞳をしているのです。母御前がお亡くなりになって、純粋に家族を探し求めて来たのでしょうね。」
依楼葉は、ふぅーっと息を吐いた。
「母上様は、そういう子供が、大好きですからね。」
「ほほほ。その通りです。」
すると母は、隼也に手招きした。
「はい。何か、ご用でしょうか。東の方様。」
そして、母は隼也の手を握った。
「この家の子になったからには、私の事は、母だと思うてよいのですよ。」
「はい……母上様。」
母と隼也を見ていると、依楼葉も安心した。
どうやら隼矢は、素直な子らしい。
これなら、宮中に出仕しても、なんとか周りに可愛がられて、勤めを果たしていける事だろう。
「父上様。隼也は、すぐ宮中へ?」
「それがのう。」
父・藤原照明は、困った顔をしていた。
「手習いは、読み書きしかしてこなかったそうじゃ。」
「へえ。」
「だから、笛や武芸、漢詩や和歌など、習わせる事は山ほどあるのじゃ。1年は見なければ、ならぬ。」
「1年……」
それが隼也にとって長いのか、短いのかは、やってみなければ分からない。
明くる日から、隼也の特訓が始まった。
陽が高くなるまでは、和歌や漢詩、それを過ぎると、弓矢の稽古や、笛の稽古。
それぞれに先生が付き、みっちりと教え込まれた。
依楼葉が勤めから帰って来ると、疲れて寝ている隼矢が目についた。
日中教えられた事を、もう一度思い出しているのか、机に向かったまま寝ている。
依楼葉は自分の上衣を脱ぐと、隼也の肩に掛けてやった。
案の定、漢詩の勉強をしていたようだ。
依楼葉は、漢詩を勉強していた頃を思い出し、微笑んだ。
スース―と、寝息を立てている隼矢をそのままにして、依楼葉はそっと立ち去ろうとした。
「ん……」
目が覚めたのか、隼也は目を擦り始めた。
「ああ、起こしてしまったか。」
「えっ?」
隼矢は寝ぼけたまま、振り返った。
「ああ、兄様!」
依楼葉は、目をパチクリさせた。
「す、すみません。兄上様……」
おそらく気を許したのだろう。
田舎にいる感覚で、兄様と呼んでしまったらしい。
「二人きりの時には、兄様でもよい。但し、人前では兄上様でな。」
「はい。」
依楼葉は、隼矢が気を許してくれた事が、何より嬉しかった。
「あれ、この上衣……」
隼矢はようやく、上衣が掛けられている事に、気づいた。
「ああ、それは私の物だ。」
依楼葉が、手を伸ばす。
「有難うございます、兄様。」
上衣を隼也から渡され、依楼葉がそれを、フワッと着る様を見た隼矢は、どこかボーっとしていた。
「どうした?隼也。」
「あっ、いえ……兄様がとても艶やかなものですから、つい。」
依楼葉は、思わず微笑んでしまった。
「それにしても、兄様の香は、花のように甘いのですね。まるで女子のようだ。」
依楼葉は、ハッとした。
普段着けている香を、そのまま使っていた。
「……珍しいかな。」
「あっ、いえ!私はそのような、雅な物は着けた事はないので、分からぬのですが!」
慌てる隼也に、依楼葉は可愛らしさを覚えた。
「どうだろう。時々、妹が使っていた香を、炊き詰めてみるんだ。」
「へえ……そうなのですね。と言うよりも、姉君様もいらっしゃるんですね。」
依楼葉は、教えていなかったのかと、ふと思った。
「ああ、そうだよ。双子でね。今、親戚の家にいるのだ。」
「親戚の家にですか。道理で、姿が見えないわけですね。」
依楼葉は隼矢に、少しだけ近づけたような気がした。
「ところで、和歌や漢詩の習い事は、進んでいるかな。」
「はい。こういう雅な物は、私に向いているのかなと思っていましたが、習ってみると興味深いです。」
隼也のその瞳は、キラキラと輝いていた。
これは宮中に出仕するのも、早いかもしれないと、依楼葉は思った。
そして、依楼葉の思った通り、隼也はメキメキと習い事が上達し、武芸は依楼葉を凌ぐ程になった。
それを見た父も、考えたよりも早く、隼也を宮中に出仕させる事を決めた。
「隼也を、宮中に出仕させる。まずは、蔵人からだな。」
蔵人は、帝の膳や給仕、秘書的な役割をしていた。
咲哉も、中納言になる前は、六位蔵人から始め、瞬く間に中納言となった。
「隼也も、六位蔵人から入るのですか?」
依楼葉は、関白左大臣の子息であれば当然だと言う風だ。
「いや、非蔵人からにしようと思う。」
「……見習いから、始めるのですか?」
依楼葉は、少し信じられなかった。
「1年かかるだろうと思った習い事も、3か月で得る程の才能と努力の持ち主だからこそ、大切に育てたいのだ。それに、今まで田舎で育ったからのう。下手に六位蔵人に取り立て、恥でもかかせたら可哀そうでな。」
父は父なりの、思いやりと配慮をしているのだなと、依楼葉は嬉しくなった。
又、そう思わせる隼也も、すごいと思った。
いつだったか、机に向かって寝ていた隼也の姿が浮かぶ。
あの努力が実っただと思うと、それも嬉しかった。
そして、いよいよ隼也の出仕の時が来た。
「隼也、お父上の言う事を、よく聞くのですよ。」
「はい、母上様。」
真新しい衣装を着た隼也は、すっかり若い公達に見える。
依楼葉は、その初々しさに、つい見とれてしまった。
やはり、父が母に内緒で通っていただけの事があって、隼也の母は綺麗な人だったのだろう。
咲哉のように、女みたいに美しいとまではいかなくても、美少年である事は、確かだ。
「ほほほっ!これは咲哉同様、宮中で噂になるな。」
すると、依楼葉の背中はなぜか、ゾクッと寒気がした。
「どうしました?兄上様。」
「ん?」
依楼葉は、頬をポリポリと掻くと、隼也を呼び寄せた。
「よいか。宮中の女房達に騒がれても、決して一々反応してはいけないよ。」
「どうしてですか?」
「キリがないからね。目の前を通る度に、甲高い声を出される。」
だが隼也は反って、ニヤッとした。
「女房達と言うのは、宮中にいる女子達の事ですか?」
「ああ、そうだ。」
「綺麗な人も、たくさんいるんでしょうね。」
「うーん。」
依楼葉は、腕を胸の前で組んだ。
「まあ、確かに……いない訳ではないが……」
その話を聞いて隼也は、ウキウキしている。
「さては、隼也。女好きか?」
依楼葉は、細い目で隼也を睨む。
「まだ分かりませんが、嫌いではございません。」
楽しそうに話す隼也を見て、依楼葉は咲哉を思い出した。
「もしや……いろんな女房に、声をかけまくるようになってしまったら、どうしよう。」
すると心配する依楼葉の横に、父・藤原照明の姿が。
「なあに。男はそのぐらいでなければ。もしかしたら、子孫が増えるやも、しれぬぞ。」
父も、どこかワクワクしている。
女の依楼葉にとっては、理解できない世界だ。