いつものように出社の準備をし、ダイニングのテーブルで食パンに齧り付く。使っている食器は、プレートもマグカップもヨーグルトを食べるスプーンも。そして、敷いているランチョンマットも。全部がUzdrowienieで購入したものだ。少しずつ梶さんの色に染まっていくこの部屋の食器や小物たちには、愛着や愛情が沸いていた。梶さんが選んだ素敵な雑貨に囲まれていると思うだけで、自然と心は浮足立つのだから単純な乙女心だ。
昨夜の告白からのキスで、心は音符の上を跳ねて、音を奏でられるくらいに弾んでいた。それと同時に、佑との関係に戸惑いながらも歩み寄ろうとしてくれた困ったような表情も浮かぶ。本気でそうしようと思ってくれているのかもしれないけれど、こう見えて焼きもち焼きだと言った言葉に、前途洋々とはいかない気がしていた。
昼休み。いつものように美香と連れ立って、ランチのために外に出ていた。馴染みのカフェに入り、注文をしてからお冷やを口にして一息つくと、どうしてか美香が私の顔をジッと見てきた。
美香の表情に、自然と頬が歪む。
「何か報告がありませんか?」
冷静に問われると、瞬時に昨夜した甘いキスが頭を過った。まるでその場面を見てた、と言わんばかりの探るような美香の瞳に負けた。
「キスっ!?」
「ちょっ! 声が大きいよ」
付き合うことになった話を飛ばして、いきなりキスしたことを話したのが間違いだった。いくら店内がお昼時で賑やかだとはいえ、近くに座っていたテーブルの人たちが美香の声に反応してこちらを見ている。
「ごめん、ごめん」
美香も、自分の声の大きさに笑っている。
「ていうかさ。梶さんと、付き合ってんの? それとも、キスしただけ?」
疑問に思うのは確かなので、前者の方に対して頷き、その経緯も話した。
「なになに、それ。カフェのなんちゃら言う女の存在に不安だとかこぼしていたのに、ちゃっかりしてんじゃん」
結果的にみれば、美香の言葉にぐうの音も出ない。なんだかんだ言ってグスグズしておきながら、結局は恋人同士になったのだから。
「先延ばしにして、うじうじと考え込んでいるのかと思ったらいつの間に。ほうほう、よきことです、よきことです」
どこの誰のキャラクターを演じているのか解らないけれど、おどけて返す美香はとても楽しそうだ。
「ただね、やっぱりどうしても不安なことがあって……」
「カフェのおねーさんか」
美香が腕を組む。
「もう付き合っちゃったんだし。気にしたってしょうがないじゃん」
「でも、櫻子さん。梶さんのこと、好きだと思うんだよね……」
ため息交じりに零すと、「何を今更」と肩を竦めた。
「え? 気づいてたの?」
驚くと、呆れた溜息は二倍増しになった。
「あのね、お嬢ちゃん。気づいていないのは、多分あなただけだと思いますよ。普通は、気がつくでしょ。あの態度ですから」
窘めるように諭されても、驚愕せずにはいられない。
だって、二人が恋人同士ではないと知って、櫻子さんの今までの態度を振り返ってみれば、梶さんのことを今も想っているとしか考えられない。あの二人が今は付き合っていないという現実はあっても、櫻子さんの想いがはっきり見て取れた今、平気な顔で梶さんといられるか自信がない。
美香は、苦笑いを浮かべている。
「漸く気がつきましたか、雪乃さん」
食後に届いたコーヒーを口に含むと、私の鈍感ぶりを楽しんでいる。
「櫻子さんにね。梶さんを悲しませないでねって言われたの。きっと、梶さんの繊細な心を、かき乱したりしないで欲しいってことだと思うんだけど」
「ふぅ~ん。牽制されて、雪乃は今焦っているわけだ」
笑いながら言うものだから、「笑いごとじゃないです」と頬を膨らませた。
「そんなのはね、雪乃が梶さんを精一杯好きでいれば、何の問題もないことじゃない? 外野がなんだかんだ言ってきたところで、所詮外野よ。無視、無視」
美香の言うことは、もっともなことなのだろう。誰が何を言ってこようが、私が梶さんを好きなら、それでいい話だ。
「自信がないの?」
「え?」
「梶さんを想う気持ちに、自信が持てないのかなって」
自信、なのかな……。考えてみたら、自分から好きになって想いを伝えて付き合ってきたことはあっても、相手から想いを伝えられて付き合ったことというのは今までなかった。
「好きって、言われて付き合ったの、初めてかもしれない」
思い出したような告白に、美香が苦笑いを浮かべた。
「初めてのことに戸惑っているわけですか、この乙女は」
面倒臭い子ですねぇ~。と美香がからかうように笑う。
「あのさ。相手からとか自分からとか、今の気持ち考えたら、それこそどうでもよくない? だって、雪乃は梶さんのこと好きなんでしょ?」
ダイレクトに訊かれて、一気に顔が熱くなるものの。うんうん。と何度も頷きを返すと笑われた。
「甘えなよ。梶さんに、どんどん甘えな。雪乃はさ、あの、なんてったっけ? 幼馴染の」
「佑?」
「そう、その幼馴染の佑ってやつには心底甘えているみたいだけど。その甘えの半分でもいいから、梶さんに向けるといいんじゃないかな。男はさ、頼られたり甘えられたりするとさ、嬉しいものだし。守ってあげたくなっちゃうものなんだから」
「さすが恋愛マスター」
本気でそう思い、ポロリと言葉を零したら、あのねぇ~。と呆れられてしまった。
「雪乃ちゃんは、男心がわからなすぎですよ、まったく」
再び腕を組んで、敢えて鼻息荒く息を吐き出す美香は、なんとも頼りがいがある。
「実は、美香って。女じゃなくて、男だったりしない?」
わりと真面目腐った顔で訊いたら、「ここ、雪乃のおごりだよね?」と冷静に伝票を差し出され、慌てて謝った。
お昼ご飯から戻ると、梶さんからメッセージが届いた。夜ご飯を一緒に食べませんか? という誘いだった。
隣から画面を覗き込んできた美香は、仙人の如く「甘えなさい。甘えなさい」と達観したような物言いだったから、可笑しくてたまらなかった。
昨夜の告白からのキスで、心は音符の上を跳ねて、音を奏でられるくらいに弾んでいた。それと同時に、佑との関係に戸惑いながらも歩み寄ろうとしてくれた困ったような表情も浮かぶ。本気でそうしようと思ってくれているのかもしれないけれど、こう見えて焼きもち焼きだと言った言葉に、前途洋々とはいかない気がしていた。
昼休み。いつものように美香と連れ立って、ランチのために外に出ていた。馴染みのカフェに入り、注文をしてからお冷やを口にして一息つくと、どうしてか美香が私の顔をジッと見てきた。
美香の表情に、自然と頬が歪む。
「何か報告がありませんか?」
冷静に問われると、瞬時に昨夜した甘いキスが頭を過った。まるでその場面を見てた、と言わんばかりの探るような美香の瞳に負けた。
「キスっ!?」
「ちょっ! 声が大きいよ」
付き合うことになった話を飛ばして、いきなりキスしたことを話したのが間違いだった。いくら店内がお昼時で賑やかだとはいえ、近くに座っていたテーブルの人たちが美香の声に反応してこちらを見ている。
「ごめん、ごめん」
美香も、自分の声の大きさに笑っている。
「ていうかさ。梶さんと、付き合ってんの? それとも、キスしただけ?」
疑問に思うのは確かなので、前者の方に対して頷き、その経緯も話した。
「なになに、それ。カフェのなんちゃら言う女の存在に不安だとかこぼしていたのに、ちゃっかりしてんじゃん」
結果的にみれば、美香の言葉にぐうの音も出ない。なんだかんだ言ってグスグズしておきながら、結局は恋人同士になったのだから。
「先延ばしにして、うじうじと考え込んでいるのかと思ったらいつの間に。ほうほう、よきことです、よきことです」
どこの誰のキャラクターを演じているのか解らないけれど、おどけて返す美香はとても楽しそうだ。
「ただね、やっぱりどうしても不安なことがあって……」
「カフェのおねーさんか」
美香が腕を組む。
「もう付き合っちゃったんだし。気にしたってしょうがないじゃん」
「でも、櫻子さん。梶さんのこと、好きだと思うんだよね……」
ため息交じりに零すと、「何を今更」と肩を竦めた。
「え? 気づいてたの?」
驚くと、呆れた溜息は二倍増しになった。
「あのね、お嬢ちゃん。気づいていないのは、多分あなただけだと思いますよ。普通は、気がつくでしょ。あの態度ですから」
窘めるように諭されても、驚愕せずにはいられない。
だって、二人が恋人同士ではないと知って、櫻子さんの今までの態度を振り返ってみれば、梶さんのことを今も想っているとしか考えられない。あの二人が今は付き合っていないという現実はあっても、櫻子さんの想いがはっきり見て取れた今、平気な顔で梶さんといられるか自信がない。
美香は、苦笑いを浮かべている。
「漸く気がつきましたか、雪乃さん」
食後に届いたコーヒーを口に含むと、私の鈍感ぶりを楽しんでいる。
「櫻子さんにね。梶さんを悲しませないでねって言われたの。きっと、梶さんの繊細な心を、かき乱したりしないで欲しいってことだと思うんだけど」
「ふぅ~ん。牽制されて、雪乃は今焦っているわけだ」
笑いながら言うものだから、「笑いごとじゃないです」と頬を膨らませた。
「そんなのはね、雪乃が梶さんを精一杯好きでいれば、何の問題もないことじゃない? 外野がなんだかんだ言ってきたところで、所詮外野よ。無視、無視」
美香の言うことは、もっともなことなのだろう。誰が何を言ってこようが、私が梶さんを好きなら、それでいい話だ。
「自信がないの?」
「え?」
「梶さんを想う気持ちに、自信が持てないのかなって」
自信、なのかな……。考えてみたら、自分から好きになって想いを伝えて付き合ってきたことはあっても、相手から想いを伝えられて付き合ったことというのは今までなかった。
「好きって、言われて付き合ったの、初めてかもしれない」
思い出したような告白に、美香が苦笑いを浮かべた。
「初めてのことに戸惑っているわけですか、この乙女は」
面倒臭い子ですねぇ~。と美香がからかうように笑う。
「あのさ。相手からとか自分からとか、今の気持ち考えたら、それこそどうでもよくない? だって、雪乃は梶さんのこと好きなんでしょ?」
ダイレクトに訊かれて、一気に顔が熱くなるものの。うんうん。と何度も頷きを返すと笑われた。
「甘えなよ。梶さんに、どんどん甘えな。雪乃はさ、あの、なんてったっけ? 幼馴染の」
「佑?」
「そう、その幼馴染の佑ってやつには心底甘えているみたいだけど。その甘えの半分でもいいから、梶さんに向けるといいんじゃないかな。男はさ、頼られたり甘えられたりするとさ、嬉しいものだし。守ってあげたくなっちゃうものなんだから」
「さすが恋愛マスター」
本気でそう思い、ポロリと言葉を零したら、あのねぇ~。と呆れられてしまった。
「雪乃ちゃんは、男心がわからなすぎですよ、まったく」
再び腕を組んで、敢えて鼻息荒く息を吐き出す美香は、なんとも頼りがいがある。
「実は、美香って。女じゃなくて、男だったりしない?」
わりと真面目腐った顔で訊いたら、「ここ、雪乃のおごりだよね?」と冷静に伝票を差し出され、慌てて謝った。
お昼ご飯から戻ると、梶さんからメッセージが届いた。夜ご飯を一緒に食べませんか? という誘いだった。
隣から画面を覗き込んできた美香は、仙人の如く「甘えなさい。甘えなさい」と達観したような物言いだったから、可笑しくてたまらなかった。