返事を引き延ばすなんて、どうかしているのだろう。あの夜告白されたことで、普通なら即座にOKするようなものなのに、私は梶さんに待ったをかけていた。
梶さんからの告白は、その瞬間浮かれてどうにかなりそうだったのは確かだ。けれど、両想いだったと浮かれる気持ちより、ありえない事実を急に突き付けられた驚きと衝撃の方が強く勝っていた。
櫻子さんという彼女がいるのだからと、自分の気持ちを抑え込み、時には見ないふりをしてきた二人の方が現実で。昨日された告白の方が夢や妄想なのではないかと思えていたのだ。突然降ってわいたような出来事に、どんな顔をしていいのか解らなくなっていた。
あの夜、梶さんに告白されてから、既に一週間程がすぎていた。普段それほどない残業が数日続き、帰宅時間はいつもよりも遅くなっていた。そのせいもあって、帰りにUzdrowienieに寄ることもなく。ただ、家と会社を往復していた。梶さんとは休みが合わないこともあり、先日の週末も食料の買い出し以外は家に引きこもり、一人の時間を過ごしていた。佑は、曲や事務所とのことで忙しいのか、ご飯を集りにやってくることもない。
今までだったら、時間があれば意気揚々とUzdrowienieやSAKURAに顔を出しに行くところだけれど、嬉しいはずの告白は私の足を二つの店から遠ざけていた。
突然のことに驚きつつも、、櫻子さんの梶さんをみつめるあの瞳を思い出してしまうのも原因の一つだった。
本当にこのまま梶さんと付き合ってしまってもいいのだろうか。櫻子さんの気持ちを直接聞いたわけではないけれど、あの瞳を思い出せば素直に梶さんの胸に飛び込むことができない。
梶さんは、櫻子さんとのことを過去のことと言っていたけれど、毎日あんなに近い距離にいて、本当に割り切ることはできているのだろうか。襟元を直す櫻子さんの行動を素直に受け入れていた梶さんの姿に、疑問を抱いてしまう。
お店同士が目の前で、毎日のようにSAKURAで休憩を取り、梶君と呼ばれ襟を直してもらう。あの日常が梶さんの普通であるなら、櫻子さんという存在は彼にとって、ただ過去の人と割り切るだけではない気がしてしまう。そして、櫻子さんの中でも、梶さんは未だ過去になどなっていない気がしてならない。
もしも、梶さんと私が付き合ったりしたら、櫻子さんは傷ついたりしないだろうか。
梶さんは、本当に私のことだけを見てくれるのだろうか。疑問はグルグルと脳内を巡り、答えを出すことを躊躇わせる。
金曜日の仕事終わり、私の様子がおかしいことに気づいた美香がお酒に誘ってくれた。
「よしっ。行こう!」と言って、どうしてか気合を入れた美香が椅子から立ち上がる。それに倣うように、パソコンの電源を落としバッグを手にした。
お店は、駅近くのHUBにした。ガヤガヤと煩いところを選んだのは、下手に静かなところよりも、会話が飛び交っている場所の方が勢いづいて話しやすいからだ。周囲の会話のリズムに乗っかって、のどの奥に言葉を止めることなく話してしまえそうだ。
一旦席に着きハイボールを買いに行く美香が、私の分のグラスワインと小腹を満たすためのチキンバスケットを買ってきてくれた。湯気を上げるチキンとフライドポテトに、美香はにんまりと笑みをこぼしグラスを持ち上げる。
「お疲れ~」
美香の掲げたグラスに、ワインのグラスを軽く当てた。周囲の喧騒に、ぶつかったグラスの音はかき消される。週末ともあって、HUBは盛況のようだ。仕事帰りのサラリーマンはもちろん、ОLも数組目に留まる。外資の会社が近くに多いせいか、外国人グループの姿も多く目に留まった。
「で、何があったの?」
ザックリと訊ねる美香に、これまでのことを話していった。梶さんと櫻子さんの関係を勘違いしていたこと。送って貰った時、告白されたこと。まだ返事をしていないこと。
ただ、自分が今感じている梶さんの気持ちや櫻子さんの気持ちは、まだうまく言葉にできなくて美香に話すことができなかった。
美香は、一口二口とハイボールを飲みながら、ホクホクとチキンを頬張りつつ話を聞いている。時々、あちっなんて言いながらも、それで? と話の続きを促していった。
美香のハイボールが空になるころ、おおよその話をし終えた。
「ほらね。私が最初に言った狙いは、間違ってなかったでしょ。カフェに行ったとき、なんとなく違う気がしたんだよね」
美香は、やっぱりね、と幾度か頷きポテトを摘まむ。そんな美香を見ながら首を傾げた。
「違う?」
「梶さんと櫻子さんよ。恋人同士じゃないって気がしてたから」
「うそー。どう見ても恋人同士にしか見えなかったけど」
驚いた私は、周囲の喧騒をいいことに声のボリュームが上がってしまった。
「美香は、お似合いだって思わなかったの?」
「お似合いはお似合いだけど、二人を見た時に恋人同士にある空気感みたいなものがなかったんだよね。なんて言うか、一方的?」
「一方的?」
「うん。敢えて言うなら」
「言うなら?」
訊ね返す私の目をじっと見ていた美香は、少し悩んだ末に言葉を止めてしまった。
「あ、いや、これはまだ私の憶測でしかないから、また今度」
美香は勝手に一人で納得して、話をやめてしまった。
「ちょっとー。もったいぶらないで教えてよー。気になるでしょ」
「だから、まだ憶測だから、いいってば~」
美香の言う憶測が気になることは気になるけれど、アルコールも手伝って私は陽気な気分になっていた。美香も美香で、ケタケタと笑ってハイボールのお代わりを取りに行ってしまう。
再び満たされたグラスを片手に戻った美香は、椅子に座るのも待てないようで、ハイボールに口をつけながら腰掛けた。
「まー、なんにせよ。答えを引き延ばし過ぎるのは、梶さんに悪いし。とりあえず会いに行っちゃえば? 顔を見た瞬間に、スルッと答えが口から出るかもよ」
軽くいなすようにして、クイッと片方の口角を上げた。
スルッと、か。
ワインの赤は、薄明かりのHUBの店内で妖艶な輝きを放っている。見つめ続けていたら、雰囲気に飲み込まれてしまうような、艶やかな赤紫色だ。このワインのようにしっとりとした大人の女性だったなら、こんな風に悩んだりしなかっただろうか。
「部屋だって隣なんなだから、そうこうしているうちに。ほら、得意のパンを持って訪ねて来られちゃうんじゃないの?」
確かに美香の言う通りで。こうやって答えを先送りにしていたところで限界があるのはわかっていた。梶さんだって、いつまでも黙って待ったままなんていられないだろう。
「大体さ、何が不満なの?」
「不満?」
「返事に悩むってことは、梶さんの気持ちに応えていいかどうか、解らないわけでしょ? 櫻子さんとはなんでもなかったんだし、何も問題はないはずでしょ? それとも、何か気持ちを引き留めるものでもあるわけ?」
美香に言われて脳裏を掠めるのは、櫻子さんの顔だ。確かに恋人同士ではなかったのだから、問題はないはず。ないはずなのだけれど、櫻子さんの存在がどうしても想いの前に立ちはだかってしまう。
優しくて、気が利いて、ふわりとした癒しの雰囲気を持つ櫻子さんの存在は、こんなに柔らかな表現を用いてもどうしてか強い光を放っていて私の気持ちを塞き止める。梶さんをも一緒に包み込んでいるような強い光は、私が近づくことを許していないような気持ちになるんだ。
三杯目のハイボールを、美香はチビチビと口にする。さっきまでの勢いは間違いだったとでもいうように、ゆっくりと味わうように飲みだした。
「あんなに大人で優しい男性に好かれるなんて、羨ましいんですけど」
美香は、わざとらしく唇を突き出し、不満を口にした。でも、目は笑っているので冗談なのだろうとわかる。
美香の言うとおり、今回のことは本当に夢のようで、素敵なことだと思っている。こんな私のどこがよかったのだろうと首を傾げずにはいられないけれど、梶さんに伝えられた想いは素直に嬉しいものだった。
ただ、どうしても私の中で櫻子さんの存在が引っかかってならない。 もしかして、大学生の頃に付き合っていた時のまま、櫻子さんの気持ちだけが止まっていやしないだろうか? 梶さんも口では過去の話だと割り切っているように見えたけれど、もしもそうではなかったとしたら? そんな二人の間に割って入ってしまったら、後悔してしまうんじゃないだろうか。
いつにもなく慎重になってしまうのは、以前のように傷つくのが怖いからだ。未だ生傷というわけではないけれど、あの時の辛い感情は忘れることなどできず、私を臆病にしている。
付き合ってしまってから、梶さんと櫻子さんの仲睦まじい姿を見てしまったら、胸が苦しくてたまらなくなるだろう。お似合いの二人を前に、梶さんの相手は私ではなかったんだと気がついた時にはもう遅い。そうなった時に、私は普通の顔をしていられる自信もないし、苦しくて、切なくて、引っ越したばかりの今の家を引き払うことにだってなりかねない。
佑に泣きついて、ほら見ろなんて言われながら、涙ながらに段ボールの中に荷物を詰め込む図が容易に浮かんできて慌ててかき消した。
「兎に角。まずは告白の返事をしに行きなさい。そもそも、梶さんの気持ちを考えなさいよ。告白した相手がいつまで経っても何も言ってこないなんて、地獄だよ」
大袈裟なほどの身振り手振りをつけた美香が、欧米人並みに両手を広げて肩を竦めた。少し離れた場所で談笑しているグローバルな人たちの仲間に、難なく加われそうな気がする。
週末。一先ずSAKURAに行ってみよう。もう一度櫻子さんに会って、梶さんへの気持ちを少しでも読み取れないだろうか。そして、できることなら櫻子さんから感じる梶さんへの想いが、私の勝手な思い違いであって欲しい。
週末のことを考えながらマンション前にたどり着くと、エントランスの前にぽつんと一人の女の子が立っていた。
こんな遅い時間に、誰かを待っているのだろうか?
特に深く考えもせず、エントランスに向かって歩いていくに従い、その子の目が鋭く私を睨みつけていることに気がついた――――。
梶さんからの告白は、その瞬間浮かれてどうにかなりそうだったのは確かだ。けれど、両想いだったと浮かれる気持ちより、ありえない事実を急に突き付けられた驚きと衝撃の方が強く勝っていた。
櫻子さんという彼女がいるのだからと、自分の気持ちを抑え込み、時には見ないふりをしてきた二人の方が現実で。昨日された告白の方が夢や妄想なのではないかと思えていたのだ。突然降ってわいたような出来事に、どんな顔をしていいのか解らなくなっていた。
あの夜、梶さんに告白されてから、既に一週間程がすぎていた。普段それほどない残業が数日続き、帰宅時間はいつもよりも遅くなっていた。そのせいもあって、帰りにUzdrowienieに寄ることもなく。ただ、家と会社を往復していた。梶さんとは休みが合わないこともあり、先日の週末も食料の買い出し以外は家に引きこもり、一人の時間を過ごしていた。佑は、曲や事務所とのことで忙しいのか、ご飯を集りにやってくることもない。
今までだったら、時間があれば意気揚々とUzdrowienieやSAKURAに顔を出しに行くところだけれど、嬉しいはずの告白は私の足を二つの店から遠ざけていた。
突然のことに驚きつつも、、櫻子さんの梶さんをみつめるあの瞳を思い出してしまうのも原因の一つだった。
本当にこのまま梶さんと付き合ってしまってもいいのだろうか。櫻子さんの気持ちを直接聞いたわけではないけれど、あの瞳を思い出せば素直に梶さんの胸に飛び込むことができない。
梶さんは、櫻子さんとのことを過去のことと言っていたけれど、毎日あんなに近い距離にいて、本当に割り切ることはできているのだろうか。襟元を直す櫻子さんの行動を素直に受け入れていた梶さんの姿に、疑問を抱いてしまう。
お店同士が目の前で、毎日のようにSAKURAで休憩を取り、梶君と呼ばれ襟を直してもらう。あの日常が梶さんの普通であるなら、櫻子さんという存在は彼にとって、ただ過去の人と割り切るだけではない気がしてしまう。そして、櫻子さんの中でも、梶さんは未だ過去になどなっていない気がしてならない。
もしも、梶さんと私が付き合ったりしたら、櫻子さんは傷ついたりしないだろうか。
梶さんは、本当に私のことだけを見てくれるのだろうか。疑問はグルグルと脳内を巡り、答えを出すことを躊躇わせる。
金曜日の仕事終わり、私の様子がおかしいことに気づいた美香がお酒に誘ってくれた。
「よしっ。行こう!」と言って、どうしてか気合を入れた美香が椅子から立ち上がる。それに倣うように、パソコンの電源を落としバッグを手にした。
お店は、駅近くのHUBにした。ガヤガヤと煩いところを選んだのは、下手に静かなところよりも、会話が飛び交っている場所の方が勢いづいて話しやすいからだ。周囲の会話のリズムに乗っかって、のどの奥に言葉を止めることなく話してしまえそうだ。
一旦席に着きハイボールを買いに行く美香が、私の分のグラスワインと小腹を満たすためのチキンバスケットを買ってきてくれた。湯気を上げるチキンとフライドポテトに、美香はにんまりと笑みをこぼしグラスを持ち上げる。
「お疲れ~」
美香の掲げたグラスに、ワインのグラスを軽く当てた。周囲の喧騒に、ぶつかったグラスの音はかき消される。週末ともあって、HUBは盛況のようだ。仕事帰りのサラリーマンはもちろん、ОLも数組目に留まる。外資の会社が近くに多いせいか、外国人グループの姿も多く目に留まった。
「で、何があったの?」
ザックリと訊ねる美香に、これまでのことを話していった。梶さんと櫻子さんの関係を勘違いしていたこと。送って貰った時、告白されたこと。まだ返事をしていないこと。
ただ、自分が今感じている梶さんの気持ちや櫻子さんの気持ちは、まだうまく言葉にできなくて美香に話すことができなかった。
美香は、一口二口とハイボールを飲みながら、ホクホクとチキンを頬張りつつ話を聞いている。時々、あちっなんて言いながらも、それで? と話の続きを促していった。
美香のハイボールが空になるころ、おおよその話をし終えた。
「ほらね。私が最初に言った狙いは、間違ってなかったでしょ。カフェに行ったとき、なんとなく違う気がしたんだよね」
美香は、やっぱりね、と幾度か頷きポテトを摘まむ。そんな美香を見ながら首を傾げた。
「違う?」
「梶さんと櫻子さんよ。恋人同士じゃないって気がしてたから」
「うそー。どう見ても恋人同士にしか見えなかったけど」
驚いた私は、周囲の喧騒をいいことに声のボリュームが上がってしまった。
「美香は、お似合いだって思わなかったの?」
「お似合いはお似合いだけど、二人を見た時に恋人同士にある空気感みたいなものがなかったんだよね。なんて言うか、一方的?」
「一方的?」
「うん。敢えて言うなら」
「言うなら?」
訊ね返す私の目をじっと見ていた美香は、少し悩んだ末に言葉を止めてしまった。
「あ、いや、これはまだ私の憶測でしかないから、また今度」
美香は勝手に一人で納得して、話をやめてしまった。
「ちょっとー。もったいぶらないで教えてよー。気になるでしょ」
「だから、まだ憶測だから、いいってば~」
美香の言う憶測が気になることは気になるけれど、アルコールも手伝って私は陽気な気分になっていた。美香も美香で、ケタケタと笑ってハイボールのお代わりを取りに行ってしまう。
再び満たされたグラスを片手に戻った美香は、椅子に座るのも待てないようで、ハイボールに口をつけながら腰掛けた。
「まー、なんにせよ。答えを引き延ばし過ぎるのは、梶さんに悪いし。とりあえず会いに行っちゃえば? 顔を見た瞬間に、スルッと答えが口から出るかもよ」
軽くいなすようにして、クイッと片方の口角を上げた。
スルッと、か。
ワインの赤は、薄明かりのHUBの店内で妖艶な輝きを放っている。見つめ続けていたら、雰囲気に飲み込まれてしまうような、艶やかな赤紫色だ。このワインのようにしっとりとした大人の女性だったなら、こんな風に悩んだりしなかっただろうか。
「部屋だって隣なんなだから、そうこうしているうちに。ほら、得意のパンを持って訪ねて来られちゃうんじゃないの?」
確かに美香の言う通りで。こうやって答えを先送りにしていたところで限界があるのはわかっていた。梶さんだって、いつまでも黙って待ったままなんていられないだろう。
「大体さ、何が不満なの?」
「不満?」
「返事に悩むってことは、梶さんの気持ちに応えていいかどうか、解らないわけでしょ? 櫻子さんとはなんでもなかったんだし、何も問題はないはずでしょ? それとも、何か気持ちを引き留めるものでもあるわけ?」
美香に言われて脳裏を掠めるのは、櫻子さんの顔だ。確かに恋人同士ではなかったのだから、問題はないはず。ないはずなのだけれど、櫻子さんの存在がどうしても想いの前に立ちはだかってしまう。
優しくて、気が利いて、ふわりとした癒しの雰囲気を持つ櫻子さんの存在は、こんなに柔らかな表現を用いてもどうしてか強い光を放っていて私の気持ちを塞き止める。梶さんをも一緒に包み込んでいるような強い光は、私が近づくことを許していないような気持ちになるんだ。
三杯目のハイボールを、美香はチビチビと口にする。さっきまでの勢いは間違いだったとでもいうように、ゆっくりと味わうように飲みだした。
「あんなに大人で優しい男性に好かれるなんて、羨ましいんですけど」
美香は、わざとらしく唇を突き出し、不満を口にした。でも、目は笑っているので冗談なのだろうとわかる。
美香の言うとおり、今回のことは本当に夢のようで、素敵なことだと思っている。こんな私のどこがよかったのだろうと首を傾げずにはいられないけれど、梶さんに伝えられた想いは素直に嬉しいものだった。
ただ、どうしても私の中で櫻子さんの存在が引っかかってならない。 もしかして、大学生の頃に付き合っていた時のまま、櫻子さんの気持ちだけが止まっていやしないだろうか? 梶さんも口では過去の話だと割り切っているように見えたけれど、もしもそうではなかったとしたら? そんな二人の間に割って入ってしまったら、後悔してしまうんじゃないだろうか。
いつにもなく慎重になってしまうのは、以前のように傷つくのが怖いからだ。未だ生傷というわけではないけれど、あの時の辛い感情は忘れることなどできず、私を臆病にしている。
付き合ってしまってから、梶さんと櫻子さんの仲睦まじい姿を見てしまったら、胸が苦しくてたまらなくなるだろう。お似合いの二人を前に、梶さんの相手は私ではなかったんだと気がついた時にはもう遅い。そうなった時に、私は普通の顔をしていられる自信もないし、苦しくて、切なくて、引っ越したばかりの今の家を引き払うことにだってなりかねない。
佑に泣きついて、ほら見ろなんて言われながら、涙ながらに段ボールの中に荷物を詰め込む図が容易に浮かんできて慌ててかき消した。
「兎に角。まずは告白の返事をしに行きなさい。そもそも、梶さんの気持ちを考えなさいよ。告白した相手がいつまで経っても何も言ってこないなんて、地獄だよ」
大袈裟なほどの身振り手振りをつけた美香が、欧米人並みに両手を広げて肩を竦めた。少し離れた場所で談笑しているグローバルな人たちの仲間に、難なく加われそうな気がする。
週末。一先ずSAKURAに行ってみよう。もう一度櫻子さんに会って、梶さんへの気持ちを少しでも読み取れないだろうか。そして、できることなら櫻子さんから感じる梶さんへの想いが、私の勝手な思い違いであって欲しい。
週末のことを考えながらマンション前にたどり着くと、エントランスの前にぽつんと一人の女の子が立っていた。
こんな遅い時間に、誰かを待っているのだろうか?
特に深く考えもせず、エントランスに向かって歩いていくに従い、その子の目が鋭く私を睨みつけていることに気がついた――――。