「……それは、分かってますけど……」

 彼はまだぶうたれていた。そんな彼に向かってわたしが苦笑いしていると、受付と内線が繋がった。

「――あ、会長の篠沢です。お疲れさまです。あのね、もう少ししたら、秘書の桐島さんのお兄さまっていう方がお見えになるの。……ええ、そう。もうアポは頂いてるから、いらっしゃったら連絡お願い。よろしくね」

 受話器を戻すわたしに、彼はまだ何か言いたげだった。

「……なんか、職場に身内が来るのってちょっとイヤじゃないですか? 授業参観に親が来る……みたいで。別にイヤなわけじゃないんですけど、気まずいというか何というか」

 ……なるほど。彼がお兄さまに会社までいらしてほしくなかった理由はこれだったのかと、わたしにもやっと合点がいった。
 会社ではバリバリ仕事をこなす彼も、ご家族や身内が会社に来れば思わずプライベートな〝素〟の部分が出てしまうかもしれない。そういう面を、わたしには見せたくなかったのだろう。

「そういうものなの? わたしはいつもママと一緒に働いてるようなものだから、あんまりよく分かんないなぁ」

 わたしに限っていえば、母娘で一つの仕事内容を共有しているようなものだったから、会社でも思いっきり素の自分を出しまくっていた。それは母相手にだけではなく、彼に対してもそうだったから、別に見られてイヤだとか、そんな感情はなかったのだ。

「――はい、会長室です。……ええ、今お着きになったのね? 分かりました。じゃあ、今下りますね。ありがとう」

 再び一階受付からの内線電話が入り、悠さんの来社を告げた。

「じゃあわたし、お兄さまをお迎えに行ってくるから。桐島さん、ここでお留守番よろしくね」

「え゛っ!? 会長が行かれるんですか?」

「だってわたし、貴方のお兄さまに一度お会いしたかったんだもの。それに、貴方が行ったらお兄さまとケンカになるかもしれないでしょ?」

「…………うー……、まぁ。ハイ」

 わたしの指摘は図星だったらしい。答えに詰まる彼を尻目に、わたしはウキウキしながら会長室を後にした。

 エレベーターで一階まで下りると、ロビーに置かれているグリーンのソファーから、わたしの靴音に気づいたらしい一人の男性が立ち上がった。
 年齢は三十歳前後で、身長は彼より少し低いくらい。髪は茶色で、カーキ色のジャケットを着てはいるものの、デニムパンツを履いているせいかカジュアルな印象を受けた。

「――こんにちは! 桐島さんのお兄さま……でいらっしゃいますよね? 先ほどはご連絡有難うございます。わたし、〈篠沢グループ〉の会長の篠沢絢乃です」