『――絢乃ちゃん? もしもし、聞こえてる?』 

「あ、はい。すみません、聞こえてますよ。お兄さまのことも、貢さんから伺ってます。今、このビルの近くにいらっしゃるんですよね?」

 わたしは返事が遅れてしまったことをお詫びして、悠さんの質問に答えた。

『うん。えーっとね、東京駅から西に行ったとこ? そのあたり。これから絢乃ちゃんに会いに行きたいんだけど、時間あるかな?』

「ええ、大丈夫です。もう急ぎの仕事もないですし、悠さんは桐島さんの身内で、大事なお客様ですから」

「ちょ……、ちょっと絢乃さん!?」

 横で彼が目を()いていたけれど、わたしはあえて見ないフリをした。

『そっか、ありがとね。……んでさ、やっぱし正式なアポって必要なのかな?』

 悠さんが訊きたいのは、事前に連絡を取って会う約束を取り付けなければならないのか、ということらしかったので。

「う~ん、そうですね……。じゃあ、このお電話をアポということにしましょう! 受付にはわたしから話を通しておきますので、悠さんは何も気にせずにおいで下さい。いらっしゃった時に受付にひと声かけて下されば、一階までお迎えに参ります」

『うん、ありがと。じゃ、あと五分くらいでそっちに着くと思うから。アイツによろしく☆ んじゃね』

 通話が切れると、わたしは彼にスマホを返した。受け取った彼は恨めしそうに、わたしを睨んでいた。
 彼の言いたいことは、わたしにも察しがついていたけれど。

「……なに?」

「『なに?』じゃないでしょう! 僕の意思を無視して、何勝手に決めてるんですか!」

 あえてすっとぼけて見せたわたしに、彼は(あん)(じょう)猛抗議してきた。

「ゴメンね、つい二人だけで話が盛り上がっちゃって」

「盛り上がらなくていいんです! これから一階の受付にも連絡するんでしょう? 会長のお願いはもう、命令と同じなんですよ? 誰も断れないじゃないですか!」

「だからゴメンってば。――もしかして、貴方はお兄さまにいらしてほしくないの?」

 彼がここまでムキになっていた理由が何となく想像できて、わたしはその疑問をぶつけてみた。

「そっ、そんなことはないですけど……。僕はただ、僕にひと言確認を取ってほしかっただけです」

 彼は実兄に職場に来てほしくなかったわけではないらしい。そこで、わたしは彼ら兄弟の仲が決して悪いわけではないのだと分かった。

「それは、わたしの配慮が欠けてたわね。ゴメンなさい。――さて、じゃあ受付に内線かけとくかな」

 再びデスクの上の受話器を上げ、内線番号を押している間に、わたしは彼に言った。

「お客様をおもてなしすることも、会長の大事な仕事なのよ」