この日は急ぎの仕事もあまりなく、わりとヒマな方だったので、わたしの〝定時〟である六時に退社することができた。

 丸ノ内のオフィスから自由ヶ丘の自宅までは、時間帯にもよるけれど車でニ十分くらい。それだけの時間があれば、車内でちょっとした仮眠がとれる。

 そしていつも必ず、わたしは後部座席ではなく助手席に乗り込む。これは後部座席だとふんぞり返って見えそうでイヤなのと、恋するオトメとしては、好きな人との距離が少しでも近い方がいいという理由もあった。……二つ目の理由は、口が裂けても彼には言えなかったけれど。そして、今でも言っていないけれど。

「――絢乃さん、もうすぐ着きますよ」

 この日は眠っていなかったわたしは、家のゲートが見えたあたりですでに帰り支度を済ませていた。でも、会社ではわたしのことを「会長」と呼ぶ彼が、終業後には「絢乃さん」と名前で呼んでくれるのが好きで、外の景色をボーッと眺めているフリをしていた。

「……うん。ありがとう」

 ゲートの前に着くと、彼はいつも自分が先に降りて、外から(うやうや)しく助手席のドアを開けてくれた。

「絢乃さん、足元に気をつけて降りて下さいね」

「ありがとう、桐島さん」

「明日もまた、学校が終わる頃に僕にメッセージを下さい。お迎えに上がりますので。お疲れさまでした」

「お疲れさま。じゃあ、また明日ね」

 彼はわたしが玄関アプローチへと足を踏み出すのを見届けた後、車に乗り込んで帰っていった。でも、彼は知らないと思う。車に乗り込む彼の姿を、わたしもチラチラ振り返って見ていたことを。
 ……また明日も彼に会える。そう思えるから、わたしは大変な毎日でも頑張れていたのだと、今はそう思える。

「――ママ、史子さん、ただいま!」

 わたしは元気よく玄関のドアを開けて、先に帰宅していた母と、お手伝いの史子さんに大きな声で呼びかけた。

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 ――翌日、六限目の終了間際。

〈桐島さん、お疲れさま! 
 もうすぐ学校が終わるから、迎えに来てね☆ ママによろしく。〉

 チャイムが鳴る直前に、わたしは約束どおり、スマホから彼にメッセージを送った。

〈了解しました。今から会社を出ます〉

 その返信を確認すると、わたしはスマホカバーを閉じた。

 ――終礼後、帰り支度をしていると、里歩が声をかけてきた。

「絢乃、お疲れー☆ 今日もこれから会社行くんでしょ?」

「うん。桐島さんが迎えに来てくれるの。里歩は、今日部活?」

「うん、そうだよ。――しっかしまぁ、マメな彼氏だよねぇ。毎日毎日送り迎えしてくれるなんてさ」

「か……っ、彼氏!? 違うから! 彼はまだそんなんじゃ……」