母と史子さんにも「おやすみ」を言うため、わたしは慌てて涙を拭い、階下に下りた。
 それでも、涙は次から次と頬を伝い落ちた。リビングに着いた頃には、もう二人に「おやすみ」すら言えないくらい泣いていた。

「――絢乃!? どうしたの一体! そんなに泣いて……」

 わたしの泣き顔を目の当たりにした母は、血相を変えてリビングの入り口にいたわたしのところへ飛んできた。
 史子さんも何が起きているのか理解できずにオロオロしていた。

「お……っ、お嬢さま!? どうなさったんです!?」

「ぱ……パパが……、ゆいご……遺言じょ……っ! わた、わたしに遺言状書いたって……っ! わたしに……、後のことは任せたって……」

 わたしはしゃくりあげながら、父との間に起こったことを一生懸命母に伝えた。

「パパ、もう寝るって言ってたけど……。もう二度と目覚めないかも……。もうダメなのかも……。だから、わたしにあんなこと……!」

 そのままわたしは母の胸に飛び込み、(せき)を切ったようにわぁっと泣き出してしまった。

「ちょっと落ち着いて、絢乃! パパは大丈夫! 大丈夫だから……」

 母はそんなわたしの背中をあやすようにさすりながら、「大丈夫、大丈夫」と何度もわたしに言い聞かせてくれた。

「絢乃……、今日までよくガマンしたわね、偉い偉い! つらかったわね。もうガマンしなくていいから、思いっきり泣きなさい」

 母は分かってくれていたのだ。わたしがそれまでずっと泣くのをガマンして、努めて明るく振舞っていたことを。その裏に、抱えきれないくらいの悲しみが潜んでいたことも。

「――もう、落ち着いた?」

 数分後、目を真っ赤に泣き腫らしたわたしに、母が訊いた。

「うん……。ゴメンねママ、もう覚悟はできてたはずなのに。いざ現実を突きつけられたらもう、緊張の糸がプツンと切れちゃって……」

「ええ、分かるわ。ショックよね。『遺言状』なんてリアルな話を聞かされたら」

「ママもホントに知ってるの? 遺言状の内容」

「もちろん知ってるわよ。私とも相談したうえで、あの遺言状は作成されたんだもの」

 父の言っていたことは本当だった。母もあの内容に納得していたのだ。

「だから大丈夫よ、絢乃。ママはあなたの味方だから。里歩ちゃんも、桐島くんもね」

「桐島さんも?」

 なぜそこで彼の名前が出てくるのか、わたしは首を捻るばかりだった。
 けれど、わたしには心強い味方が三人もついているのだと思うと、何だか気が楽になった。
 だからこそその時、本気で覚悟を決めようと思えたのかもしれない。