もしかして、彼女はわたしを彼と二人きりにしたかったのだろうか? 父についていてあげて、というのは建前で? ――と、その時のわたしはふと思った。

 そんな彼も、わたしがリビングに戻った時はすでに帰り支度を始めていた。

「――絢乃さん、おジャマしました。今日は楽しかったです。ありがとうございました。僕もそろそろ失礼します」

「えっ? 貴方も帰っちゃうの?」

 せっかく二人になれたのに……と、わたしが切ない気持ちになると、真面目な彼らしい気遣いで答えてくれた。

「はい。だいぶ長居してしまいましたし、会長もお疲れのようですし。僕は車なので、雪がひどくなる前に引き上げた方がいいかな……と」

「……そう」

 あのまま引き留めても、わたしのワガママで彼を困らせるだけだと思ったので、わたしはそこで引き下がった。

「――あ、そうだ」

 彼は玄関へ向かう廊下を歩いている途中で、見送るために後ろを歩いていたわたしを振り返り、ニコッと笑った。

「僕、あの後本当に車を買い替えたんですよ。今日もその新車で来たんです。絢乃さんもご覧になりますか?」

「えっ、いいの? ……待ってて! 部屋からコート取って来るから!」

「はい、ここでお待ちしてます。ゆっくりでいいですからね? 慌ててたら転びますから」

 彼の言葉の半分も聞かないうちに、わたしは急いで階段を駆け上がり、ウォークインクローゼットから普段使いのダッフルコートを引っぱり出して羽織ると、これまた大急ぎで階段を駆け下りた。

「き……、桐島さん……! お待たせ……っ!」

 息を切らし、ゼイゼイと肩で息をしたわたしを見て、彼は呆れたように笑った。

「ゆっくりでいいって言ったのに……。幸い、転んではいないみたいですけど」

「あ…………」

 こんなみっともない姿を好きな人に見られ、しかも笑われて、わたしはあまりの恥ずかしさに穴があったら入りたくなった。
 その時はわたしの顔は真っ赤で、(うつむ)いたまま顔を上げられないでいた。

「ああ、スミマセン。バカにしてるわけじゃないですよ? 絢乃さんの必死さがちょっと可愛いっていうか、微笑ましいっていうか」

「え……?」

 ……初めて聞いた。彼がわたしのことを「可愛い」と言ったのを。
 わたしは彼がどの女性に対しても、社交辞令であんなことを言うような男性(ひと)ではないと知っていた。心にもないことを言うような人ではないということも。
 でも、その時はまだ、彼がわたしに対して本当に好意を持っているのか分からなかったし、自分から確かめる勇気もなかった。