「パパも今日は具合がいいみたいで、もうリビングにいるはずよ。桐島さん、心の準備はできてる? まぁでも、そんなに緊張しなくて大丈夫だから」

「はい。……多分、大丈夫です」

 彼はぎこちない笑顔でそう答えた。……まあ、めったに会うことのない雇い主、言ってみれば雲の上の人と対面するのだから、「緊張するな」と言う方がムリな話だったのかもしれないけれど。

「はい、ここがリビングです! さ、入って入って!」

 わたしは後ろから彼の背中をグイグイ押し、彼をリビングへ入らせた。

「パパー、桐島さんが来てくれたよー!」

 わたしが入口から手を振ると、広いリビングの奥のソファーに座っていた父が「おう」と片手を挙げた。そのままゆっくり立ち上がり、わたしと彼のいる方へしっかりした足取りでやって来る。

「……やあ、桐島君。いらっしゃい。よく来てくれたね」

「会長、本日はお招き下さいまして恐縮です。体調はいかがですか」

 父がにこやかに挨拶すると、彼はかしこまって招待へのお礼を言い、父の体調を気遣ってくれた。

「うん、今日は調子がいい。君の顔を見たら、さっきまでより元気になった気がするよ」

「そうですか。それはそれは……」

 彼は、父の冗談にどう返していいか分からくなったようで、言葉に詰まっていた。
 わたしはそんな彼を放っておけなくて、すかさず助け船を出してあげた。

「パパ、桐島さんを悩ませちゃダメよ。彼は真面目な人なんだから、返事に困ってるじゃない」

「ああ、いやいや! すまない! 今のは聞き流してくれてもよかったんだ」

「はぁ……」

 彼がまだ困ったように頭を掻いていたので、父は笑い出した。わたしもあんなに笑う父を見たのは久しぶりで、彼もつられて笑っていた。

「桐島君。――いざという時は、絢乃を頼むよ」

「……は?」

「…………いや、何でもない。今日は存分に楽しんで帰ってくれたまえ」

「はい」

 二人がこんな会話をしていたのだとわたしが知ったのは、彼との交際を始めてからだった。この時は、わたしは十分に冷やしていたケーキをキッチンからリビングへ運び込むために、その場を離れていたのだ。

「――ねえねえ絢乃! あの人? アンタの好きな人って。……あ、あたしも何か手伝うよ」

 わたしを手伝うためにキッチンへ来ていた里歩が、はしゃいだ様子でわたしに話しかけてきた。
 せっかくなので、わたしは彼女に、切り分けたケーキを載せるお皿とフォークを出してもらうことにした。

「ちょっと里歩、声が大きいわよ!」 

「あー、ゴメン! ――さっき、お父さんに挨拶してたよね? 背が高くてイケメンで、優しそうな人。あの人が桐島さん?」