ある時、わたしから電話すると、彼は何だかすごく忙しそうだった。

「――どうしたの? 桐島さん、何だかすごく忙しそうだけど」

『ああ、すみません! ちょっと今、引き継ぎでバタバタしてまして』 

「引き継ぎ? 桐島さん、会社辞めちゃうの?」

 〝引き継ぎ〟と聞いて、イコール会社を辞めるという発想しかなかったわたしは、すごく驚いたけれど。

『……えっ? いえ。辞めませんよ。ただ近々、部署を異動しようと思ってまして。そのための業務の引き継ぎなんです』

「ああ、異動ね。なんだ、ビックリした」

 社内での転属だと聞いて、わたしは安心した。
 彼は篠沢で働くことに誇りを持っているし、退職するなんて考えられなかった。
 それに……、これは個人的にだけれど、わたし自身が彼に辞めてほしくないと思っていた。

「でも、どこの部署に転属するの? 総務課の仕事じゃ不満?」

『そういうわけじゃないですけど……、僕も覚悟を決めたといいますか。部署はまだ、絢乃さんには教えられませんけど』

「…………えっ? わたしに教えられないって、どういうこと?」

『それは……、今はノーコメントでお願いします』

「えーーーー……?」

 彼の言葉は謎だらけで、その時のわたしはただ首を捻るばかり。――その謎が解けたのは、父が亡くなった後だった。

 それにしても、その当時、わたしと彼はまだお付き合いどころかお互いの気持ちも知らなかったのに、まるで恋人同士みたいなやり取りをしていたのだなと今では思う。

 こうして男性とプライベートで交流を持つのは彼とが初めてだったのだけれど、初めてではないように、まるで恋愛にこなれた女性のように、彼とは打ち解けていられたのが不思議だった。

 今にして思えば、わたしに余計な気を遣わせないように、彼がわたしを(くつろ)いだ気持ちになるよう大人の対応をしてくれていたのだ。
 だから、わたしと彼との距離が縮まるのに、それほど時間はかからなかった。

****

 ――父がガンの闘病を始めて二ヶ月半ほどが過ぎ、篠沢家でもクリスマスイブを迎えていた。

 実は、わたしはそれまでは毎年、里歩と二人でお台場(だいば)までライトアップされたクリスマスツリーを見に行き、その近くで夕食を摂るのが定番になっていたのだけれど。

「――絢乃。今年はお台場のツリー、どうするよ?」 

 この年のクリスマス前には、彼女は「一緒に行こう!」ではなく「どうする?」という訊き方をした。もちろん、父と最期のクリスマスを過ごすことになるだろうわたしを、彼女なりに気遣ってくれたのだ。