「……分かった。ああ、里歩ちゃんにはちゃんと連絡してあげなさいよ? きっと心配してるでしょうから」

「うん。もちろんよ。――じゃあ」

 わたしは頷き、リビングを後にした。両親を二人きりにしてあげたいという、親孝行めいた気遣いもあったと今は思う。
 まあ、お手伝いの史子さんもあの場にいたので、厳密には〝二人きり〟ではなかったけれど。

 母に言われるまでもなく、わたしはそうするつもりだった。里歩には父がこの日、病院で検査を受けることになっていたことは話してあったし、同じ学校で同じクラスなので、わたしがどんな理由で早退したのかも彼女は知っていたから。

 そして――、もしかしたら、彼からも連絡があるかもしれないと思っていた。

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 部屋に戻ってからは、思いっきり泣こうと思っても泣けなかった。それどころか、何も考えられずに茫然としていただけだった。
 人間というのは、受け止めきれないほどの大きなショックを受けると、自動的に思考や感情を止めるらしい。

 わたしの部屋は、それだけで一般的なアパートの一室くらいの広さがある。彼が同居を始めた今となっては、別の部屋を二人の寝室にしたのでこの部屋はわたし専用の書斎になっているけれど。

 その広い部屋にクイーンサイズの大きなベッド、大きな机、テーブルと椅子のセット、ドレッサーがあり、専用のお手洗いとバスルーム、ウォークインクローゼットまでついている。
 部屋のインテリアは大好きな淡いピンク色で統一してあって、ラグもカーテンも寝具一式も全部、濃淡の違いはあってもこの色である。

 この後、わたしや母はどうなるのだろう? ――この時のわたしは、そんな答えの出ないそんな問いかけをずっと頭の中で繰り返していた。

 この家の財産は、当主である母が弁護士の先生とともに管理していた。だから父のガン治療にいくらお金がかかっても痛くもかゆくもなかったし、わたしの学費の心配だってなかった。

 でも、わたしが心配していたのはそういう金銭面のことではなくて、精神面でのことだった。

 わたしも父のことが大好きだったし、お見合い結婚だったにも関わらず、母も父のことをそれはそれは愛していた。
 父に万が一のことがあったら――余命宣告を受けたので、もうその確率はほぼ一〇〇パーセントに近かったけれど、わたしも母も、果たして立ち直れるだろうか? もう二度と、笑うことができなくなるのではないだろうか? ――そういうネガティブな想像ばかりが、頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。