母は「分かったわ」と言って電話を切った。

 ――その後、わたしはすぐに担任の先生に事情を話して、学校を早退した。
 本当はその場で早退届を提出しなければならなかったのだけれど、事情が事情なのでそれは翌日登校した時でいいと、先生は譲歩してくれた。

 校門の前でニ十分くらい待っていると、一台の黒塗りのセンチュリーが停まり、運転席から白手袋をした寺田さんが降りてきて、後部座席のドアを開けてくれた。
 彼は五十代半ばで、髪はロマンスグレー。篠沢家にはもう三十年近く仕えていて、母は高校時代から送り迎えをしてもらっていたらしい。――もっとも、元は五年前に六十代後半で亡くなった祖父のお抱えだったらしいのだけれど。

「お嬢さま! 奥さまから事情は伺っております。どうぞ、お乗りください!」

「ありがとう、寺田さん。――とりあえず、家までお願い」

 わたしは後部座席に乗り込むと、運転席でシートベルトを締め直している寺田さんにそう告げた。
 気持ちにゆとりがあれば、広々とした座席にゆったり座ってひと息つきたかったけれど。わたしの顔から緊張の色は消えなかった。

「心得ております、お嬢さま。では、安全運転で参ります」

 ハンドルを握りながら、彼はルームミラー越しにわたしの様子を心配そうに窺っていた。

「――お嬢さま。旦那さまのことがご心配でいらっしゃるんですね……。ですが、この車内では心を落ち着かせて下さって大丈夫でございますよ。お嬢さまは本当にお父さま思いでお優しい方ですね」

「うん。だってパパは、わたしのたった一人の父親なんだもの……」

 わたしの人生の目標であり、憧れであり、尊敬していた父が病に侵されているなんて……。父の苦しみを思うあまり、わたしは気がつけばひとり嗚咽(おえつ)を漏らしていた。

 そんなわたしを、寺田さんはただ好きなだけ泣かせてくれていた。

 ――気が済むまで泣いたわたしは、桐島さんに連絡しようと思い立った。
 でも、彼はその時間仕事中のはずだったので、メッセージを送ることにした。

〈桐島さん、さっきママから連絡がありました。
 パパは末期ガンで、余命はもって三ヶ月だそうです。ショックです。
 ガンって苦しいんでしょうね……。パパの苦しみを考えただけで、わたしは胸が張り裂けそうです。さっき、泣いちゃった。
 このメッセージに気が付いたら、何時でもいいので連絡下さい。 絢乃〉

「――お嬢さま、もうすぐ着きますよ」

 メッセージを送信し終えてスマホをポケットにしまう頃、寺田さんがわたしにそう言った。