髪と体を丁寧に洗い、ヘアートリートメントをしてバスタブにゆったり浸かって温まった後、わたしはバスルームを出た。

『湯冷めしないようにして下さいね』

 バスタオルで髪の水分を拭き取っていた時、ふと入浴前の電話で彼に言われた言葉が頭をよぎった。

 わたしの髪は長いので、乾かすのに時間がかかる。だから、疲れている時や面倒だなと思った時には根元だけをドライヤーで乾かして、あとは自然乾燥、ということが今でもたまにある。その方が髪のためにはいいのだと、美容師さんから言われたことがあるのだ。

 でも、湯冷めしないためにはそんなことを言っていられない。せっかく彼が心配して言ってくれたのだから……と、その夜は毛先までしっかりドライヤーを当てて自慢のロングヘアーを乾かした。 

「桐島さんって、恋人に対しても同じように言ってるのかしら?」

 思わず口をついて出たそんな疑問が、わたしの胸をチリリと焦がした。
 彼に恋人がいるかもしれないということで、どうしてこんなにも胸が苦しくなるのかしら? ……わたしはその時、ただ不思議に思うだけだった。それが〝恋〟なのだと、まだ知らなかったから。

 彼に恋人なんていませんように。そして、わたしのことだけを考えていてくれますように。……と、なぜ自分がそんなワガママなことを願うのか分からないまま、わたしはその時願っていた。

 そんな自覚のない恋の始まりと、父の病状への心配とが混ざり合う複雑な心境で、その日の夜は更けていった――。

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 ――翌日。朝食を少し残したわたしは制服の赤茶色のブレザーを羽織ると、ダイニングテーブルの下に置いていたスクールバッグを手にして席を立った。

「ごちそうさま。じゃあ、学校に行ってくるね。ママ、パパのことよろしく」

「ええ。……あ、胸元のリボン、曲がってるわよ」

 母は立ってわたしのところへやってくると、制服の赤いリボンを直してくれた。
 このリボンは、茗桜女子の制服の中でもわたしの一番のお気に入りだった。初等部と中等部・高等部で制服のデザインは違うけれど、初等部からこのリボンだけはお揃いなのだ。

「……ありがとう。じゃあ、里歩(りほ)が待ってるから。行くね」

 中川(なかがわ)里歩は、初等部からのわたしの大親友だ。中等部からはバレーボール部に入っていて、高等部二年生の秋からはキャプテンを務めていた。

「ええ、行ってらっしゃい。里歩ちゃんにあんまり心配かけちゃダメよ」 

「うん、分かってる。――じゃあ、行ってきます」