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 お会計は悠さんがもってくれて、わたしたちはカフェの前で別れた。

 貢の方は、悠さんやご両親にお任せすれば大丈夫。あとはわたし自身の問題だった。

 思えば父が倒れてからの一年間、わたしには気持ちの余裕がなかった気がする。時間に追われていたせいもあるけれど、自分のことでいっぱいいっぱいで、彼のことにまで気が回っていなかったのだ。結婚はわたしだけの問題ではないのに……。
 焦っていたのはわたしだけだった。彼が焦っていないのなら、結婚についてはもっとじっくり時間をかけて考えてもいいのかもしれない。せめて、彼の覚悟が決まるまで、プロポーズは待っていてあげよう。

「――そうよね。わたしたち、まだ若いんだもん」

 ゆとりのない自分自身を反省し、東京メトロの新宿駅へ向かっていたわたしは、車道を走る一台の真っ赤なスポーツカーに目を瞠った。
 赤のランボルギーニ……、まさか!

「やっ、篠沢のお嬢さま。こんなところで会うなんて奇遇だね」

 左側の運転席から颯爽と降りてきたのは、案の定有崎さんだった。この日もヴェルサーチだかアルマーニだかの派手なシャツに、オレンジ色の細身のパンツを合わせた奇抜な格好をしていた。イヤミったらしい笑顔といい、キザなことこのうえなくて、わたしは思いっきり他人のフリをしたくなった。
 それだけではない。前日の夜、貢の様子が明らかにおかしくなったのは、彼が原因なのだ。そんな人と、親しげに話す気にもならなかった。

「…………ええ、そうですね」

 わたしは素っ気なく返して、その場をさっさと通り過ぎようとした。

「待ちなよ。今日、仕事はいいの? あれ? もしかしてカレシとケンカでもした?」

 彼の一言に、わたしの眉がピクリと動いた。彼はわたしにカマをかけようとしているのか。そうとしか思えなかった。

「…………どうしてご存じなんですか? あの人が彼氏だって」

「その反応は図星か。まぁ、俺のカンかな。そんなことよりさ、マジでキミたち別れたの? 当然だよなぁ。アイツと君とじゃ生まれ育った環境が違いすぎるもんなぁ。アイツ自身、それで悩んでたっぽいし? だから俺が、そこんとこをちょっと揺さぶってみたのよ」

 悪びれもせず、人の心を(もてあそ)んだこの男に、わたしはふつふつと静かな憤りを覚えた。

「……貴方だったんですね、彼とわたしの関係を壊そうとしたのは」

「まぁね。やっぱ君には、俺みたいな男の方が合うからさ。あんな安物の車しか買えない男より、高級外車に乗ってる男の方がモテるんだよ、世間では」

 安物……。彼が四百万円もかけて購入して、一生懸命ローンの返済を頑張っているあの車を、この男は簡単にバカにした! 彼の苦労も知らないで!
 この瞬間、わたしの怒りはピークに達した。