「そんな……」

 彼がわたしとの恋をシンデレラになぞらえていたことには驚いたけれど、ここまで自分の育ちを卑下されると、わたしも悲しくなってきた。

「あの人に言われたとおりです。僕と絢乃さんとでは、どう考えても釣り合いません。僕では、あなたの育った家柄の一員になる資格が足りません。ですから、仕事上の関係と恋愛関係までに留めておいて、結婚は僕ではなく他の男性と――」

「いい加減にしてよ! 貴方のわたしへの想いって、その程度のものだったの? お互いの境遇の違いだけにこだわって、釣り合わないなら身を引くなんて簡単に言えるような。貴方がそんな意気地なしだとは思わなかった」

「絢乃さ――」

「……もう、いい」

 わたしは彼に背を向けた。雨に濡れた石畳には、傘を差して立っているわたしの姿がぼんやりと滲んでいた。

「もう疲れちゃった。わたし、貴方っていう人が分からない。こんなにつらいなら、もうやめよう? ただのボスと秘書の関係からやり直そう?」

「……えっ?」 

「わたし、明日は出社しないから、会社のことはママに頼んでおく。一日離れて、お互い冷静になった方がいいと思うの」

「……はぁ」 

 冷静にならなければならなかったのは、私の方だ。もう頭の中がぐちゃぐちゃで、彼の顔を見て何かを言うのには堪えられない状態だった。
 初めての恋愛で、自分から引導を渡すってどうなんだろう? 恋には絶対的な正解がないので、自分でもこれで本当にいいのかと迷ってはいた。
 
「……ねぇ、一つだけ訊かせてくれる? 貴方がわたしを好きな気持ちは、本物だったって信じていいのよね?」

「はい、もちろんです」

 彼は力強く肯定した。どうせなら、否定してくれればよかったのに。せっかく引導を渡したのに、これではすっきりしない。心の中にモヤモヤが募っていって、わたしは今にも泣き出しそうな状態だった。

「――服、びしょ濡れだから、風邪引かないようにね。じゃあ」

 わたしは一度も彼を振り返ることなく、速足で石畳の上を歩きだした。

 ――これで本当によかったのだろうか? 本当に彼だけが悪かったのだろうか? わたしに悪いところはなかったのだろうか……?

 その途中で頭をよぎるのは、そんな答えの出ない自問自答ばかり。初恋の終わりがこんなにも惨めなんて、想像すらしていなかった。……いや、まだ終わったかどうかすら分かっていなかったけれど。

「――ただいま……」

 どうにか泣き出さずに玄関まで辿り着き、家の中へ声をかけると、母がすっ飛んできた。

「おかえりなさい。……絢乃、何かあったの?」

 母はわたしの様子がおかしいことにすぐ気づいたらしく、眉をひそめて訊ねてきた。

「ママ……、わたしの初恋、終わっちゃったかもしれない……」

 わたしはそのまま、母の胸に抱き着いて号泣し出した。あんなに泣いたのは、父が亡くなって以来だったと思う。