『んで? さっきの〝あ〟は何なんだよ?』

「うん……、いや。絢乃さんから、『付き合い始めたことは秘密にしましょう』って言われたから。ここ、まだ会社の中だし、誰かに聞かれてたらマズいと思って。――兄貴、頼むから妙な噂とか流さないでくれよ?」

 彼は真面目なうえに、心配症でもあるのだとわたしは気づいた。お兄さまは社外の人なのだから、そんな心配は一ミリもなかったはずなのだけれど。

『分かってるっつーの。お兄サマを信じなさーい♪』

「…………」

 そして彼は、明らかにお兄さまのことを信用していないようだった。

『何だべよ、その沈黙は? とにかく、絢乃ちゃんの誕プレは真剣に選んでやんな。――仕事中に悪かった。んじゃ、絢乃ちゃんによろしく』

「うん。……えっ!? ちょっ……! ――あっ、切れた」

 彼はため息をついた後、スマホをわたしに返しながらグチっていた。

「兄貴のヤツ、好き勝手喋って切っちゃいましたよ。会長の携帯だっていうのに、まったく。――すみません、ウチの愚兄が」

 受け取ったわたしは、そういえば悠さんも同じようことを言っていたなと思い出し笑いをして、ちょっとだけ彼を茶化してみた。

「桐島さん、心配しすぎるとハゲちゃうわよ? それか、胃に穴が開くかのどっちかね」

「やめて下さいよ」

 彼は顔をしかめた。そして、彼が電話で話している間に洗い物が片付いていたことに驚いた。

「……あれ? 洗い物、会長がやっておいて下さったんですか」

「うん。これくらいの量なら、すぐ終わるから。だってわたし、お料理好きだし。将来はちゃんと自分で家事もこなせるマダムになりたいんだもの」

 家ではほとんど毎食専属のコックさんたちに料理を任せている我が家だけれど、休日などには時々わたしもキッチンで腕をふるうこともある。
 料理の先生はコック長だったり、史子さんだったり、母だったりと日によって違うけれど、この頃にはすでに作れる料理のレパートリーはかなり豊富になっていた。

 彼に家庭的な面をアピールしたいわけではなかったのだけれど、人並みには家事もできるのだと思ってほしかったのだ。

「いつか、貴方にもわたしの作ったお料理、食べてもらいたいな」

 すでに、手作りのスイーツは食べてもらっていたけれど、まだ家庭料理を食べてもらう機会には恵まれていなかったから。
 社交辞令ではなく、わたしが本心からそう言うと。

「ええ、ありがとうございます。ぜひ」

 彼も笑顔でそう答えてくれた。
 オフィス内ではこういう(ふん)()()を醸し出すのは危険だと分かっていたけれど、せっかく恋人同士になれたのだから、こういう会話も少しくらいはいいかな、と思ってしまう自分がいた。