吸血鬼に捧げる恋占い

「サラ、どうしたんだ、何があった」

「……封じの箱を見せて」

サラの声が今度は滑らかにそう告げる。

「分かった。こっちだ」

グレンはサラの肩を抱いて階段の方へ促す。その後をローラがついてくる。

エドニーも気付かれないように少し離れて後をついてきているはずだ。

サラの動きはややぎごちない。

「ローラ、いつこっちに帰ってきたんだい?」

グレンは後ろを振り返りながら話しかける。

「…………」

踊り場に来ると、グレンはサラを背中に庇うように立ち、ローラに向き直った。

「お前は誰だ?」

「私はローラよ。サラの母親の」

「そんなはずはない。お前は偽物だ」

ローラは舌打ちすると、羽織っていたマントを翻して階段を駆け下りた。

「エドニー、捕まえろ!」

立ちはだかったエドニーの上を飛び越えるようにしてローラは玄関に向かう。

玄関はエドニーが先程鍵をかけていた。

ドアが開かず再び身を翻したローラは廊下を突き進み、明り取りの窓に飛び込んだ。

ガラスの割れる音に続いて走り去る音が聞こえる。

エドニーは割れたガラスを踏み越えてその後を追いかけたが、闇に紛れて見失ってしまった。

サラはグレンの腕の中でぐったりとしていた。

「サラ、大丈夫か?」

うっすらと目を開いて、サラは頷いた。

さっきまでがんじがらめにされているようだった体が今は自由に動くことを確かめて、サラはほっと息をついた。

「さっきのはあいつか?」

「よく、分かりましたね、偽物だって」

「ああ、ローラがいるはずないからな」

あまりにきっぱりグレンがそう言ったことに、サラは不思議そうにグレンの顔を見上げた。

「いるはずないって……」

どういうことかと聞く前に、グレンがサラを立たせて言った。

「君に見せたいものがある」
サラはグレンに連れられて二階の端にある領主の部屋に入った。

「こっちだ。気分は? もし辛いようなら少し休もう」

グレンは細やかにサラを気遣ってくれる。けれど、少なくともバルクロの癒しの箱に入っていた薬は本物だったようで、サラの体はすっかり体調を取り戻していた。

先程まで苦しかったのはバルクロの術に抗っていたせいだ。

「もう大丈夫です」

サラはそう言って笑みを浮かべて見せた。

グレンはそれに安堵したように、マントルピースに歩み寄ると、そこから鍵を取り出し、奥へ続く扉を開いた。

真っ暗な闇が広がる階段に、蝋燭がポツポツと灯りを灯していく。

下へと続く階段をグレンに続いて降りていく。

やがて広い部屋に出ると、真っ先に目を引いたのは黒い柩だった。

「君がローラの娘だと知った時に、君をこの部屋に連れてくることを決めていた」

グレンはそう言ってサラを振り返り、椅子に座るよう勧めた。

「本当はリリアのオルゴールをみつけてからここに君を案内したかったんだが」

グレンは残念そうにそう言って一枚の絵をサラの前に置いた。

そこには母ローラと、おそらく幼い頃のグレンと思われる男の子が描かれていた。

「サラ、ローラはここに眠っているんだ」

「え……」

グレンは柩に目を向けている。

「リリアのオルゴールは奏での箱だと言ったよね? 眠りし者を呼び覚ます」

「眠っているって……」

「言葉のとおり、ローラは眠っている。三年前からずっとこの柩の中で」

ではバルクロの言った四つ目の箱とはこの柩のことなのだろうか。

サラは少なくとも母は死んでいるのではなく、ただ眠っているだけなのだと自分に言い聞かせた。そうしないと、薄暗い窓もない地下室のしかも柩の前だ。グレンの声が耳に届いてはいても、その内容がまるで理解できなくなりそうだった。
三年前、何も言わず消えたと思っていた母は、サラに化けたバルクロに癒しの箱を渡し、それを持って逃げろと言ったのだ。

その時、母に何か大きな危険が迫っていたことは間違いない。

そして母が頼って来たのは昔働いていたこのお屋敷だった。

そこまでは理解できる。

けれど何故こんなところで?

しかも三年も眠り続けているなんて……。

「どうして母は眠っているんですか?」

グレンはゆっくりと柩に近付き、その蓋に手をかけるとサラを振り返った。

「おいで」

サラは震える足にどうにか力を入れて立ち上がると、グレンの隣に並び柩の蓋を見下ろした。

「開けるよ」

ずらされた蓋の下に見えたのは青白い顔で眠るローラの姿だった。

「ローラは病魔に侵されていたんだ。俺はローラを死なせたくなかった。この部屋は時が止まった部屋だ。ここならローラを死なせずに時間を稼ぐことができる」

サラはハッと思いついて声を上げていた。

「癒しの箱があれば母を救えるわ。バルクロが癒しの箱を持っている……!」

「そうか。恐らく奏での箱もあいつが持っているはずだ。奏での箱があればローラを目覚めさせることができる」

サラは改めてローラの顔を覗き込んだ。

青ざめてはいるが、張りのある肌は瑞々しく、本当に眠っているだけなのだと分かる。

「お母さん……、待っててね。私が必ず助けるから」

「もちろん俺もローラを必ず助ける。そして君を守るよ」

グレンの力強い声にサラは頷いた。
暗い地下室への階段を降りる三人の影が、壁にゆらりと重なる。

グレンの手には封じの箱、バルクロの手には奏での箱、そしてサラの手には癒しの箱がある。

部屋の中央には黒い柩が数基並んでいる。

手前のひとつに近付いたグレンがその蓋を押し開くと、中に一人の女性が眠っている。

サラの母ローラだった。

バルクロが奏での箱を開く。しんと静まりかえっていた地下室に優しい音色が響き始めた。

サラは癒しの箱をローラに近付ける。箱の留め金が外れる音が小さく聞こえた。蓋を開け、中の粉をひとすくい、ローラの体に振りかける。

一呼吸、二呼吸、やがてローラの胸が微かに持ち上がりその体に呼吸が戻ったことが分かった。

サラは祈るようにローラを見つめていた。

青ざめた頬にほんのりと赤みがさし、瞼が震える。

もう少しで母ローラは目を覚ますだろう。

その時だった。カタンと音を立てて、別の柩の蓋が外れた。

そこからむくりと体を起こしたのは黒いスーツに身を包んだ紳士だった。歳はグレンと同じくらいだろうか。顔立ちもグレンにどことなく似ているような気がする。

紳士は辺りを見回すと、目を閉じてすうっと鼻から息を吸い込んだ。

再びその目が開かれた時、二つの真っ赤な瞳がサラを捉えていた。

今目覚めたばかりとは思えない素早さで、紳士はサラに飛びかかった。

紫色の唇から白い牙がのぞく。その姿は本の挿絵で見た吸血鬼そのものだった。

サラは両肩を強い力で捕まれ身動きできない。

骨ばった両手の爪は容赦なくサラの肩にくいこんでくる。

――助けて!

声にならない叫びを上げた瞬間、目の前に飛び込んできたグレンの肩に吸血鬼の牙が突き刺さった。

吸血鬼は喉を鳴らしてグレンの血を啜る。

呻き声を堪えるグレンの目が次第に赤く色付いていく。

サラは叫びながら目を覚ました。

もう何度目か分からない。あの日から繰り返し見る同じ夢だった。
サラは洗濯室での仕事を終えると、急いで船着場へ向かった。
あれから毎日のように奇術の館へ通っていた。
バルクロがどこかへ姿を隠してしまうのではないかと不安だったのだ。

サラを操り封じの箱を手に入れようとしたバルクロだったが、一度失敗に終わってからは領主の館へ訪れることもなく、かといってどこかへ行くでもなかった。

「僕はどこにも行かないよ」

金の髪をさらりと揺らしてそう言って微笑む。

「僕はね、四つの箱をそろえたいだけなんだ。サラを傷付けるつもりなんかまったくないよ」

「バルクロ、お母さんとはどういう関係だったの? 本当のことを話して」

「ローラは魔女だ。僕はその弟子だよ」

「お母さんがあなたに魔法を教えてたって言うの?」

母は魔女の血を引いてはいたけれど、魔女と言うほどの力は持っていなかった。人に教えていたなんてサラには信じられなかった。

「ねぇサラ、どうしてローラは君の前から姿を消したんだと思う?」

「それは私が聞きたいわ。はぐらかさないでちゃんと教えて」

「君が僕を信用してくれるなら話すよ」

――信用? できるはずないじゃない!

サラは心の中で叫ぶ。すっかり焦らされていると思う。バルクロはそんなサラを見て楽しんでいる。

「信用はできない。だって母から癒しの箱を奪ったんでしょ? 昨日は私を操って封じの箱も奪おうとした」

「んー、ちょっと違う。これらの箱は元々は僕の物だ。最初に奪われたのは僕の方だよ」

「母は人の物を奪ったりしない」

「それはどうかな。大切な人を助けたいと思うと人は無茶なことをしてしまうものだよ」
「どういうこと? 大切な人って?」

「そうだ。毎日ここに来て少しずつ話をするのはどう? サラと仲良くなりたいんだ」

天使のような笑顔で微笑むバルクロにサラはため息をついた。

「私、どうしても癒しの箱が必要なの。少しの間貸してもらえない?」

「いいよ。封じの箱を返してくれるなら」

封じの箱は今はグレンが持っている。サラの一存で返事はできない。

「ねぇ、バルクロ。そんな風に話していてはいつまでたっても信用できそうにないわ」

バルクロはすっと笑みを消し俯いた。髪に隠れたバルクロの表情は分からない。

でもすぐに笑っているのだと分かった。両肩が小刻みに震えているからだ。

「ほらね、君が僕を信用していないのに僕だけが君を信用して大事な話をしないとダメなの? 本当に僕よりあいつの方が信用できると思ってる?」

「それは……」

「僕は少なくとも君を信じて全てを打ち明けたいと思ってる。でもあいつのことは正直信用できないんだ。今のところ、君はあいつの味方だろ? 僕が大事な秘密を話せば僕にとっては不利なことばかりだ」

「グレンは良い人だわ」

「彼は一度も君に嘘をついたことはない?」

「…………」

グレンは自分が領主だと言うことをサラに隠していた。それでもグレンを信じているのはなぜだろう。

「僕たちにはもう少し一緒に話す時間が必要だと思うんだ。お互いを知るためにね」

バルクロはそう言いながらサラの肩を撫でるように手を伸ばす。何もなかったその手に次の瞬間には薔薇の花が握られていた。

その花を差し出しながら、バルクロは「また明日」と微笑んだ。
それからサラは毎日奇術の館に足を運び、謎掛けのような問答をバルクロと繰り返している。

時には川沿いを散歩し、時には買い物に行き、バルクロは終始楽しそうだ。いつだって誘うのはバルクロで、サラは渋々ついて行くだけなのだが……。

どんなにサラが真面目な顔でその手を振りほどいていたとしても、それほど時間が経たない間に二人が恋人同士だと噂になった。

サラは奇術の館に通う間、ハシリのナイフ投げの練習にも付き合った。

ハシリの腕前は以前と変わりなく、的に向かえば百発百中だった。

ただ、的の近くに人がいるとたちまち腕が震えナイフを投げることができない。

ハシリのナイフで怪我をしたというフィの方は、もう傷痕ひとつも残っていないとのことで、まったく気にした様子はない。

「ハシリ、無理に人を的にすることはないし、舞台に立っても大丈夫じゃない?」

サラがそう言えば、ハシリは力なく笑って頷く。

「バルクロのあの凄い奇術の後で、僕のナイフ投げにお客さんが喜んでくれるかどうか分からないよ……」

ハシリはすっかり自信をなくしているようだった。

「バルクロの奇術は確かに凄いけれど、ハシリのナイフ投げを楽しみにしているお客さんもいるわ」

サラもどうにかハシリの力になりたいと、バッグから取り出した占い石をハシリに差し出した。

「好きなのを選んでみて」

ハシリがじっと石を見つめている間、サラの目にはハシリが楽しそうに舞台に駆け上がる姿が浮かび始めていた。
舞台の上でハシリは手をかざして何かを探しているようだ。森を描いた背景に布で作った鳥が飛んでくる。

上から糸でぶら下げているようだが、客席からは糸は見えないだろう。

その鳥に向かってハシリがナイフを投げる。次々とナイフにうち落とされていく鳥たち。

木になった果物も次々に地面に落ちる。

籠いっぱいの獲物を持ったハシリが歩くと、舞台の背景が回転し次に現れたのは処刑台だった。梁に吊るされた男を助けようとハシリはナイフを握りしめる。

これまでとは違ったストーリー仕立てのショーに観客は息を飲んでいる。

ハシリの投げたナイフは見事ロープを切り裂き、無実の罪で処刑されそうになっていた友を助けることができた。

ハシリは舞台を降りるとバルクロに駆け寄った。

舞台の演出を考えたのはどうやらバルクロのようだ。

サラはそれを見て複雑な気持ちになった。

ハシリのナイフ投げができなくなった原因はバルクロにあると考えていたからだ。

奇術の館に入り込むために、ハシリの出番を奪い、フィの傷を治すことでみんなの信頼を得た。

初めからバルクロが仕組んだことだったとしたら辻褄が合うとグレンと話していたことで、すっかりそう思い込んでいた。

でもバルクロはハシリが舞台に立てるよう手伝っている。

その笑顔が本物かどうか、サラには分からない。怪しいという思い込みから、バルクロのことを色メガネで見てしまっているような気がし始めていた。
領主の館では毎年行われる晩餐会の準備で忙しい日々が始まっていた。

晩餐会は年に二度行われる。各領地を治めている親族が一堂に会し、事業報告を兼ねての顔合わせをするのだ。

たくさんの客人が訪れるとあって、普段使っていない客間も念入りに掃除を行わなくてはならない。サラも勤務時間を延長して手伝っている。

グレンも領主としてやるべき事が山のようにあった。

その合間を縫うように、グレンは書庫から十八年前の記録を引き出しては読み進めていた。

サラの母ローラがこの館で働いていた当時、グレンはまだ七歳の子どもだった。

ローラを雇った経緯や身寄りがいたかなどを調べるとともに、箱についての記述がないかをくまなく探していく。

最も気になっているのはサラの父親が誰なのかということだ。

ローラは何故ひとりでサラを産み、その後この街を出たのか。

日誌の中に答えがあるかどうかは分からない。それでも調べずにはいられなかった。

ノックの音に資料から目を離さずに入室の許可を与える。

エドニーならそろそろ仕事に戻れと言いに来たのだろう。

そう思ったものの、いつもの小言が聞こえて来ないことに顔を上げると、戸口に立っていたのはサラだった。

「ああ、君か」

サラの手にはグラスの乗った盆がある。それを見てグレンは資料を棚に戻し、腰掛けていた脚立から降りた。

いつの間にか夕日が差し込む時間になっていた。

「アイスティーをお持ちしました」

メイドのお仕着せ姿にグレンは眉を持ち上げる。

「こんな時間までメイドの仕事を?」

「みんな晩餐会の準備で大忙しです。何を読んでいたんですか?」

「古い記録だよ。……十八年前の」